第9行目  ちょまてよ

「今日も雨だなぁ」

「あー」


 窓の外を見ながら奈央とスズが呟いている。

 昨日に引き続き、今日も今日とて外はザーザーと降りしきる雨。こんな天気では当番である畑仕事も捗らない。スズを拾った日は晴天でたまたま綺麗に晴れていたが、最近はこんなどんよりとした空模様が続いていた。今日も部屋の中で遊ぼうか、そう考えていた矢先……


「あなたはいつもそうです」

「は!? ちょっとミスっただけだろ」


 廊下から千景とナツキの騒々しい声が響いてきた。話の内容と乱暴な口調から察するに、何やら喧嘩をしているらしい。


「そのちょっとのミスでこちらがどれほどの被害を被ると思っているのです? 洗濯物たちに散らばったティッシュを取るのは、大変なのですよ」

「だからそれは悪かったって、謝ってるだろ? それに俺も手伝うからさ」


 どうやらポケットにティッシュを入れたことを忘れて、ナツキが洗濯カゴにズボンを入れてしまったらしい。

 皆様の中にもご経験された方は少なくないと思うが、散らばったティッシュたちを取り切るのは骨の折れる作業である。千景がぶち切れるのにも頷ける。


「そのポンコツの記憶力はどうにかなりませんかね! あなたこの前も同じことしてましたよ」

「ごめん、ついうっかりさ」

「思い返せば、私が洗濯当番の時ばかりに同じ過ちを繰り返していませんか? 何です、嫌がらせですか?」

「いやいや、そんなはずないだろ。たまたまだよ。ほんとに悪かったって思ってる」

「こう繰り返し何度もやられては信用なりませんね。今回はティッシュ、この前は買い物レシート、その前はボールペン! 洗濯カゴに入れる前に必ずポケットを確認してとあれ程言っているではありませんか!」

「確認したつもりになってたんだ。わざとじゃないんだよ、ごめん」

「かもしれない運転を心がけてくださいといつも注意しているでしょう! ティッシュを入れたままかもしれないと。もし、かもしれない運転を出来ていれば、今回の事故は起こらなかったのです!」


 事故と言えば事故なので、言葉遣いは間違っていないのだが、間違っている気がする。もちろん怒られているナツキがそのことを指摘出来るはずもなく……


「うん、そうだよな。俺が悪いごめんなさい」

「いいですか! 今後はこのようなことがないように、必ずかもしれない運転を心がけてくださいよ!」

「はい、かもしれない運転を心がけます。なぁ、俺が悪いし、片付け手伝うよ」

「はぁ……もういいです、私がやります」

「あ、おい、ちょまてよ」


 ズボッ


 千景が喧嘩を切り上げ、ナツキの間を通って立ち去るかと思いきや、何やら妙な効果音が発生。その音の発生源へ二人して視線を向ければ……


「「……」」

「ナツキ」

「うんうんうん、分かってる。言いたいことは分かってる。とりあえずごめん」


 障子にナツキの腕がめり込んでいた。それはもう見事に肘の所までずっぽりと。相当な勢いの圧が障子に加わったに違いない。


「だって、一回やってみたかったんだ、壁ドン。この前テレビでやっててさ。状況的に今ならいけると思って、思いっきりドンってやったんだけど……」

「障子ズボができましたね、おめでとうございます」

「言わないでよぉ、もぉぉ。恥ずかしいんだからぁぁぁ」


 ナツキは顔を真っ赤にしながら反論するも、これは見事な障子ズボである。あのキムタクですら障子ズボはなかなか機会がないよう思う。おめでとうございます。


「千景、これどうしよ。腕を抜かなかったら大丈夫かな?」

「私は止めないですけれど、あなたはこれから障子として生きていくのですか?」

「はぁぁぁ、貼り変えるか。結構面倒なんだよ……うわっ!?」


 ナツキが障子の前で貼り変えの決心をしていれば、部屋側からいきなり腕が突き抜けてきた。


「あぁ、奈央。部屋に居たのですね。驚かせてすみません」

「いやいや、会話は聞こえていたから、面白そうだなと思って俺もやってみた。ほれスズもやるといい。障子ズボだぞ」

「あー?」


 ナツキが障子ズボをやった部屋に居た奈央とスズ。そして奈央に言われた通りにスズが一突きした。可愛らしいおててが廊下にこんにちはしている。


「キャッキャッ」


 本人は楽しかったようで、ニコニコしながらズボズボと遊んでいるが……


「気に入ったようだなぁ」

「スズ、ここの障子だけですよ? 他の障子でやらないでくださいね? ダメですよ?」

「キャッキャッ」


 千景の忠告を聞いているのかいないのか、恐らく聞いていないのだが、夢中で穴を開けているスズ。いつか家中の障子をやられそうで、とても怖い。


「良きかな」

「何も良くないですけど。他の障子もやったら奈央が貼り替えてくださいよ」

「あいあい」


 奈央はスズが楽しそうにしていることが一番なのだろう。ニコニコした笑顔でスズを眺めている。千景の忠告を聞いているのかも危うい。


「新しい障子紙どこにあったっけ?」

「外の納屋ではありませんか?」

「あー、あそこね。よし、スズ! とりあえず、この障子は貼り替えるから、ビリビリにやってしまう任務を君に与えよう。その方が貼り替えやすいし」

「あー、うぁー!」


 ナツキの言葉を聞く前から、心置きなくビリビリとしているスズ。しかし改めて障子破り係の任務を担ったため、先ほどより思い切りよく破っているような気がする。彼女が届かない高い所は、奈央が抱きかかえて破らせてくれた。


「キャー!」


 スズは障子を破ることが楽しいのはもちろんだが、奈央に抱きかかえてもらって高い場所に行けるのも楽しいのだろう。この家に来て、一番楽しそうな声で満喫している。そしてもちろん……


「そうかそうか、楽しいか。これが気に入ったのだな、スズ」


 デレデレに緩んでいる奈央。これは本格的に悪い予感がしてきた。


「ナツキ、今度買い物に行く時、障子紙を多めに買っておいた方がいいような気がします」

「うん、俺も同じことを考えてた。家中のやつをやられたとしても足りるくらい買っておくね」


 千景とナツキは同じ予感を覚えたようだ。

 貼り替えた傍から突き破られることだけは何とか阻止したい所であるが、恐らく近いうちにこの家の障子は全て新しく生まれ変わることだろう。めでたし、めでたし。

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