恩師の言葉のせいで

野上ちさと

恩師の言葉のおかげで

「恩師に言われた言葉のおかげで今のわたしがあります」


尊敬しているタレントがインタビュー記事でそう語っていた。そうか、わたしは彼を尊敬しているけど、そんな彼にも尊敬されるくらいの人が、この世にはたくさんいるのか。色々なものを色々な人から吸い上げて、彼はそこに立っているのか。


なんとなく新しい世界を知った気がした。上には上がいるなんて、当たり前のことなのに。


ふと考えてみると、わたしにも恩師と呼べる人がいないでもない。ただ、面と向かって会話した記憶はほとんどないし、相手はわたしのことなんかとっくに頭にないだろうけど。それでも、彼こそがわたしの恩師だと、そう思うのだ。


……尊敬をしているかと聞かれると、正直微妙。その人は高校の教師だ。担任や顧問ではなく、週のうちに数回ある授業で話を聞くのみの相手。彼は、授業に関係の無い話をよくする。下品な話だってするし、デリカシーのないことを言うことだってしばしば。


でも、彼の凄いところは自分なりの枠をしっかりと持っているところだ。しかもその枠の柔軟性は半端なくて、自由に組み替えることができる。臨機応変というよりも、取捨選択が上手といった印象を受けている。


彼のフィルターを通して捨てられた考え方でさえ、必要となったらまた拾い上げる柔らかさを持っていた。逆に、必要だと取っておいた考え方を要らないと思えばすぐに捨てる、そんな軟らかさを持っていた。


彼はよく、「失敗が人を育てる」といった旨の発言をする。挫折を多く味わった人間の方が挫折を味わったことのない人間よりも、ずっと信用できるのだという。


初めてそれを聞いたときは、心の中で彼を否定した。


わたしは正直、これまでの17年の人生で大きな挫折をした記憶が無い。小学校の学芸会ではオーディションに受かってネズミの嫁入りのお嫁さんを演じたし、高校受験は特にキツい思いをせずにさらっとパスした。高校に入ってからの検定試験なども、同じようにさらっと。


もちろん、部活のコンクールでいい賞をとれなかっただとか、よくできたと思っていた科目に限ってテストの点数が悪かったりだとか、細々とした失敗や挫折はある。でも彼のいう「人間を深める挫折」は経験していない。


それでも自分を、信用できない人間だとは思えなかったのだ。だから、彼の言うことは違うと思った。中学高校と部活では部長を務めてきたし、他の場所でもリーダーという位置に立たされることは少なくなかった。


でも、この自分を過信している事実が、彼の言うことを証明しているようだなと今になって思う。


人間として成長するには、高校2年生がちょうどよい。人間として多くの挫折を経験するには、高校2年生がちょうどよい。彼の言葉を真に受けて、わたしはこの先の人生をかけて、成長の機会を狙う。


挫折をより多く味わうためには、より多くの挑戦が必要だ。挑戦というのはたいへんコスパが良くて、成功すれば嬉しいし、失敗すれば学びが多い。所詮高校生の挑戦は、どっちに転んだって死にゃあしない。最悪の場合、誰かに怒られてしまうけれどその程度だ。


だからわたしはより多くの挑戦をしようと心がけている。より多くの失敗を、挫折をしようと。この文章を執筆したのだってそのうちのひとつであり、わたしは成功か挫折をこれによって学ぶこととなるのである。


糧にして、強く。大きく。逞しく。


そう考えると、そのために割ける時間がたくさんあった今年の春より前に彼の言葉に出会えてなかったわたしはなんて不幸なんだろう。


そう思考を回しかけて気が付いた。そしてため息をついた。違う、この考え方がダメなんだ。自分が自粛期間中に何もせずにだらけていたのを、この言葉に出会えなかったせいにする浅はかさが悪いのだ。



さあこれから、何を経験しよう。ずっと避けてきたスポーツに手を出そうかな。いい失敗が経験できそうだ。でも、本気になれないと挫折に昇華できない気がする。失敗と挫折の境目はそこだろう。


たとえば、わたしがちょっと前髪を切るのを間違えてもただの失敗だけど、プロの美容師さんが同じことをしてしまえば挫折に繋がりかねない。わたしが体育の授業でしたバレーでミスを重ねてもただの失敗だけど、プロのバレーボール選手が同じことをしてしまえばそれもまた挫折に繋がりかねない。


本気になればなるほど、失敗は挫折となる。それを鑑みると、わたしはいろいろな経験をするより先に、いろいろなことに興味を持って本気になる準備をするべきかもしれない。


そうと決まれば話ははやいので、興味のあることを深く調べるところからやってみようと思う。だから、この文章はここで終わりだ。


さて、有難い言葉をくれた彼のことを恩師と呼んでいいのか迷っていたけれど、彼に影響されて慣れない文章を綴って公開するなんて、それはもう。彼のことを堂々と恩師と呼んでいいだろう。


多くの挑戦を、多くの経験を、多くの興味を、多くの本気を、失敗を、挫折を繰り返した後、成長して、成長しきって、いつか大きな成功を手に収めたときに、ううん。成功なんて掴んでなくても、やるべきことを完遂したあとで、改めて恩師に感謝の言葉を述べたい。


あなたのおかげで今があります、と。


あなたのせいでたくさんの挫折をしました、と。

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恩師の言葉のせいで 野上ちさと @cachi

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