蝿の王、バルゼバブ

ぜっぴん

蝿の王、バルゼバブ

 朗らかな秋日和。紅葉が広がり始めた並木路にすっかり冷たくなった風が一吹き。午後3時は小学校では下校の時間にあたるので、通学路に面した公園には其処此処に児童が溢れている。

 舞い散ったイチョウの葉っぱを踏んで遊ぶ男子、ベンチに並んで座る女子。そして、そんな綺羅びやかで健やかな世界に似つかわしくない、何だか禍々しい男が一人。

「いや…本当にそうなんです」

「そんなバカな話があるわけないでしょう…?」

 きりがない馬鹿みたいな押し問答が繰り広げられている。

「いやあ…だってぇ…」

「うーん、そんなこと言われてもねえ」

 その男は職務質問を受けていた。素直に素性を話しているが、それがかえって男の怪しさに拍車をかけていた。

「いやあ、僕は別になんか悪いことしようってんじゃないんですよ」

「そんなカッコして何言ってんのよ」

「見た目で判断しないでよ。凶器も何も持ってなかったでしょ?」

「うーん、でもねえ、言ってる事が訳わからないもんねぇ」

 男がムキになって声を上げた。

「いやそんなのお巡りさんには分からなくて当然なんですもん。自分でも普通の奴だとは思わないですよ」

「うーん…」

 厄介なのは、内容こそ滅茶苦茶でも話してみると悪さをしそうな感じがほぼしないという事。それもまた男を怪しく見せる成分になってお巡りさんは困った。

「あんたねぇ、こういうときははっきりホントの事言ったら終いなんですよ」

「だから言ってるじゃない!」

「言ってないじゃないよ!」

「言ってるじゃないよ!」

「どこがよ!」

「だから僕は! 本当に〝悪魔の王、バルゼバブ〟なんだよ!」

「うそこけタコ!」

 男は一貫してそう名乗り続けた。


「バルゼバブってあれでしょ? 元々はバルゼブルで、カナンに帰ってきたヘブライ人からそうやって呼ばれ始めたあれでしょ? 元々はめっちゃいい神様だったけど聖書に書かれた悪評がまんまパブリックイメージとして世界に広まったあれでしょ?」

「大体そんなもんかな」

「それが?」

「僕ですよ?」

「舐めんなよ」


 埒が明かないのでお巡りさんは男の手を引いた。すると真新しく光る木のベンチが空いていたので、彼を左側に座らせ自身も右側へ尻を置いた。

「あんた、いつもその恰好なの?」

「そうね、まあそこらへんは人間と変わんないかもしんない」

「…? いやそうじゃなくて…あ、あじゃあいつもは違う服も着る感じ?」

「うんそっすね。まあ割と、この季節だとちょいと羽織る感じの。うん。カーディガンとか」

「ああ。なるほどね。ユニクロとか着る?」

「もう逆にユニクロとかしか着ないかもしんないすね。ほかはGUとかぐらい」

「あ全然服にはお金かけない感じだ? へえ、え、悪魔の王だよね?」

「そうですよ?」

「嘘つけよ」


 お巡りさんは次第に興味が湧いていた。設定を守りたいのか守りたくないのかよく分からないスタンスが気に入り、一体どこまで悪魔の王で居続けるのか確認する事にした。

「音楽とかは何聴く感じ?」

「うーん、サザンとかぁ…」

「え、サザン!? めっちゃ好きよサザン!」

「ああほんとに!? ええ、何聴きますいつも?」

「真冬の蜃気楼好きよ」

「ああ分かります! 冬の曲いいっすね」

「え、あんたは?」

「白い恋人達」

「それソロだね。桑田の」

「いやあ好きなんすよイントロとかクライマックス辺りとかマジ泣きます」

「確かにね。分かる分かる。サザンではなんかある?」

「波乗りジョニー」

「いやソロだよねそれ。桑田佳祐名義の代表曲だよね」

「サザンみたいなもんじゃないすか」

「いやそうだけど」

「もはやサザンだと思ってる人多いですよ」

「でもあたしサザンからって訊いたんだけどね? 他は?」

「若い広場」

「それもソロなんだよね。他は?」

「シーズン・イン・ザ・サン」

「それチューブなんだよね。他」

「あー夏休み」

「だからチューブなんだってそれ」

「キャンユーセレブレイト」

「もうサザン関係なくなっちゃった!」

 お巡りさんが頭を抱えて屈みこむと男は優しく背中を擦った。公園の和やかな雰囲気の中未だにその悪魔の王の姿は異様に目立ち続けている。


「お巡りさん…違う話、しようか」

「…うん」

「ゲームとかするの?」

「…うーん、あんまり」

「そっか」

「…昔っから好きなのはまだやってるかな。子供の時から好きな奴」

「なあに?」

「スマブラ」

「えほんと!? 僕もやるよ!?」

「…へ、ほんとに!?」

「いややるよやるよ! 何使ってる? 僕ピーチデイジー!」

「マジで!? あんなんマジ難し過ぎて全然使えないわ。あたしはピチュー」

「ええ!? そんな精悍な顔立ちでピチューて!」

「いやいいでしょ! 逆にこんなゴリゴリでガノン使ってるほうがネタでしょうよ!」

「はっは、そりゃそうだ!」

「いやー、良かったよ友達にスマブラやるやつ少ないもんでさ」

「ええ、友達とスマブラやるときとかない? 僕もよく友達とスマブラ合宿とかするよ?」

「あのさ」

「うん?」

「もう悪魔の王とかうそじゃん」

「え?」

「いや、だからもう普通に人間だったよ今」

「え? いやいやいやいや」

「何がよ」

「僕悪魔ですよ」

「嘘つけよ! サザン聴きながらスマブラやってユニクロで服買ってる悪魔なんかいねんだよ!」

「何でさ! ホントの事だって!」

「もういいわあんた」

「は?」

「もう帰れよ」

「はあ何? 何なのその僕がおかしいみたいなその感じぃ? いいし別に帰りますよそりゃ、こっちだって別に帰りたかったもん。別に。家帰ろうとしてるのに呼び止めたのそっちだし別に、もういいしもう、ほんと」

「いいわもう、帰れやさっさと」

「帰りますよ、帰りますからホント」


 半泣きで悪魔の王は立ち退いて行った。歩いて行くその後ろ姿と紅葉に染まる並木路の抱合せは、実に美しく映えていた。

「何なんだあいつ」

 お巡りさんが言いこぼした瞬間に、今の今まで男が座っていたベンチの左半身が不自然に腐っているのに気づいた。

 黒黒と変色した所に数匹の蠅が集っているのを見て、ゾッとした。

「…いや、そんなまさか」

 公園は未だ活気に満ちて輝いている。その世界はさっきよりも何だか、空気が澄んでいるように思えた。





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蝿の王、バルゼバブ ぜっぴん @zebu20

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