第55話 夢の中の子どもたち
これからモニカは、子どもたちの意識を奪い、操る。だからこれでみんなとはお別れだ。胸が張り裂けんばかりに痛む。
さよなら。さよなら。
さよなら、みんな。いってらっしゃい。
ブオン、ブオン、ブオンブオンブオンブオン……。
壁越しに不気味なエンジン音が轟いて、シャワーの吹き出し口から、何かの気体が流れ込んできた。
全身の血が逆流するような、怒りと、焦りと、絶望と、諦観と、緊張感。
モニカは部屋に充満する空気を吸わないように気をつけながら、そっと口を開けた。
始めよう、最後の音楽会を。
夢か現か 誠か嘘か
この世は正に胡蝶の夢なり
事情を知らない犠牲者たちは、ぎょっとした様子だった。確かに、この最悪極まりない境遇で歌い出すなんて、どうかしていると思うだろう。
子どもたちは早くもうつらうつらし始めた。モニカが魔力を強めると、たちまち子どもたちは眠りこけてしまった。……幸せそうに。
さあ、夢の世界へ行っておいで。苦しみも悲しみも何もない、自由な楽園へと。
川の流れは 子守唄
静かに眠る 水底の石
今宵も瞬く 星たちが
なき故郷ふるさとと 同じ空に
コルチャック先生やステファ先生が、子どもたちのそばで、苦しそうに呻き、もがき、喉や胸をかきむしり出した。
「ああああああああ!」
苦しそうな声があちこちから上がる。モニカは悔しさで身が焼き切れそうな思いがした。ごめんなさい。助けられなくて、ごめんなさい。
野原を駆ける 子どもたち
花々は咲き 蜂は飛ぶ
木漏れ日の道 生る木の実
ここは楽園 約束の土地
子どもたちは静かだった。ただ、ぐたりと力を失くしていくだけ。直立したまま眠りに落ちる。モニカの創る夢に導かれ、安らかに眠り、やがて、その呼気が絶える。それをモニカは凍りついた眼で見つめている。
夏の日差しが燦々と
緑の原に降り注ぐ
涼しい風が木々の葉を
さらさら揺らし夢心地
夏の休暇の別荘で
楽しく歌い踊りましょう
走り回って疲れたら
美味しいご飯を食べましょう
ああ素晴らしき「小さなバラ」
私たちの大切な真夏の夢の宝箱
サラ・クラヴィッツの頭が、モニカの肩にガックリともたれかかった。──死んでしまった。
大地が子らに 語ります
眠れ 眠れ 静かに眠れ
お空の月は 安らかな
子らの寝顔を照らします
ねんねんころり おころりよ
どの家の子も 夢の中
ヴィスワの川に 守られて
街はふうわり休みます
子どもたちはみんな行ってしまった。モニカだけを残して、誰も知らないところへ行ってしまった。
みんな、大好きだったのに。
もう子どもは一人もいなくなった。モニカは、魔法の歌をやめた。そしていっそう高らかに、「本当の歌」を歌った。先生たちに向けて、せめてもの恩返しに。
叶うものならもう一度
あなたと共に歌いたい
川辺にみんなと並んで座り
素敵な夢を見ていたい
しばらくして、ステファ先生の声が途切れた。
コルチャック先生の呻きは続いている。
太陽の煌めきは命の輝き
素晴らしきかなこの世界
愛に溢れた人々の
笑顔がきらきら輝いて
人々の声は、細く、ぎりぎりと絞られて……最後の呻きが、ぷつりと止んだ。
モニカは口を閉じた。まだ息は吸わなかった。涙だけがつうっと頬を伝った。
全員が死んだ。とうとう何もかも終わってしまったのだ。静けさが耳に痛い。
モニカはひとりになってしまった。
たったひとりのモニカ。
ひとりぼっちのモニカ。
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