第26話 希望を捨てるな
ドム・シェロトの子どもたちが辛うじて冬を乗り越えても、状況は悪くなるばかりだった。別の孤児院では孤児が二百人も死んだという。大人のユダヤ人も、強制労働の中でふざけ半分に殺されたりしている。もうここでは、人殺しが娯楽みたいに蔓延っているのだ。命も尊厳も何もかも軽んじられる。
そんな中、ワルシャワのユダヤ人居住区の周囲を壁で囲むようにとの命令が下った。これはもう明らかに、ゲットー(ユダヤ人強制集住地区)の建設の前兆に他ならなかった。
ゲットーという言葉自体は中世の頃から存在した。ヨーロッパにおいてキリスト教徒とユダヤ教徒が住み分けを行うにあたって、ユダヤ教徒の居住区がそう呼ばれていた。
しかしこの現代、ゲットーなるものがただの住み分けに用いられるだけとは全く思えない。閉じ込め、という言葉の方が近かろう。もちろんその中での生活は過酷なものになるに違いない。
手始めに、クロフマルナ通りにも木の柵が設けられた。曰く、ここがチフスなどの伝染病の源なのだという。確かに、衛生状況は非常に悪かった。病院ももちろんまともに機能していない。だがそんなものは建前で、これはゲットー建設の前触れに過ぎない。分かりきったことだ。
コルチャック先生は思案した。そして、春の間、全身全霊をかけて奔走した。
ゲットー建設前の最後の夏、子どもたちを「小さなバラ」で思いっきり遊ばせようと決めたのだ。
「モニカ」
コルチャック先生が直々に声をかけてくれたので、モニカはぴんと姿勢を正して、ちょっぴり嬉しそうに先生を見上げた。
「次の夏休みも『小さなバラ』へ行くよ」
「本当ですか?」
モニカはたいそう驚いて言った。
「今は、ユダヤ人は汽車に乗るのも難しいって聞きますけど」
「どうしても、今年は行かなくちゃいけないんだよ。それでね、モニカ、今回の夏季休暇のことをよくよく覚えておいて欲しいんだ。子どもたちがいつでも思い出せるようにね」
「分かりました」
モニカは頷いてから、首を傾げた。
「先生、今度の遠足は、もしかして、本当に最後の」
先生はピタッと人差し指を口に当てたので、モニカは続く言葉を飲み込んだ。
「今のところドイツは西の諸外国に連勝しているが、なに、じきに負けるさ。そうしたら私たちはまた自由になる。幾らでも『小さなバラ』へ行ける。今回はそれまでの、ほんの少しの間の辛抱なんだよ」
「……はい」
モニカは頷いた。そして、しばらく考えてから、おずおずと切り出した。
「私のお母さんは、魔法のない歌こそが『本当に美しい歌』だって、言うんです」
「ふむ?」
「だから私、『小さなバラ』では、先生のために、綺麗な歌を沢山歌います。大人の人に……先生に魔法を見せてあげられない代わりに、歌の思い出をあげます」
コルチャック先生はくしゃっと笑った。
「楽しみにしているよ。君の歌はどんどん上手くなっている。魔法もきっとそうなのだろう、子どもたちを見ていれば分かるよ。どうか希望を捨てずに、歌い続けて欲しい」
「はい」
みんな「希望」という言葉を使う、とモニカは思った。
絶望した者から死んでいく。
モニカは今一度、胸に誓った。
私はドム・シェロトのみんなのために、希望の歌を歌い続ける。決して諦めたりしない。夢を捨てたりしない。
どんなことになっても……この先どんなひどい場面に出くわしても、挫けない。
だって私には、優しい先生と、お母さんと、仲間たちがついているのだから。
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