第25話 子どもたちの未来
ユダヤ人の死者の数は増加の一途を辿っている。強制労働や伝染病でばたばたと亡くなっていく。下らない理由でナチスの人にどんどん殺されていく。
警察もゲシュタポ(ナチスの秘密警察)もSS(ナチス親衛隊)も、ユダヤ人をゴミのように扱うし、総督府はユダヤ人を取り締まる法令をどんどん追加する。
この地に住むユダヤ人は、表向きは「ユダヤ人評議会」が自治を行っているという体裁らしいが、この評議会はハリボテに過ぎない。議長に任命されたチェルニアクフさんは苦心して状況の改善に努めているが、これも功を奏さない。他の議員に至っては同胞に手酷く当たる始末。ユダヤ人コミュニティの中にあった優劣が浮き彫りになっていく。弱者の財産は没収され、労働力が搾取される。
加えて、事あるごとに人々は、ヒトラーの昨冬の発言を思い起こした。ヒトラーは国会演説にて、ユダヤ人の「絶滅」を示唆したのである。
絶滅。ただごとではない言葉だ。本来なら非現実的に聞こえるはずのこの発言も、今やポーランドのユダヤ人を心底怯えさせていた。奴らならやりかねない。いや、やるに違いない。
実際、ドイツにあるような「強制収容所」なるものが、ポーランドにも作られる計画だという。クラクフ近郊のオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)というところに、それらしきものを作れという命令が下ったらしい、と噂されている。
子どもたちは互いに噂をし合っている。「そのうち年寄りは銃殺されて、大人は収容されて強制労働させられる。残った子どもたちは、洗礼を受けさせられて、カトリックの家の子にされちゃうよ」。
ドム・シェロトの子どもたちはどうすれば良いのだろうか? 子どもは洗礼したら助かるとして、先生たちは殺されてしまうのだろうか。子どもたちの専らの懸案事項は、先生たちの安否なのだった。
でもそんなことをドム・シェロトの年長の仲間たちは、思っても口にしない。無闇に年下の子を不安がらせたくなかったからだ。
モニカはもっと事を深刻に捉えていた。ナチスはユダヤ人を「人種」と見做しているのだ。仮に子どもがキリスト教に改宗したところで、この腕章に象徴されるような「人種」の烙印が、取り消しになるものとは思えない。奴らが子どもにも手加減しないことは、空襲と占領でのドイツ軍の所業で証明されてしまっている。
「いや、モニカはまだ大丈夫な方よ。だって金髪だもの」
サラの発言にモニカは首を傾げた。
「金髪だから……何?」
「金髪碧眼の子どもは『アーリア的』だから優遇されるかもしれないでしょ」
「ふうん……? でも、『アーリア的』な見た目でも、『人種』は変わらないから、意味ないんじゃないかな」
「……そうね。でも少しは気持ちが楽にならない?」
どうだろうか。モニカにはよく分からなかった。ただ単にこの見た目に生まれたというだけで、仲間たちを差し置いて助かることに、意味はあるのか。いや、仮にそのうち助かるような未来が待っていたとしても、まずこの冬を乗り越えなければお話にならないのだが……。
ポーランドの冬は厳しい。じきに飢えと寒さが子どもたちの命を削りに来る。
ちなみに、モニカは子どもたちに対して、お腹をいっぱいにしたり、体を温めたりする魔法を、かけてやることは無かった。
魔法は所詮、夢に過ぎない。本当に命を救ってくれる訳ではない。夢見心地のままでは死んでしまう。何しろ、体が温まっていると頭が勘違いしてしまっては、体が自分の身を温めるための活動を放棄してしまう。
「炉端」という歌がある。言葉を覚えるための童謡だ。歌詞はこんな風である。
暖炉の中で火は燃えて、
お家の中は暖かい。
ラビ(聖職者)は子供たちに教えます、
アレフベイ(アルファベット)を。
この歌で魔法を使う時は、モニカは特に気を遣った。「お家の中は暖かい」だなんて余計な感覚を、子どもたちに与えないように努めた。
子どもたちよ、思い出してごらん、
ここで学んだことを。
何度も何度も繰り返しましょう、
「最初の音は o(オー)!」
「o」と歌うと同時に、モニカは沢山の「oオー」の文字を空中にばら撒く。子どもたちはそれを捕まえようと飛び跳ねる。手でパシッと捕まえると、文字が小さな花火のように爆ぜて消える。ぴょんぴょこ動き回る子どもたちは、結果的に体が温まる。こっちの方がずっと安全だ。
もちろん、少ないカロリーで生きている子どもたちの体力を余計に奪わないための配慮というのも、必要になってくるわけだが……。
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