第3章 戦争の始まり
第21話 ワルシャワ空襲
ドォンという轟音でモニカは飛び起きた。
他の子どもたちも何事かと起き出す。
夜空が異様に赤かった。真っ黒い煙がおどろおどろしく上がっている。立て続けに鳴る爆音が、ドム・シェロトの壁を不気味に振動させた。
炎。
街が燃える。
火の雨が降っている。
「……空爆だ」
モニカは呆然として呟いた。
そんな、どうして。宣戦布告も何も無かったのに。
ナチスの軍が、ワルシャワに飛んできた──!
年少の子がわけも分からずに泣き始めた。モニカは慌ててその子に寄り添って肩を撫でた。
「みんな! 姿勢を低く! 地下室へ行って!」
サラが大声で言った。
すぐにスタッフの人が駆け込んできて、子どもたちを誘導した。
地下室にぎゅっと集まった孤児院の仲間たちは、身を固くして、ただひたすら恐怖が去るのを待った。街が壊され、焼けていく音は、朝が来るまで絶えることはなかった。
この間、コルチャック先生はいなかった。先生はラジオ局に駆けつけて、ワルシャワの市民に声掛けをしていたのだ。
「市民の皆さんは、落ち着いて避難を。隣の家同士で協力して……」
地下で、しかも爆音が立て続けに轟いていたので、ラジオ上の先生の声は途切れ途切れにしか聞こえなかった。
朝になると、ポーランドの軍服を着たコルチャック先生が現れた。そして陽気に言ってみせた。
「みんな、無事かい。お腹が空いただろう。まずは朝ご飯だ」
ようやく子どもたちの表情が緩んだ。
パンを食べ終えると、先生たちは空襲に備えるために必要なものを揃え始めた。
「俺たちもやります」
シモンは言い、年長の子どもたちがそれに続いた。最初はコルチャック先生は断っていたが、「ここは俺たちの家です」というシモンの言葉で渋々折れた。
モニカたち上級生は、先生たちと一緒に屋根に上って、バケツで砂を運んだ。水も確保した。
屋根の上から見るワルシャワの街は酷い有り様だった。
歴史ある建物が崩れ、燃えている。人々は惑い、泣き叫び、恐慌状態に陥っている。或いは黙々と、家の前に土嚢を積んでいる。
遠くの壊れた家屋の前で、うずくまって震えている人がいる。その足元に横たわっているのは──モニカはさっと目を逸らした。殺された人を見るのは初めてだった。
以後、ワルシャワ市民やポーランド軍は必死に抵抗したけれど、ドイツ軍の戦力の前では全て焼け石に水だった。空襲は昼夜を問わず行われた。特にユダヤ人の住んでいる地区は集中的に狙われた。
道路にはガラスや壁の破片が散らばった。犠牲者の血がそこら中に流れた。
そして、非道なことに、ユダヤ系の孤児院もまた彼らの標的だった。
ある孤児院は徹底的に破壊された。血だらけの子どもの死体が道路に散乱していた。ある子どもは体を引き裂かれて、ある子どもは脳味噌をぶちまけて、道端に転がっていた。
そして、ドム・シェロトにも魔の手が伸びる。
ある日の昼過ぎ、ドム・シェロトの窓ガラスが恐ろしい音を立てて割れた。食堂のすぐそばで焼夷弾が破裂したらしい。地下に逃げる暇など全く無かった。
キャーッと子どもたちがパニックになる。
ステファ先生が駆けつけて、子どもたちに急いで机の下に潜るよう指示を出した。モニカは小さい子を抱えて、机の下で体を縮めた。
(コルチャック先生はどこ?)
モニカは恐怖で歯をガチガチさせながら考えた。
(無事なの? ここは一体どうなるの? みんな壊されちゃうの?)
永遠とも思える時間が過ぎた。しばらく経って、何とか壊滅を免れたドム・シェロトにて、ようやくその声を聞いた時、モニカたちがどれ程安心したことか。
「どうやら私は隠れなきゃいけないみたいだ」
先生は子どもたちの前に現れて、茶目っ気たっぷりに、自分のぺかぺかの禿頭を指差した。
「私の頭は、奴らの格好の的になってしまうからね!」
でも実際のところ先生は、ちっとも隠れる様子はなかった。
先生はすぐに他の大人たちと協力して、ドム・シェロトの屋根の消火活動を始めた。六十一歳の老体ながら、先生は機敏に働いた。
モニカは年下の子たちを宥めるために歌いながら、カヤはどうなっただろうかと考えた。
いつ空襲が来るか分からないこの状況で、人魚の世界に行くことは危険だ。しばらくは会いに行けない。
どうかこの恐ろしい日々が一刻も早く終わりますように。この子たちが死の恐怖に怯えることなく過ごせる日々が戻ってきますように。
モニカにはそう祈ることしかできなかった。
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