第19話 川で泳ぐ

 さて、ひとまず勉強によって目の前の負担を軽減することができたモニカは、次の土曜日に時間を見つけて、延期していた夢の世界への旅行を実行した。


 行ってみると、いつもの川辺にカヤが居なかった。こういうことは前にもあったので、一人でふんふんと鼻歌を歌いながら気長に待った。

 今日のところは諦めて帰ろうかという頃、バシャッと音がしてカヤの顔が川面から現れた。


「ごめん。待った?」

 濡れた髪を掻き上げて問う。

「そんなに」

 モニカは川の方へ駆け寄って、しゃがみ込んだ。


「最近は忙しいのよ。訓練が始まって」

「く、訓練……」


 それはつまり、戦う訓練ということで、戦争がいよいよ近づいているということなのかしら……?

 不安そうに顔を曇らせるモニカを見て、カヤは慌てたように言った。


「嫌ね、念のためよ、念のため」

「でも前にカヤは、ポーランドがいなくなる、って言ってました」

「予知は当たらないことがあるの。それにポーランドがいなくなったとしても、ワルシャワはなくならないわ。私は市民の生活を守るだけ」


 特段、慰めにはならなかった。要するに市民の生活が今以上に悪くなるということは確定しているのだから。


「そうだ、モニカ、あなた息は今どれくらい止めていられるの?」

「え、息ですか? ええと、五分くらい……」

「充分。こっちへいらっしゃい」


 カヤは手招きした。


「川に?」

「ええ」

「私、うまく泳げないんです」

「あら、そうなの? 大丈夫よ、私が連れて行くから。ちょっと見学してらっしゃい」


 カヤが笑って待ち構えているので、モニカは思い切って川に飛び込んだ。

 浸かってみれば、水は程よく冷たく、流れは緩やかで、心地いい。


「あら、上手に浮かべるじゃない」

「でも、前には進めなくて」

「平気、平気。さあ息を吸って」


 モニカは肺をいっぱいに膨らませた。


「行くよ」


 ざぶん、とモニカは頭を川に潜らせた。


 カヤは快速で水中を進み出した。

 水はとても青くよく澄んでいて、「小さなバラ」の小川を思い起こさせた。でもずっとずっと広い。

 川の下の方は思ったよりも深くて暗かったが、不思議とモニカはこわくなかった。底では丸い宝石のような石がきらきらと光って見える。

 しばらく行くと、三人の人魚がすばしこく泳ぎ回っているのに出会った。みな盾と剣を持っている。


「水中での立ち回りの訓練中よ」


 カヤは紹介した。モニカは口をしっかり閉じたまま、目を丸くしてその光景を眺めた。


「目的地に素早く辿り着くための訓練。この川はワルシャワの色んなところに繋がっていて、市街にいる兵士を水中に引き摺り込んだりできる」


 剣が翻る。鱗が煌めく。体全体がしなやかな曲線を描く。舞でも踊っているようだ。


 少ししてから、カヤは「頃合いね」と言って水中を急上昇した。そしてモニカが苦しくならないうちに水面へ連れ出してくれた。


「面白かった?」

「はい」


 モニカは手で顔を拭いながら頷いた。カヤは川岸へと泳ぎ出した。


「もう少し息が続くように、あなたも訓練してみなさい。もっと面白いものを見せてあげる」

「本当?」

「もちろん。さあ、そろそろ人間界へ戻りなさい」


 モニカは抱き上げられて、陸に上げられた。


「また来ます」

「ええ。今日みたいに居ないことも増えると思うけれど、その時は日を改めて頂戴」

「そうする」


 モニカは人間界でぶつぶつ歌うのをやめて、夢から覚めた。


 あんなにも優雅で美しい舞が、人を殺すためのものでなければどんなに良かったか。でも、また見に行きたい。人魚の生活をもっと知りたい。


 よし、呼吸を止めていられる時間を長くしよう。人魚が一時間なら、単純計算でモニカは三十分いけるはず。

 ……すぐには、無理そうだけれど、大きくなったらきっと。

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