第18話 新聞作り
モニカはカヤに会いに行くのを少し先延ばしにした。コルチャック先生の助言に従って、今、世界で何が起こっているのか、自力で調べるためだ。新聞や本を読み、必要な情報を拾い上げる。
ドイツにおいて、ユダヤ人の差別政策は着々と進行してきたが、「ニュルンベルク法」とされる幾つかの法律が制定されて以降は、よりそれが過激化しているようだ。
因みにこの法律でユダヤ人の定義が決まった──本人がユダヤ人コミュニティに属していたり、祖父母のうち三人以上がユダヤ教徒だったりした場合、その人は「人種的に」ユダヤ人だというのである。ナチスはやはり宗教と人種をごちゃまぜにしているらしかった。
また、ヒトラーは「ドイツ人の生存圏拡大」を標榜して領土を拡張しているらしい。即ち、領土を広げてドイツ人の住む場所を確保すると共に、そこから非ドイツ人を排除するということだ。
全くもって自分勝手な政策である。自分たちばかり優遇して、他の人たちは死んでも良いというのだから。ドイツ国内にはユダヤ系ドイツ人だっていっぱいいるだろうに、彼らの居場所はドイツ領内には無いのだ。
先日のポグロムも、ドイツ全土で発生した他、併合されたばかりのオーストリアやズデーテンでも起こったという。
モニカはこれらのことを、サラの助言を得ながら、分かりやすく文章にまとめた。それから、完成した幾つかの原稿を、ドム・シェロトで発行している「週刊新聞」の編集部員のところへ持っていった。
編集部員の先輩は大いに喜んだ。
「あなたの記事は、チビちゃんたちの凡百の投稿よりずっと価値があるわ。土曜日に先生がこの記事をみんなの前で読み上げるのが楽しみ」
モニカはサラにお礼を言いに行った。サラは自習室で黙々と歴史の勉強をしていた。傍らには、とうに片付けたらしい学校の宿題が、無造作に置いてある。
「そういえばサラは、新聞作りはしないの? あんなにいっぱい投稿しているなら、編集部員になればいいのに」
「ううん。私は投稿を取捨選択したり、文字を揃えたり、レイアウトを決めたりすることに時間を割きたくないの。まだまだ勉強することが沢山あるんだから」
現段階でだって呆れるほど勉強しているのになぁ、とモニカは思った。ヘブライ語をまるで母語みたいに操る十一歳の孤児なんて、聞いたことがない。それなのにサラはこれからドイツ語まで勉強するという。
「この御時世、ドイツ語を覚えておくことは損じゃないはずだと思うの。ドイツ語がひと段落したら、次は英語」
「すごいね。幾つの言語を覚えるつもりなの」
「まだまだこれからよ。大学の勉強のためにはラテン語は外せないし、あとロシア語とフランス語とエスペラント語も悪くないわね」
モニカは目を回した。
「そんなに!」
「語学力があればいずれ何とでもなると思うの。ユダヤ人の女性でも、ね。どこの国でもいいからお金を貯めて大学へ行くわ。本当ならイギリスやアメリカが望ましいけど、その辺は学費がべらぼうに高いのよね……」
「大学なら、ワルシャワやヤギェウォじゃだめなの?」
「もちろん、それができたらそうするわよ。ただ、今じゃポーランドの大学はどこも、ユダヤ人を隔離して講義をやってるって言うじゃない。その点、英語圏の方がユダヤ人に寛容でしょ。今のところアメリカなんかはドイツのやることに反対だし。イギリスもそう」
「……そうだね」
モニカはサラの夢を否定する言葉をぐっと飲み込んだ。
孤児が自力で大学へ通う資金を捻出するなんて途方もなく難しいことだ。それにユダヤ人は今や、イギリスやアメリカにさえ、なかなか移住させてもらえない。移住先の国々では、「ユダヤ人に仕事を奪われた」として政府に不満を抱える者が出始めていて、各国はユダヤ人の受け入れに慎重になっているのだ。残されたユダヤ人の首はじわじわと絞められている。
サラが大きくなる頃にはもしかしたら状況は良くなっているかも知れない。その可能性はある。
だがやはりモニカには、そんな明るい未来を思い描くことができないのだった。以前から、未来に良いことが起こる予感はしていなかったけれど、もしかしたらこれはカヤのやっていた予言に近いものなのかもしれない。
モニカは小さく息を吐き出した。
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