1章 サイヴェルの長い一日

一話 『この世界の常識は非常識』

「いや、まさか本当に何も知らないなんて思わなかった」


 そう嘆息混じりに呟きながら、これからどうしたものかと額に手を当てながら考えているカザネの正面、テーブルを挟んで対面でハヤトも頭を抱えていた。

 結論から言えば、ハヤトの持つ常識のほとんどがこの世界では通用していなかった。

 ハヤトの知る限り、魔法なんてものは存在していなかった。

 ハヤトの知る限り、超常のチカラなど嘘偽りに過ぎなかった。

 ハヤトの知る限り、神の存在なんて寄る辺を求めるための空想だった。


 ――カザネの言う限り、それら全ては常識として存在していた。


「つまりは、キミの暮らしていた場所では魔術とかは発達してなくて、その代わり、誰もが平等に扱える技術が発達していたということかな?」


「まあ、大体そんな感じだと思う。正しくは、誰しも等しく恩恵を受けれる技術、だと思うけど……」


 ハヤトとしては電気などを扱っているわけではなかったはずだ。あくまで、恩恵を受けていただけ。どういう原理で、その恩恵を受けることができていたかなど考えたこともなかった。

 故に、あくまで誰かが扱っているその技術の恩恵を受ける。それがハヤトの感じていたハヤトの世界での技術だった。

 反面、この世界の技術は正しく平等だった。

 使えない者は恩恵すら受けられない。それがこの世界での技術の常識だった。


「うーん、そしたらどこから説明したものか……おそらくはキミの暮らしていた国の当主サマは、ある種の不平等さを受け入れられず、ある意味での平等さを追い求めたんだろうな……となると魔術って技術を発達させなかったのは納得だけど……」


 ウンウンと唸りながら、こめかみを掻いたりと、カザネはハヤトの世界を理解しようと試みているようだが、今必要なのはそうではない。


「いや、俺の国では郷に入っては郷に従えって言葉があってさ。その場所の習慣とかやり方に従えって考え方なんだ。だから、ここでは魔法を使うってなら、やり方は知らないけど、そうするよ」


「そうは言ってもねぇ……」


 どこか躊躇うような表情をしながら、それでも背に腹は変えられないと、カザネは意を決したように息を吐いて


「普通に考えて、魔術を一切扱えないっていう状況が当てはまるのは赤ん坊とかなんだ。申し訳ないけど、ハヤトくんをそう当てはめると、僕が一からその技術を教えて、今のキミと同じくらいの年齢の人たち同様に扱えるようになるには、同じようにキミの年齢分の時間が必要になる。正確に言えば、もう少し短い。いってせいぜい十数年程度かもしれない。でも……」


「そうなってる頃には、ってことか」


「うん、それに僕もそんな長い時間ここに滞在することはできない。僕が教えられるのは生活に困らない。せいぜいがその程度だ」


 見放すみたいで悪いけど、と最後に付け加えて、カザネは黙り込む。

 ただ、むしろそれだけのことをしてくれるだけで十分なのだ。本来であれば、気を失っていたところを、そのまま放置されてもおかしくなかった。それを助けてもらっただけではなく、こうして親身になって話を聞いて、この世界に関して教えてくれているというだけで十分すぎるほどなのだ。

 だからこそ、ハヤトはカザネの言葉に感謝の意を込めて、首を横に振る。


「いや、それだけで十分です。むしろ、感謝してもしきれないぐらいです」


というか、と苦笑交じりに付け足して、ハヤトは相好を崩した。


「随分、遅れてしまったけど……ありがとうございました。助けてくれたのもそうですけど、こうして何も知らない俺にイチから教えてくれて、感謝してます」


「そっか、うん。わかった。とは言えだ。さっきも言ったように僕に教えられることは教える。それまではここにいてくれていいからさ。というか、それくらいはさせてほしい。じゃないと助け損ってやつだからね。あ、住み心地の悪さには目を瞑ってほしいな。調査のために寝泊まりしてるだけの場所なんだ」


 にへらと笑いながら頭を掻いて、カザネは立ち上がった。

 先程、転がるように外に出たときはまだ日は真上になかった。もしハヤトの世界と同じ法則ならば、時刻は昼前。話し込んでいた時間を考えても昼過ぎくらいだろう。

 話の節々から推測しているだけではあるが、カザネはここに調査に来ている研究員といった立場なのだろう。ともすれば、時間帯的に昼飯を取りにセーフポイントまで戻って休憩を取ろうとした、というところだろうか。

 そして、立ち上がったということは、その休憩をやめて調査に戻るということで。


「さて、ハヤトくん。ついでだし、キミも一緒に来るかい?」


「は、はい?」


 助手的なことを期待しているのであれば、それは難しい。

 なにせ、つい数時間前までコミュニケーションというものを、ほとんど取ろうとしていなかった人生を歩んできたのだ。それは事務的な、どうしようもない場面でようやく言葉を交わす程度であり、つい先程、生き直そうと思い立ったからと言って、すぐに助手なんてこと、できるはずがなかった。

 そんなハヤトの焦りが顔に出ていたのだろう。カザネは苦笑しながら違うと否定して言葉を続ける。


「別に今日の調査はもう終わってるんだ。というか、正確には昨日設置してた機器を回収するだけだからね。で、今からなんだけど、その回収した機器をサイヴェルまで持っていって解析しようと思うんだけど……キミも来るかい?ってこと」


「い、行きます!」


 腰に手を当てて、したり顔で解説するカザネにハヤトは体を机から乗り出しながら即答。そのハヤトの勢いに、今度は逆にカザネが焦る番だった。



     *        *        *        *



 曰く、サイヴェルは要塞都市である。

 曰く、にも関わらず、サイヴェルは学問を重視する都市である。


 ――曰く、来たるべき時に備えろ。その時、対処するために。



「それが、これから向かうサイヴェルに伝わる言葉。僕らカルミナの研究員は、サイヴェルが対象としていたモノは、あの森だったんじゃないか、と睨んでいるんだ。つまり、サイヴェルが要塞化してまで監視して研究を続ける必要があった何かが、あそこにはある。僕らはそう睨んでいる。まあ、今は平穏な街そのもの、なんだけどね」


 現在、ハヤトはカザネが操る馬車の荷台に乗ってサイヴェルという名の街に向かっていた。いや、正しくは馬車ではないだろう。なにしろ、引いているのが馬ではない。

 二足歩行の、恐竜のような、ラプトと呼ばれる生物。明らかに重そうな機材とハヤト。そして、カザネとそれらを乗せる荷車。それらを一体で軽々と引いているのだから、その力は推して図るべきなのだろう。

 その道中で手持ち無沙汰だろうから、とカザネがサイヴェルについて軽くレクチャーしてくれていた、というわけだ。

 事実、見れば小屋から見たときは気が付かなかったが、かなりの高さの壁に囲まれた街であることがわかった。どうやら広大な草原と巨大な森のせいで遠近感がバグってたようである。


「洗濯物とか乾かすの大変そうですね」


「ははは、そう思うよね。でもというわけじゃないんだよ」


 見当違いなハヤトの言葉に苦笑交じりにそう言いながら、カザネは街を指差して


「ほら、いくつか屋根が見えるだろう? あれってなんでだと思う?」


「いや、あの壁より高い建物がある、だけ……えっ、まさかそういう?」


「うん、あれ、実は壁の中で底上げしてるんだ。門のある場所に昇降機があって、それで街まで登るんだ。門を突破されたら一気に街というわけじゃない。むしろ門を破壊して突破するようなことをしてしまえば、昇降機を壊すことになって、街に侵入するすべは、壁をよじ登る以外になくなる」


 アルファベットのTを横倒しにしたような形を両の腕で作って、簡単にサイヴェルという街のシステムを解説するカザネ。

 なるほど、たしかにそれなら門を突破された際の袋小路の問題も多少は解決するのかもしれない。


「もちろん、門も一箇所じゃなくて、複数箇所存在してるから混雑の心配もない。まあ、警備の問題で入ることができるのは大門のみだけどね」


 ともかく、壁の中の地面が高いところに存在しているのであれば、影になる範囲も時間も短く済むのかもしれない。つまりは、ちょっと標高が高いところにある盆地のようなものだということだ。


「まあ、俺が考える程度の問題を解決できないわけがないよな」


 当然である。なにかに突出した才能があったわけではないのだ。そんな平凡な少年だったハヤトの考える程度の問題点など、普通に考えれば分かる程度の問題点で、それを解決しないわけがない。


「で、俺は着いてきてるだけだけど、街に入ったらどうすればいいんです? さすがにいきなり別行動、なんてことはやめてほしいんだけど……」


「いや、そんな無責任なことはしないよ。先に機材を置いて、その後に案内するから、そしたら別行動にしよう」


  全く見知らぬ土地に放り出される、という心配はなくなったわけである。そのことに、ほっと胸を撫で下ろしつつ、ハヤトは、そういえば……と、ふと思い出したように尋ねた。


「さっきも言ったんですけど、俺、魔法ってのがよくわからないんです。聞く限りだと、ソレが扱えないと生活に不便って感じだと思うんですけど……」


「うん、その認識だと少し間違ってるかな。正しくは、魔法ってのは限られた人たちが使える特殊な事象を操る法則。僕らが使ってるのは魔術。たとえば……」


 そう言いながらカザネは荷車の横にぶら下げていたカンテラを取り、一言。


灯れアデット


 昼ということもある。そのせいもあってわかりにくい変化ではあった。

 だがそれでも、その一言で、何も弄っていない、正しく言えば、紋様が描かれていた石が中に入っているだけの、カンテラに光が灯った。

 ハヤトとしてはそれが魔法とどう違うのかが理解できない。

 感覚としては、スマートホンに入っているアプリを経由して部屋の明かりなどの家電を起動させるのと同じような感覚なのだろう。だが、そのカンテラにそのような複雑な機能が搭載されているようには見えない。


「これが、魔術。起動式と媒介を利用して少量のマナを流し込むことで誰でも利用できる技術。そして、魔法は自分自身がその起動式と媒介となるんだ。僕はそっち方向には精通してないから、実演はできないけど、このカンテラの明かりで例えると、詠唱したら光の玉が顕われる、みたいな感じをイメージするといいよ」


 つまりは、用意された1から様々な現象を起こすのが魔術で、0から自身を利用して魔術と同様の現象を起こすのが魔法というわけだ。

 とは言え、問題がある。カザネの言い分だと、魔法は才覚によって使用できるか否かが変わってくるようではあるものの、魔術はそうではないらしい。しかし、ハヤトはマナを流し込むという方法を知らない。魔術のイロハを全くと言っていいほど知らないのである。

 なるほど、これが生活に困る点ということだろう。

 おそらくは、ハヤトの世界で言うところの、家電に電源を入れる行為やコンロの火を付ける行為などと同様に、この世界では魔術を利用して生活を営んでいるのだ。

 そうなると、必然的に魔術が扱えなければ、生活することすら困難になる。一人で原始時代の生活を送るのとなんら変わりなくなってしまう。

 正直、甘く見ていた。仕事の業務に差し支えがある、その程度の問題だろうと思っていた。それならば肉体労働でもいいか、なんて考えていたくらいである。

 そうして現実に直面して、息を飲んでいるハヤトにカザネは


「まあ、心配いらないよ。マナの扱いに関しては僕が責任持って習得できるまで付き合うからさ。もしかしたら、ハヤトくんが知らなかっただけで、キミには魔法の才覚があるかもしれない。まあ、その辺りも確認するのも兼ねて、サイヴェルに行くとしよう」


 学問都市の反面を持つサイヴェル。おそらく、そこには当然だろうが、魔術や魔法に関する研究機関も存在しているのだろう。

 そして、そのサイヴェルが存在している国の研究員であるカザネには、その機関にコネもあるのだろう。

 それも踏まえての案内ということだ。感謝してもしきれない。返しきれない恩が着々と溜まっていくのをハヤトは感じつつ、しかし、今はそれに甘えるしかできないことを自覚して、一息。


「何から何まですみません。助かります」


「ううん、どういたしまして。さて、そろそろサイヴェルに着くよ。検問があるけど、僕がだいたい説明するから、ハヤトくんは大船に乗った気分で任せておいてくれ」


 見れば、すでに遠かったサイヴェルの外壁はほとんど目と鼻の先まで来ていた。改めて、その巨大さに唖然としつつ、ハヤトは内心で高ぶり始めている感情に戸惑いを覚えつつも、その光景を目に焼き付けるのだった。

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