第8話 初相談

ピン、ポーンと僕がボタンを押すのに合わせて、お馴染みのチャイムの音が響いた。学校から歩いて15分ほどの所にあるマンションから見る景色は、普段自分が住んでいる街とは思えないほどに綺麗だった。流石は一四階である。


「反応がないわね。」


チャイムを鳴らしてから少し後、隣にいる姫野が痺れを切らしたかのように言った。ちなみにツバサは何やら用事があるようで、今日は来ていない。僕はもう一度ボタンを押す。ピン、ポーン。


「出ないね。…君、ホントにここで間違いないの?」


「間違いない。一時期はよく遊びに来てたから。」


「それにしても、君に遊ぶ友達がいたなんてね〜。正直言って意外だよ。」


昨日、僕指名で送られてきた相談は、小学校時代の僕の親友である(といっても遊ぶような友達がそいつしかいなかったから、必然的に親友ポジにいるわけだが)黒石の母親から送られてきたものだった。相談内容によると、黒石はどうやら中学校の頃から引き籠るようになり、現在は部屋からも、トイレ以外一歩も外に出ないような状況らしい。そして息子をどうにかしようと思った母親が、たまたまCIAのサイトを見つけ、藁にもすがる思いでサイトを開いてみた所、僕の名前を見つけたという事だ。


「…留守みたいだね。出直そっか。」


「ちょっと酷くない?向こうが時間指定してきたくせにいないなんて。」


「まぁ確かに。」


「ああ!ごめんなさいね。ちょっと買い物に行ってて。マコト君?大きくなったねぇ。」


唐突に話しかけられたので振り返ってみると、そこには40代後半といった所の女性が近くのスーパーで買ってきたと思われる大量に食料の入ったレジ袋を持って立っていた。


「お久しぶりです。おばさん。」


黒石の母親は、僕の覚えている姿とはまるで違っていた。昔はもっとふっくらとして健康そうな顔をしていたのに、今ではすっかりと痩せ、目の下にはクマができていた。美人で評判だったおばさんは、それでも美人に変わりはないのたが、かつての若々しい感じは失っていた。


「ごめんね、待たせちゃって。…お隣にいるのは彼女さん?随分と可愛い子だねぇ。」


どうしてみんな姫野の事を僕の彼女だと思うのだろうか。どう考えても、姫野と僕じゃ釣り合わないだろう。…つまり僕には高嶺の花だ。何となく沈んだ気持ちになるので、僕は軽く否定して本題に移った。


「黒石、どうしたんですか?」


「それがねぇ、ホントに困っちゃって。…ごめん、家じゃ息子がいて話せないから、どこかのカフェにでも行かない?私が奢るから。ちょっと待っててね。」


おばさんはそう言うと家に入っていった。食料を仕舞いに行ったのだろう。


「随分と疲れてる様子ね。相当息子に手を焼いてるみたい。でも、すごい綺麗な人ね。…黒石君って、どんな人なの?」


「黒石かぁ。最後に会ったのは小学校の卒業式だからなぁ。それ以来連絡も取ってないし。」


「親友だったんでしょ?連絡先すら交換しなかったの?流石はチキンね。」


「別にそんなんじゃねーよ。お互いスマホ持ってなかったし、家の場所とかは知ってたけど忙しくて何となく疎遠になっただけ。」


黒石といつどうやって出会ったのかは正直あまり覚えていない。まぁ多くの人は小学校の時の友達をどうやって作ったのかなんて覚えていないだろう。気づいたら遊んでた、こんなもんな筈だ、僕はよく分からないけど。とにかく僕が黒石について覚えている最初の記憶は、小学校一年生の昼休みの時だ。その頃から僕はすでにぼっちの片鱗を見せ始めていたので、これはいけないと思い誰か話す人を探していた。そんな中、黒石は昼休みにも1人で自由帳に一生懸命何かを書いていた。僕はてっきりその頃流行っていたアニメのキャラクターでも書いているのかと思って、意を決して1人でいる黒石のところに話しかけに行ったのだ。


「何してるの?」

すると黒石は僕の事をジーっと観察した後に言った。


「ネットって分かる?」


「えっ?」


僕は驚いた。ネットとかパソコンとか、勿論知ってはいたが、お洒落なカッコイイ大人達が使う未知のものだと思っていた。それが、まさか自分と同い年の子供の口から出てくるなんて思いもしなかった。


「僕は将来、ネットで世界を支配するんだ。」


「世界征服?そんな事できるの?」


「できるよ、ネットには世界中の情報が詰まってるんだ。これを全部奪う事が出来たら、僕は世界を支配できる。」


黒石は淡々と語った。情報を手に入れるとどうして世界を支配できるのか、世界を支配するのは悪者の役目で、最後にはヒーローにやられてしまうのではないか、そして何より、自由帳に書いてある訳の分からない数字や単語の羅列に、僕は戸惑った。僕としては、好きなアニメやゲームの話がしたくて話しかけた訳なのだが、黒石の世界を支配する、というフレーズに興奮したのも事実であった。黒石は前から変わっているなぁとは思っていたが、こんなにも大人っぽくてカッコいいとは思っていなかった。


「それって、僕にもできるのかな?」


気がつくと、僕はそんな事を口にしていた。


「…一緒に、やる?」


黒石は無表情で言う。こうして、僕と黒石は本当の意味で「出会った」。


「ごめんねー、待たせちゃって。じゃあ行こっか?」


おばさんが家から出てきた。僕と姫野は一瞬顔を見合わせ、それからおばさんの後を追った。


「それにしても、CIA?だっけ?マコト君がこんな事してるなんてねぇ。」


「まぁ、僕もあんまり乗り気じゃないんですけどね。まさかホントに相談が来るとは思わなかったし。」


「それより、相談内容は黒石君の事ですよね?何があったんですか?」


それがねぇ、とため息をつきながらおばさんは言った。


「まぁいろいろあったみたいだけど、ざっくり言うといじめなのよねぇ。」


「いじめ、ですか。」


おばさんはそうそうと言いながらサクサク足を進めた。100メートルほど先に大手のチェーン店が見える。どうやらあそこに向かっているようだ。

それにしても、黒石がいじめとは。僕の知っている黒石は、周りの目なんて気にせず、自分の好きな事を好きなようにやるやつだった。確かに浮きやすい性格ではあるが、周りも黒石の独特な雰囲気に飲まれていくような感じで、決していじめになんて発展しないと思っていた。それに何より、いじめを受けたくらいで黒石が引きこもりをするという事が到底信じられなかった。


「いらっしゃいませー!」


高校生か大学生か、可愛らしい女の子の声が響く。気がつかないうちに、カフェに着いていたらしい。僕はふとその女の子の方を見た。なんて事はない、ただちょっと顔を声の方に向けただけなのだが、その瞬間、僕はまるで雷に打たれたかのような衝撃が走った。


カ、カワイイ!


彼女の美しさは、いくら真面目な僕でも目を離す事の出来ないくらいだった。僕は思わずジーっと彼女を見つめてしまう。すると彼女は僕の視線に気がついたのか、僕の方に顔を向けた。目線が合う。彼女は訝しげに僕の方を見た。思わず、僕は顔を逸らしてしまう。


「ほら、君―?さっさと行くよ?すいてて良かったね。…何顔赤くしてんの?」


「べ、別に。」


おばさんと姫野は既に空いてる席へと向かっていた。僕も慌てて2人の後を追う。最後にもう一度、チラリと彼女の方を見た。彼女は熱心に、紙に何かメモをしていた。ここ、通うことにしよう!


「さてと、じゃあ好きなもの頼んでね。私が払うから遠慮しないで。」


おばさんがニコニコしながら言ってきた。それじゃあ、と僕はコーヒーを、姫野はミルクティーを頼んだ。注文を聞きに来る店員は彼女ではないのか、と胸をドキドキさせていたのだが、来たのは年配の女性だった。


「それで、黒石君に何があったんですか?」


「さっきも言った通り、いじめが原因なんだけどね。もともとあの子、あんまり周りと交じって何かをするってタイプじゃないから、私も最初はあんまり気にしてなかったんだけど。」


おばさんは長い前置きを、自分がいじめに気がつかなかった言い訳とも取れる話をしてから言った。


「今年の4月からだんだん学校に行かなくなって、5月には完全に家に引き籠るようになったの。今では私とも話をしてくれない。部屋からは、トイレに行く時と、お風呂に入る時しか出てこないし、ご飯は私が部屋の前に持って行って、食べ終わったら食器がまた部屋の前に置いてある、そんな感じなの。」


「それは、結構重症ですね。」


姫野が同情するような声で言った。


「担任の先生から聞いた話なんだけど、あの子、ちょうど4月頃にクラスの人と何かトラブルがあったらしくて。だけど、その話はもう解決したからって、あの子もそのクラスの子も何があったのかは話してくれないのよね。先生は多分それが原因だろうって言ってるんだけど。」


「じゃあ、そのトラブルを起こしたクラスメイトに先生がしっかり話を聞けば良いじゃないですか。」

「そうなんだけどね。今時の先生って、まぁ全員がそうなのかは知らないから分からないんだけど、少なくともうちの先生はあんまりトラブルが起こって欲しくないみたいで。一応、その子に話を聞いたり、家にも一度家庭訪問で来てはくれたんだけど、それっきり何も対策をしてくれないのよ。」


おばさんはハアとため息をついた。確かに、高校の先生は小学校や中学校の先生に比べると、生徒に対してあまり怒ったりはしない。僕のクラスにも1人不登校がいるが、今のところ先生が何か行動を起こしたような様子はない。ドラマみたいな、熱血先生なんていないのだ。


「別にね、私は、あの子に学校に行って欲しいと思ってるわけじゃないの。」


「え?そうなんですか?」


「学校が合わないんだったら、無理に行く必要はない。別に無理に周りと同じ道を歩む必要はないもの。だけど、それと部屋に引き籠るのは違うでしょう?」


おばさんはそこで一旦言葉を切り、僕の方を真っ直ぐに見た。おばさんの真っ直ぐな目線に、思わずドキリとなってしまう。


「私の依頼は、あの子を部屋から出して、私と一緒にご飯を食べること。」


これが、ぼく達の初めての相談内容だった。

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