第8話 終電で

 夜間なので、出口は一つだった。


 昼間はきっと、外来患者や入院関係の人達、はたまた病院関係者で人が沢山歩いているだろう通路をちょうどいい便所サンダルで歩き、緊急患者出入口と書かれた赤い行燈の点いた出口から外に出た。


 外は不思議な空気が漂よっていた。


 終電近くに外を歩くのなど、何年ぶりだろう。東京にいた頃なら、乗り過ごしてタクシーで帰ると一万円以上の出費だったが、ここなら3千円もかからないよな、などと思うと、気が少し楽になった。


 昼間は車がいっぱいなのだろう、広大な駐車場には、この時間、車が一台もいない。奥にはドクターヘリ、ドクヘリの格納庫もうっすらと見える。LEDだろうに、かなり柔らかさを考えて選ばれた照明が、傷んだ心に染み入り、少し悲しくなる。


 隣の敷地に建て替えられたこの国立病院。左を向くと、今まで稼働していた、かつての国立病院が見えた。解体作業の最中なのだろう、ツメを付けた重機が、建物の中にひっそりと潜んでいる。潤沢な予算の元で建築されたであろう国立病院、決して手抜きされることのない構造のコンクリートが壊されている最中のようで、ぶ厚いコンクリートと鉄筋が、昼間の解体作業の様子を物語る。


 等間隔に植えられた街路樹を見ると、奥に駅の看板が見える。よかった。歩いて行くと、数分で駅に着いた。Suicaはロックがかかっていて使えないし残高もないので、久しぶりに財布を取り出しきっぷを買って、自動改札機に流し込む。


 ここは、楽天の球場のお膝元。駅にはクラッチやらクラッチーナやらのマスコットが大きく描かれている。東北を代表する銀次をはじめとする選手達もいる。もう、カミサンと観に来ることもできないのかなと思うと、少し気が重くなる。


 地下の駅に降り立つと、樹脂の5連続椅子の前に嘔吐物がある。私なんか、動いている、そこそこ混雑する電車の中で吐いてしまった事が何度かある。こんな風に酒を飲んでいた頃もあったよな、と、嘔吐物を見て、更に気が重くなる。


 最終電車がホームに入ってきた。


 もう、何とも思わなくなった、開くのボタンを押して電車の中に入ると、それなりに人が乗っている。起きている殆どの人がスマホを見ている。私がサラリーマンをしていた時代などは、ガラケーを見ている人が数人いるかいないかだったのに、時代はあっという間に過ぎ、カミサンは脳の静脈に血栓が詰まり、私は便所サンダルで電車に乗ることとなった。


 最寄り駅は出口が前方にあるので、一番前に乗る。運転席のシャッターが開いていたので、子供の如く本能的に歩み寄り、進む方向を何も考えずにぼんやりと、ただ眺める。


 電車の走る音や流れ行く夜の景色を見ても、何も思うことはなかった。


 アナウンスされた最寄り駅で降り、開くのボタンを押してドアを開け、階段を上って切符を自動改札機に収める。入った駅には駅員がいなかったのに、この駅には係員がいる。乗る駅にも駅員さんがいてくれたら、Suicaのロックを解除してもらったのに。


 駅に降り立つも、真っ直ぐいつもの道で家に帰る気にはなれない。少し遠回りして、コンビニに寄って行こうと思い、普段とは逆の方向へと歩き出した。


 この、少し寂しい駅でも、一緒に降りる人が何人かいる。皆、一生懸命働いてきたのだろう、一心不乱に自宅に向かって歩いている。私は気が抜けた風船のようによろよろと、歩き慣れない道を、歩き慣れない格好で、そしてサンダルで、目標のコンビニに向かって歩き始めた。


 このコンビニは、かつてカミサンが犬を飼っていた頃、肉まんとあんまんを毎日買っていたコンビニ。自分のあんまん一つだけを買うのが忍びないので、かーくんにも上げるために、肉まんとあんまんを二つ買っていた。かーくんとは柴犬の飼い犬で、私が来てすぐに死んでしまった。カミサンは若い頃は夜遅く帰る事が多く、かーくんに愛情を注いで上げられなかったことを今でも悔やんでいると、いつか話してくれた。


 私はコンビニに入り、チェリオというアイスを一つ買い、赤い外袋をゴミ箱に捨てて外へ出た。そうか、車はなかったんだ、と思ったが、もう、どうでもよかった。


 チェリオを食べながら歩き出したが、頭は放心状態が続いている。最後の棒を、捨ててはいけないとポケットにねじ込む。理性や道徳心は失っていないようだが、何かがいつもと違う。


 無意識のうちに辿り着いた自宅の部屋には義父が点けたであろうあかりが灯っていたが、中には誰もいないだろうと思うと、いたたまれない気持ちになった。



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