第6話 やぎと長椅子

「15分位で着きますからね」


 ナビの画面を確認して、三人の隊員の中のおそらく一番偉い隊長さんが声をかけてくれた。カミサンは米倉涼子主演のテレビドラマの如く、キャスターに固縛された上にいくつもの線が繋がれ、容体がモニターで監視されている。相変わらず血圧は高い。


 そんな状況なのに、訳もなく、本能なのか、救急車の中を観察してしまう。かつてトヨタの救急車は、相模原にあったセントラル自動車が作っていたんだよなとか、セルシオのエンジンが搭載されていたんだよな、とか、そんなどうでもいい、錆付いた30年くらい前の知識が頭をよぎる。


 中はかなり広い。かつてキャンピングカーに住んでいた事があるので、この限られたスペースがどのように使われているのかにも、やはり本能的に反応してしまう。隅々にまで最先端の装備が詰め込まれており、日本の医療体制はすばらしいと改めて思った。


「もう、自衛隊の所まで来ましたからね。もうすぐ到着です」


 少し首を動かして、運転席の向こうを見ると、スクランブルの歩道橋が見える。いつもは混雑するその交差点を、救急車は緊急走行で走り抜けていく。よく観察すると、いつもはあまりハンドルを切らないただの交差点なのに、緊急走行だからなのだろう、くねくねと皆様に開けてもらった道を、カミサンを乗せた救急車はサイレンと共にすり抜けて行く。再び大変申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 少し前にできたばかりの旧国立病院に到着した。この病院を建築している時、残土を搬出したり、建築資材を運んだりしたことがあった。現場の隅には何故かやぎがいて、その写真が私のスマホに、今でも残っている。現場はかつてない規模のものだった。毎日毎日百人を超える現場人が長い時間と労力をかけて作り上げた、ドクターヘリをはじめとする、最先端の設備を供えた病院だ。


 カミサンは私の知らない間に、病院内に運ばれて行った。私は案内されるがまま、緊急出入り口の近くの椅子に座った。できたばかりの真っ白の室内。最先端の照明に、スマホの画面にありそうな、デザインの効いた各種案内標識がうっすらと浮かび上がっている。昼は清潔感を感じるのだろうが、夜、こんな形で来てしまうと、逆にカミサンの容態の心配が倍増し、かえっていたたまれない気持ちになる。


 同じように、救急車で運ばれてくる人が何人かいたが、皆、私より先に帰って行った。何度かトイレに行き、自動販売機を見つけてコーヒーを飲んだが、時間をつぶしきることができない。


 カミサンは大丈夫なのだろうか?


 そうだ、救急隊員の方々にお礼を言わねば、と思い、ビニールの長椅子から立ち上がり、周囲をぐるぐる見回してみたが、もう、救急車も隊員さんも、いるわけがなかった。


 カミサンから預かった檜皮色ツートンのカバンと、自分のカバンを頭から吊り下げ、時折やってくる、私服を着た仕事上がりの看護師さんやドクターが出入りする、時間外出入口そばのビニールの椅子に再び腰掛ける。「こちらでお待ち下さい」と、言われたことを守っていれば悪い結果にはならないだろう、そんな浅はかな思いから、指示された椅子でカミサンを待ち続けた。



 

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