第6話 - FD7FD5FB-CC99-4EA4-9BAC-D8A575B3B232
「魔法は見せられないけど魔法使いなんです」なんて、おかしなことを言っている自覚はないのだろうか。それを信じる者はどこにいると言うのだろうか。この寒い冬の夜に玄関先で応対する俺の頭は冷え切っている。
しかし心までは冷え切っていないようだった。それどころか、なぜだろうか。心は、彼女を目の前にして熱く燃え上がっている。
懸命に自身の胸に手を当てて訴えかけてくる彼女は、俺より3つほど年下に見えた。寒さと興奮と緊張で赤くなった顔は整っている。真冬だというのに薄い白衣のような服とそこから除く四肢は、見るからに寒そうで庇護欲を掻き立てた。
いや、こんな言い方はやめよう。俺は彼女を助けてあげたいと思った。それだけだ。俺は急いで彼女を家の中へ入れた。
└─*─┐
「『逃走』ブランチから新規ブランチ『恋する逃避行』作成。新規ブランチへ移動。チェックポイント『キスのそのあとで』作成」
リビングのファンヒーターに向かって体育座りをする彼女は、目を閉じ、呪文を唱えるかのようにそう言った。凛々しく美しい声だ。なにを言っているのかさっぱりわからなかったが、大事なことのように思えて何も言い出せなかった。
俺はコーヒーを淹れようとキッチンへ向かう。先に湯を沸かそうと電気ケトルをセットした。コーヒーミルの中に入れた二人分の豆のせいで、俺は真冬だというのに汗をかくことになってしまった。キッチンとリビングは扉で隔てられているとは言え、こちらにも暖かさは漏れ出ていたのだ。
電気ケトルから水が沸騰するゴーッという音が聞こえ出した頃、リビングとキッチンを隔てる引き戸が開けられ、彼女がそこからひょっこりと頭を覗かせた。俺と目が合うと、嬉しそうな、けれど悲しそうな顔をしたあと、逃げるように扉を閉じてどこかへ消えてしまった。またファンヒーターの前に行ったのだろうか。肌が乾燥して悲惨なことになりそうなものだ。
二つのコーヒーカップに淹れたてのコーヒーをわけ、それとほぼ同量のミルクを注ぎ、二人分のカフェオレが完成した。それを両手に持ち、肘で引き戸を開け、キッチンからリビングへ入った。
彼女は相変わらず体育座りでファンヒーターの前にいたが、今度は背中を温めているようで、リビングへ入った瞬間に目があった。そのまま近づくと彼女は立ち上がり、俺がコーヒーカップを差し出すと嬉しそうに目を細め、受け取り、俺への視線はそのままに一口啜った。
その様子を見て、俺も一口啜った。コーヒー牛乳と言っていいぐらいの甘さだったが、初恋なのだから少しぐらい甘くてもいいだろうと、俺は心を込めて飲み込んだ。
└─*─┐
身長が俺より頭半分ほど小さい彼女は、やはり、三つ下くらいという印象だ。真っ黒な髪と、こちらを見つめる真っ黒な目。整った顔からは少しやつれているかのような印象を受けたが、どこか嬉しそうだ。白衣のような服から真っ白な手が伸び、来客用のコーヒーカップを包むように持っていた。今気がついたが、彼女、裸足だ。
そんな俺の視線を快く思わなかったのだろうか。彼女はなにか言いたげにしている。都合がいい。こちらもなんでもいいから話がしたかったところだったのだ。
「で、自称魔法使いさん。なにか言ったらどうなんだい?」
「……信じられないかもしれませんが、自称ではありません。……が、ありがとうございます。助かりました」
彼女は冷静に言葉を選ぶように、ゆっくりと感謝の言葉を述べた。
「そりゃあどうも。こっちも見捨てるのは寝付きが悪くなりそうだったのでね」
「……ありがとうございます」
「今の俺が必要としているのは感謝ではない」
俺は首を横に振り、続ける。
「君は一体何者なんだ?」
俺のその問いかけに対し、彼女は目を伏せ、コーヒーカップを覗き込む。まるでそこに答えがあるかのように。
「……私のことはエスと呼んでください」
「了解した、エス。俺のことは……」
「安藤さん」
「なぜ知っている?」
「……表札を見ました」
「あぁ、そうか。安藤司だ。よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
彼女、もといエスは、手に持ったコーヒーカップを揺らした。
「エス……。君は何者だ?」
「……魔法使い、です」
「……もしかして、どこかから逃げてきたのか?」
「!? はい……」
彼女の手の中でコーヒーが大きく揺れた。彼女は目を上げ、俺の視線とぶつかった。
やはり、この白衣のような薄い服は仮装でもなんでもなく、どこかの正装なのだろう。そしてそのまま、なにも持たず、なにも履かず、俺の家まで辿り着いたのだろう。
「俺は、君が……エスがそのコーヒーを飲み終わったら、エスのことを交番へ送り届けようと思っていた」
「……私は交番を含む全てから逃げてきたのです」
「だと思った」
そしてどうやら、彼女はなにか大きなものから逃げているようだった。その大きなものがなんなのか、俺にはよくわからない。わからないが、わからなくても。
「俺になにができる?」
彼女の力になりたかった。
魔法の使い方 柊かすみ @okyrst
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