闇夜行路

ととむん・まむぬーん

行きつく先は、いつも

 雑木林の一本道、たどり着いた先はヘッドライトだけが頼りの真っ暗な袋小路だった。ハロゲンライトの白い光に浮かび上がるいつのものとも知れない古びた数基の墓石。それを見たオレは呆れたように


「またか……」


とつぶやくと冷めた気分で来た道を引き返す。舗装もされていない闇の中を行くこと数分、車はようやっと街路灯のある道にたどり着いた。

 オフにしていたカーナビをオンにすると、ロゴマークに続いてナイトモードの落ち着いたカラーのマップが浮かぶ。示されている現在位置は東京西部、多摩川よりもずっと向こうの都県境のあたりらしい。ここから寮がある練馬まではどんなに急いでもたっぷり一時間はかかるだろう。オレは辟易しながら屋敷森の面影が残る真夜中の郊外を急ぐのだった。



 今の社員寮に住んで三年、駐車場が空いたとの知らせを聞いたオレはすぐさま車を買った。それはもう嬉しくて嬉しくて、あの頃はどこに行くにも車だった。

 そんな興奮も落ち着いた頃、オレはしばしば無性にドライブしたくなるようになった。風呂上りのひととき、休日の昼下がり、とにかく一度そう思い始めるともう居ても立ってもいられずに部屋を出る。そんなときオレはカーナビをオフにしてただひたすら感性のままに車を走らせるのだ。そして行き着く先はいつも決まっていた。

 終着点、そこには決まって墓石があった。住宅街の小さな一角だったり、雑木林のどん詰まりだったり、とにかく必ず墓地にたどり着くのだった。


 ある酒席でその話を同僚のNにしたところ、同行させろとせがまれた。いつもはひとりのドライブ、だからこそ起きる現象かも知れない。Nを乗せてもそうなるのか、それはオレにもわからない。Nはそれでも構わないと言う。ガス代を持つからそれが起きるまで同乗させてくれと。

 なぜそこまで、とオレはNに尋ねた。するとNはさらりとこう言った。


「それって心霊体験だろ。俺も一度でいいからしてみたいんだ」


 こうしてオレはNを乗せることになった。カーナビも音楽もオフにしての退屈なドライブ、さて今夜はどうなるか。助手席のNは退屈そうにスマホをいじるばかりだった。


 走り始めて小一時間も経った頃、オレの頭の中に突然何かが閃いた。


「ここだ」


 徐行もしない突然の右折に面食らうN、そこからは何かに引き寄せられるような、恐怖心より好奇心が勝るいつものあの感覚が湧いてきた。


 感性にまかせてハンドルを切っているとやがて二又の分岐点が見えた。オレは迷わずライトが照らす細い道を選んだ。

 雑木林を縫うように進む真っ暗な一本道はやがて終点を迎える。

 やはりそこは墓地なのか?

 いや違う、目の前には閉ざされた鉄格子の門、その向こうには暗い星空の中にそびえる黒い建物のシルエットがあった。


 オレたちは車を降りて建物を見上げる。鉄筋コンクリート造らしき五階建ての建物は全ての窓ガラスが割られ、その壁の手が届く範囲にはスプレーで書かれた無数の落書きがあった。それはまさに廃墟、ここを心霊スポットと聞いてやってくる連中が荒らしていったのだろう。


「どうする、引き返すか?」

「行くでしょ。行くしかないでしょ」

「じゃあ行くか」


 オレが門に手を掛けてみるとそれは呆気なく開いた。こうしてオレたちは建物を目指して一歩を踏み出した。



 淡い月明かりだけが頼りだった。強がるわけではないがそのときのオレは意外と冷静だった。Nのヤツは寡黙ながらも興奮気味にやたらと周囲を見まわしていた。


「やっべぇ!」


 突然Nが頓狂な声を上げた。オレは思わず肩をすくませてヤツを見る。


「スマホのバッテリーやべぇ」

「オレのはまだ八割あるぜ」

「ならお前のをライト代わりにしようぜ」


 なるほど月明かりがあるここはいいとしても建物の中は真っ暗だろう。


「よし、あそこで明かりをつけるか」


 オレはその先に見える車寄せに向かって少しばかり歩を速めた。


 塗装が剥げた屋根の下、ガラスが割られてフレームだけになったエントランスの前に立つ。射し込む微かな月明かりでかろうじて中の様子がわかる。待合ロビーだろうか、奥に見えるのはカウンターの残骸、その手前にはボロボロの長椅子が好き勝手に置かれていた。


「ここで戻っても……」

「行くでしょ、行くしかないでしょ」


 オレの言葉にNの言葉がかぶる。いつもより早口で声も大きいのは虚勢を張っているからか。


「バッテリーがあれば実況してぇ――!」


 強がるNに行けと促すが、ヤツは照明を持つ方が先を歩くべきだと言う。こうしてスマホの明かりを頼りにまずはオレがロビーに足を踏み入れた。

 背後にはNの気配を感じる。オレは用心しながら前を行く。きっとここは病院だったのだろう。そう言えばかつて武蔵野のはずれにはサナトリウムが集まる地域があったなんて話を聞いたことがあったっけ。

 深夜の廃病院、その言葉を思い浮かべた瞬間オレの全身を寒気が包み込んだ。とにかく前を見て進め、明かりが照らすその先だけを。余計な闇に気をまわすな、恐怖なんて自己暗示だ。自分で自分にそう言い聞かせながらオレは進んだ。


「こりゃ廃墟病院だぜ、マジで心霊体験できるかもな」


 Nにも聞こえるよう上げたオレの声が微かに残響する。しかしNからの応えはなく、代わりに散らばる瓦礫を踏みしめる足音だけが聞こえていた。


 荒れ果てたロビーを抜けて奥に続く廊下を目指す。闇の中に整然と並ぶいくつものドアがぼんやり浮かぶ。かつては病室だったであろうそれらひとつひとつに今は下卑た絵や文字が描かれていた。

 数メートル先に広い間口が口を開いている。そこは手術室だったのだろうか、オレは高ぶる気持ちを抑えつつその前に立った。

 やはりここも荒れ放題だった。部屋の中を照らしてみると、はたしてそこは手術台も無影灯もないガランとした広間だった。その部屋の中央にはなぜか何枚もの朽ちた畳が積み上げられている。


「死ぬときは畳の上で」


 もしやこの畳は末期の患者さんの……いや考えるな、これはただの畳だ。放置された産業廃棄物に過ぎないのだ。見るな見るな、とにかくやり過ごすんだ。

 オレは埃とカビの匂いが漂うそれを横目にさらに奥へと進んでいった。

 剥げたリノリウムが残る床に散乱するガラスやタイルをパキパキと踏みながら進んでいく。その音に呼応するようにNの足音もついて来る。オレはもう一方の開口部をくぐってそこを後にした。


 再び真っ暗な廊下を小さなライトを頼りに進む。オレは光の中に浮かぶいくつものドアを開けてみようなんて気にはなれなかった。とにかくそのときはもう怖さが限界に達していたのだから。

 何かを見たわけではない、誰かの視線を感じてもいない。今はただ黙々と歩いているだけだ。しかしオレの本能というか感覚が「もうそろそろいい加減にしろ」と言っているのは理解していた。

 振り返るな、天井を見上げるな、とにかく急げ、前だけを見て進め。ひと回りしたならばさっさと車に戻るんだ。そして帰ったらNと二人で笑い話にでもしながらビールで乾杯だ。



 やがて視界の先に階段が見えた。やたらと幅広い階段はこれまた広い踊り場の小さな窓から漏れる月明かりでぼんやりとしたモノトーンに包まれていた。

 こんなに微かな光でもそれだけで安心を感じるものだが、しかし今回はパスだ。上階には行かず左へ進もう。そうすればぐるり回ってロビーに戻れる。

 オレはついて来るNに言った。


「ヤバい気がする、上には行かないぞ」


 やはりここでもNからの返事はなく、ただ足音と鼻をすする音が聞こえてくるだけだった。


 実はそのときオレは見たんだ。階段の前を過ぎるときオレの視界の右端にそれは見えたんだ。踊り場の窓の下、逆光で暗闇になったそこに浮かぶ闇よりも黒い影を。あれは子どもだろうか、そう大きくない黒い影が立ってたんだ。

 オレは気付かないフリをした。けど向こうは気付いたのか、踊り場からゆっくりと階段を下りて来たんだ。それは歩くというより滑っている感じで。

 ヤバい、これはマジだ、あれに追いつかれたら……。


「N、走るゾ!」


 オレはスマホを前方に向けて走り出した。

 廊下に響く二つ足音と鼻をすする音、確かにNはついて来ている。

 オレは走った。荒れ果てたロビーを横目に一心に出口を目指した。滑りやすい瓦礫に注意しながらガラスが割れたエントランスを飛び出してオレはひたすら走った。



 鉄格子の門が見えてきた、もう大丈夫だろう。オレは振り返って夜空に浮かぶ建物を見上げた。


「さっきのはシャレになんなかったよな、N?」


 しかしそこにNの姿はなかった。ついて来てるの思ったのに、まさかあいつまだ中に?


「お――い、大丈夫かぁ――、こっち、こっち」


 そのとき遠くからNの声が聞こえた。開け放たれた門の前、Nはそこにいてオレを呼んでいた。オレは思わずNに駆け寄った、決して振り返らずに。


「見たかよさっきの……てか、いつオレを追い抜いたんだよ」

「何言ってんだ、俺はずっと入口にいたよ。お前こそよく一人で行けたもんだ、あんな薄っ気味悪いとこに」

「えっ、ひ、一人?」

「そうだよ。放置されるし、お前は全然戻ってこないし、スマホのバッテリーも切れるしで俺も怖くなってさ、しょうがないからここで待ってたんだよ」


 ここにいたって……ならあの足音や鼻をすする音は何だったんだ?

 痺れるような寒気がオレを包み込む。足は震え身体からだに力が入らず、今オレは立っているのがやっとだった。


「なあN、帰りの運転、頼むよ」


 Nはニコリと微笑んでオレから車のキーを受け取ると、闇夜にそびえる黒い建物を見上げて言った。


「ひょっとしてお前、心霊体験しちゃったのか? クソッ、俺も一緒についてけばよかったぜ。次は絶対、俺もだぜ」


 そう言ってニヤリと笑みを浮かべたNの顔は、淡い月明かりにほんのりと照らされてオレの目の前でやけに青白く浮かび上がっていた。



 気ままに走ればそこは墓地だって?

 ふざけるな、もう二度とゴメンだこんなこと。




闇夜行路

―― 完 ――

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