【下】
◆◇◆
「……どうしたの、『お姉ちゃん』なんて改まって」
今までそう呼んでほしいって言っても呼んでくれなかったのに。言外にそう匂わせて言う。
「別に……大した理由はないわ」
怒っている。
返ってきた妹の返事を聞いて、まず最初にそう思った。私に対してではない。でも、かなり怒っている。でないと私の妹はこんなお嬢様口調にはならない。それは私が一番良く知っている。……だって、私は璃夢にとって無くてはならない存在だから。璃夢は私が居なくちゃ何にもなれないから。
「
「解ってるよ。私はもう、死んでる。……そうでしょう。だから私の体は透けている」
「…質問を変えるわ。何故死んだのか、覚えている?」
何故私が死んだのか。正直に言って、死んだことは理解していても、死んだ前後の事は全く覚えていない。気づいたら死んでいた―――どこかの物語に出てきそうな話だけど、私の場合は本当にそうとしか言いようがなかった。
「…ごめん、…覚えてない」
申し訳なかった。昔から、弱くて、私の後ろに隠れてばかりいた璃夢が、こうして強くなって、何か目的が有って私に質問しているのに、私は何も力になれない。
その目的は、私に関することなのに。他人に何の感情も覚えない璃夢が、ここまでする理由は、私に関することしかないのに。
「……そう」
一言そういって、璃夢は右腕を左手で抱え込むようにした。丁度吹いてきた風が璃夢の長い黒髪を遊ばせる。
端から見れば優雅に見えるその仕草は、今は決して優雅ではなく。それを裏付けるかのように、璃夢の知的な黒い瞳が苛烈に煌めく。
璃夢のその瞳はもう、私を見てはいない。しっかりと、この平野の向こうを、否、降り積もっている灰で完全に灰色と化したこの平野の向こうに立つ人影を、見据えている。
「何故こんな奇妙な伝統がここに発生したのか。皆が殺されたのか。そして、あなたが……未夢が、殺されたのか。全ては関係しているわ。そもそも、譲羽が家の近くに有る、と最初に言ったこの平野。ここは、この世には存在しない場所なのよ」
衝撃で声もでなかった。
ここが、存在しない?そんな馬鹿な。私たちが現に今、ここにいるのに。
「そして、その日の犠牲者が座る場所には必ず灰が多く降り積もっていたわ。暗いから皆は気づいていなかったようだけれど、一日たりとて例外は無かったわ。……ねえ、未夢。貴女が死ぬ前に私達が住んでいた所で一番有名な場所は何処だった?」
「一番……有名な場所?」
少し考えてからはっと思い付く。
「それって、……
一つ、璃夢が頷く。
「貴久川神社は炎の神を祀っていて、神主の家系はその炎の神の血を引いているらしいわ。私達は何故か懐中電灯ではなく蝋燭を持ち寄っていた。灰は炎から生じるし、蝋燭だって火に関する物だわ」
「……でも、璃夢、それだけで関係してると言い切れる?私は、言い切れない気が…」
「そこに、貴女が関係してくるのよ。未夢、貴女は公には自殺したと見なされているわ。警察に行って当時の状況を調べてきた。首の骨が折れた状態で学校の裏の森に倒れていたそうよ。そして、その下には何故か大量の灰が有った、と書いてあったわ。貴女が自殺したと見なされているのは、その当時誰も森に居なかったから。そして、あの森で事故で首の骨が折れた状態になるのは不可能だったからだわ。森の周りにはフェンスが張り巡らされていて、唯一の入り口には警備の方が何時も誰かいたわね。要するに、あの時先生に頼まれて森に入った唯一の人である貴女以外には誰も貴女を殺すことはできない状況だったと言うわけ。……でも」
「…………でも?」
「一人だけ、貴女を殺すことが出来た人がいるわ。その場に居ずしてね」
そうして、璃夢は遠くの人影に呼び掛ける。
「未夢を殺したのは貴女。そうでしょう?……
璃夢の形の良い唇がお久しぶり、という動きを形作った。
◆◇◆
「若葉……?本当に?」
未夢だけが、璃夢の一言一句全てに驚いている。何もそんなに驚かなくても良いのに。
無意識にふっと笑いが漏れた。
「……随分頭の良いことね」
あたしの策略を全て見破るなんて。でも、そんなあんたでもあたしがどんな思いで復讐してきたのかは知らないでしょう。
そう、これは復讐。
それ以外に、何もない。復讐。
あの時からあたしは、このためだけに、今まで生きてきた。
「何故あたしが何年もかけて、周到に準備をしてこんなことをしたのか……あんたのせいだよ、獅子坂璃夢」
案の定、どんな事を言ったって璃夢は動じやしない。これも予想の範囲内だってか。一昔前までは未夢が居なきゃ何もできなかったって言うのに。
「あたしの家、つまり貴久川家は、神様の血を引く直系が巫女として一生神様に仕える。そして、巫女は一生に一人、女の子しか子を産まない。そして、後継ぎが生まれたら巫女は死ぬ。昔から、ずっとそう。……あたしの母親は、直系の巫女だった。母さんは、あたしを産んだ。でも、その時、母さんは死ななかった。それはつまり、あたしは後継ぎじゃないってこと」
出来るだけ、冷静に。そう思って話し出したけれど、このことだけは吐き捨てるような口調にならざるを得ない。昔から言われ慣れてきた事だけど、今になったって受け入れられない。
「後継ぎと呼べる子供が無く、直系の巫女はもう子を産んでしまった。……あたしは、歴史ある貴久川家を途絶えさせる悪魔の落とし子、呪いの子と言われてきたんだよ。実の両親からだよ。……そんな風にして何年も経ったある時、分家に子供が産まれた」
その当時、まだ純粋だったあたしがどれだけ衝撃を受けたのか。あんたには、解りっこない。両親に愛され続けて、聡明で、その上双子の姉にまで守られてきた幸せ者のあんたには。解りっこない。絶対に。
「そしてその日に、あたしの母親は死んだ」
◆◇◆
若葉とは、小学校の二年生の時に初めて同じクラスになった。
その当時、若葉は神社の家の娘であると言うだけで、皆から奇異な目で見られていて、友達がいなかった。私は昔から、人がどんな性質であろうと気にせずに一緒に居ることができた。それは、ずっと隣に璃夢が居たからかも知れないけれど。とにかく、それは私の中で一つの「誇れること」だった。若葉に話しかけたのは、だから、という訳では無かったし、先生に褒められたかったりしたなんてことも断じて無かった。私は他の子に何を忠告――とはいっても若葉を外したい気持ちが露骨に表れた、暗に私にも若葉を外すことを要求するものでしかなかったけれど―――されようと、私自身の意思で若葉に話しかけた。
そうして、私達は仲良くなった。
誰がなんて言おうと私の一番の仲良しは若葉だったし、若葉も私のことをそう思ってくれてると、思い込んでた。
でも、良く考えてみたら私は若葉のことを申し訳ないくらいに知らないでいる。
「それでもまだその子が強すぎるほどの力を持っているなら納得できた。……でも、違ったんだよ。明らかに、誰が見てもあたしの方が力が強かった。なのに、あたしじゃなかった。あたしは貴久川家直系の子とは認められなかった」
若葉が今までどう育ってきたのか。何を思っていたのか。そうして何を求めたのか。……私は、何も知らない。
「あたしはずっと『愛』なんてもの、知らずに育ってきた。家に帰ったら、皆お母さんが『おかえり』って言ってくれるなんて今だって全く信じられないよ。信じたくないよ。そんなあたしだって、愛される権利はあるはずなのに……っ」
泣きそうな声で、若葉は訴える。
―――誰に?勿論それは、目の前にいる私達にだろう。ただ、若葉は私達を通して、きっと私達じゃない人にも訴えている。彼女を愛さなかった家族に、彼女に優しさすらも与えなかった同級生に、結果的に若葉の本来いるはずの立場を奪った分家の子に、………今まで彼女と出会った、全ての人に。
「確かに、親から無条件に愛を注がれて育った存在に、親がしてくれたようにあたしのことを愛してって言ったところで無理でしょうよ。それはあたしだって幼いながらに解ってたよ。……でも、一回くらい、あたしのこと優先してくれるくらい、誰にだって出来るじゃない。なのに、誰もそんなことすらしてくれなかったっ……!それどころか、神社の家の娘だって言うだけで話しかけることすらしてくれなかった……っ!」
そこまで一息に訴えて、若葉は泣きそうな顔でふっと笑った。
「そんな時に、未夢に出会ったんだよ」
今までと違って、その言葉だけは酷く懐かしそうで。
でも、それは一瞬だけで、今度は悲しみよりも遥かに大きい怒りが表れる。
「未夢は誰にも話しかけて貰えなかったあたしに話しかけてくれて、友達にまでなってくれた。だから、思ったんだよ。この子ならあたしのことを優先してくれるかもしれないって。愛してくれるかもしれないって。希望を持ったんだよ。……でも、未夢は一度だってあたしのことだけを見てくれたことはなかった。何時もその目はあたしを通り抜けて、璃夢を見てた。あたしと話してたって頭のどこかで絶対璃夢のことを考えてた!あたしには、未夢にそんなに考えてもらえる璃夢、あんたのことが憎かったんだよ!だから、ずっとどうにかしてあんたを苦しめたかった……!でも、あんたのことは何時も未夢が守ってて、しようと思ってもあんたの事は苦しめられなかったっ……!だから、あたしは未夢を殺したんだよ!そうしたら守られてばかりのあんたは酷く傷つくはずだって、思ったから!でも、でも、それでもあたしの受けてきた苦しみの方がまだずっと大きかったっ!だから、未夢の魂を奪って、操作して、何年もかけて伝説を作り上げて、存在しない空間まで作って、あんたが仲良くしてた子達を未夢に殺させたのっ!」
……私は、若葉に操られていた。
それは、初めて聞くことで、私には璃夢の友達を殺した記憶なんて、ない。でも、どうしてかその事実は気持ち悪いほどにすとん、と胸に落ちた。
私が、心愛ちゃん達を殺したんだ。自覚は無くても。璃夢の……偽りの、でも『トモダチ』と言う名のあの子達を。
「でも、そこまでしたって、未夢はあたしのことなんて見てくれなかったよ」
若葉が打ってかわって落ち着いた声で言った言葉が、耳に痛かった。
「魂まで奪ったって、未夢は璃夢のことしか見てなかった。いくらあたしが操ってたって、璃夢、あんたのことだけは未夢、絶対に忘れてくれなかったんだよ。無理矢理に自分のことを愛させようとしたって、誰だって振り向いてなんてくれない。そんなことはどんなに優しい人だってできないんだ。愛を強要したところで、所詮返ってくるのは虚しさと惨めさくらい……あたしのことなんてやっぱり、誰も愛してなんかくれないんだ」
「そん……」
そんなこと、ない。
若葉の最後の言葉を否定したくて言いかけた言葉を飲み込んだ。
…………本当に?本当に、若葉は誰かに愛されてた?
返る答えは、いいえ。
若葉はずっと愛されてこなかった。唯一の望みだった私は、昔から璃夢のことを全部優先してきた。それが、若葉をどれだけ傷つけていたか知らなかったとはいえ。
「あたしは、あたしの全部を賭けて未夢に愛されようとして、負けたんだよ」
若葉にそんなことを言わせたのは、紛れもなく私、なんだ。
◆◇◆
全てを賭けて未夢に愛されようとした。そのために、全てを賭けて璃夢を憎んだ。
それは愚かだと人は言うだろうか。
それでも、貴方達、ううん、それだけじゃない、世界中の誰だってそこまでして望むものは何もないなんて言い切れる?実行できるかできないかなんてことを別にしたなら。
あたしはそれを実行に移した。
だって、それだけがあたしの全てだったから。
あたしには、それ以外に何も無かったんだ。だから。
「あたしは、負けたんだ。……だから、この世界から永遠に姿を消そう。あたしが消えちゃいけない理由なんてこの世界の何処にだって無い。どちらにしろ、誰もあたしを必要としていないし、居なくなったって困んないんだから。むしろ、居なくなって欲しいって思われてるんだしね」
あたしは、今の貴久川神社の巫女より遥かに大きい力を持っているんだから。
苦しまない方法で自分を消すことなんて、容易いんだから。
「じゃあね、未夢」
嗚呼、でも。こんなときでも貴久川の血に流れる力を使わなきゃならないなんて、皮肉なことだ。
最期に見た、璃夢の知的な黒い目は湖のように澄んでいて。やっぱりあたしはどうしたってこの子に勝てないんだな、なんて自嘲の笑みを浮かべたりなんかして。
ごめん、未夢。今まであんたにしてきたこと全部。ほんとにごめん。でもさ、あたしのことだって考えてくれたってよかったじゃん。あたし、未夢に出会えて凄く嬉しかったんだよ……
未夢を責めたかったんじゃない。綺麗に笑って伝えることで、永遠に未夢に刻まれたかった。でもやっぱり、伝えることは叶わないままで。
それだけがあたしの中で唯一の、心残り、なんていうものだったのかもしれないね。
不思議なことに、あんなに荒れていた心が、今はこれまでに無いほど穏やかだった。
『さようなら。』
◆◇◆
誰からも貰えなかった愛を、ずっと求めていた。
本当は君じゃなくても良かったんだ。誰だって良かったんだ。あたしを愛してくれるんなら。でも、君ならきっとあたしを愛してくれるんじゃないかなって思った。
叶わないと解っても、君に愛されることを求め続けた。
ねえ、神様。
それは、間違いでしたか。
アムール・トーデュ 早川琳音 @rinne0w0
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