第7話 写真(前編)

 結衣はそれからしばらく中村のことなどについて話したのち、隆之介たちの食べ終わった食器を片付けて通常の業務に戻って行った。


 そうして卓上にはお冷のグラスが3つだけ残されたが、すでに14時を過ぎた店内は空席が目立っていたので、隆之介たちは当初の予定通り今しばらく涼んでいくことにした。


「結局、今回の件はおれは無関係だったじゃないか」


 ようやく落ち込んでいたのから立ち直った隆之介が、結衣が厨房に消えていくのを確認してそのように言うと、


「結局、リュウが関係していたの間違いだろうが」


 勝手に隣のテーブルからお冷の入ったピッチャーを持ってきた透一がコップに水を注ぎながらそう言った。


「そうそう。————普段の行いの差ってやつだ。信用ってのは大事だね」


 そんなことを誉人も言ったが現在進行形でバイトをサボってダラダラ遊んでいる彼にもどうやら信用というものはあんまり有りそうになかった。


「しかし、中村さんも大概だ。あの人は本当に卒業する気があるんかねえ」


 誉人はそんな自分を棚に上げて、結衣と先ほど話していた中村の現状を思い出してやれやれと言った感じでため息を吐いた。


 結衣から聞いた話によると、中村は自分で卒業単位が足りているかすら把握していなかったようだが、亜美が無理矢理いっしょに計算したところ、この前期で必須の単位を落とさずに、尚且つ、後期でも再履修を含めて単位を取り切れればギリギリではあるが何とか卒業は出来るようではあった。


 しかし、前期の期間中は徹夜で麻雀をして夕方まで寝ていたり、飲んだくれて夕方まで寝ていたりと、隆之介たちは何度も一緒になって講義をサボっていたので、中村が本当に必要な単位が取れているのかいまいち自信がなかった。


「そもそもあの人、大学院に進学するつもりあったんだな。俺はそれにビックリしたよ」


「だいたい、うちの理系は院に行くからな。行かない方が少ないよ」


 経済学部の透一に理学部の誉人がそう答えたが、実際、隆之介たちの大学では医薬を除いた他の理系学部も一部を除いてほとんどは大学院に進学するのが前提のようなところがあり、またそういった環境なので院浪という人間もちらほら居た。


「なんだ、お前らも院に行くのか。あーあ、俺も院に行きたいなあ」


 透一はさも羨ましいといった感じでそんなことを言ったが、隆之介は3年後の自分が果たして院に進学してちゃんと勉強をしているのか甚だ自信がなかったし、それより未来の自分など何をやっているのかも想像できないことに気づいた。


「トイチはどうするか決めてないのか?」


 隆之介が気になってそのように問うと、


「さてね。普通なら来年あたりから就活するんだろうけど、働きたくねえなあ」


「それなら、トイチも院に行こう」


「いや、文系は院に行くと就職できる先が少なくなるんだよ。働きたくなくても働かなきゃいけないんだよ」


 透一は嫌だ嫌だとボヤいてコップの水をあおった。


 透一自身、働きたくないと言っている割に働かなければいけないとは思っているらしく、その口ぶりはユーモラスではあったが何か諦めたような感じでもあった。


 そんな話をしていると先ほど奥に消えた結衣と入れ替わりに亜美がホールに戻ってきて、手に持ったお盆でパタパタと顔を扇ぎながら隆之介たちのテーブルまでやってきた。


「あら、きみたち相変わらず粘るわね。そのピッチャー、お水入ってる?」


 亜美はピッチャーを手に取り軽く振って中身を確かめ、


「ランチの時間も終わったからこれも回収するね」


 そう言ってそれぞれのコップに水を注ぎ足してからピッチャーを手元に置いた。


「亜美さん、なんか今、中村さんのことで大変みたいですね。大丈夫ですか?」


 結衣から話を聞いたせいかなんとなく疲れた顔をしているように見えた亜美に、誉人が興味半分心配半分と言った感じで聞くと、亜美はぐるりと3人の顔を見渡したのちにしばらく瞑目してから、


「私が知り合ってからアイツが大変じゃなかったことも、大丈夫だったことも一度もないわ」


 そう言って大きなため息を吐いた。


「亜美さんも自分の勉強があるのに妙な苦労してますね」


「本当にねえ……。私もこのあと家に帰ったらまた勉強するけど、あの人はちゃんと勉強してんのかしら」


 そういう亜美に誉人は何も言い返せず乾いた笑いで答えたが、その場の全員が中村が勉強しているとはまるで思っていなかった。


 しばらく誰も何も言えずに沈黙したが、やがて亜美は『さて、と』と言ってから、


「もうすぐ結衣ちゃんもシフト終わりだし、せっかくだから結衣ちゃんも誘って、みんなでどこかに遊びに行って来たら? こんなところでいつまでもダラダラしてないで」


 そう言ってピッチャーを片付けにまた奥の方に戻って行った。


「亜美さんも苦労しているな。既にろくでなしの亭主を支えるけなげな妻みたいな貫禄がある」


「うむ。しかし、どことなく草臥くたびれた感じに妖艶さを感じるな」


「そんなこと言ってる場合かよ、可哀そうに」


 透一、誉人、隆之介と三者三様の感想をそれぞれ漏らしたが、今のところ中村をどうにかするアイデアは三人ともなかったので、亜美の手助けをする手段も思い浮かばなかった。


「とりあえず、あの人は今、勉強してるのか?」


 隆之介が腕を組んで首をかしげると、


「さあな。————隆之介、今、何してるか聞いてみろよ」


 そう透一が言った。


 隆之介自身も中村が勉強しているとは思えなかったが、透一も中村が勉強をしていると思っている風ではなかった。


 誉人も『多分してないだろうなあ』などと言ってお冷を飲んでいたが、隆之介は念のためメッセージアプリを開いて、


『いま、何してます?』


『勉強してますか?』


 と、二つ続けて短いメッセージを送った。


 それに対してすぐには返信はなかったが、20分ほどして隆之介のスマートフォンが短く振動したので内容を確認すると、文章はなにもなくただ一枚の写真が添付されて返信が来ていた。


「これは、————川か?」


 三人でその画像を見たときに誉人がそう呟いたが、それは谷川の流れる様子を橋の上から撮影したようであった。


「どこの川かはわからないけど、勉強をしてないのは確かだ」


 隆之介が眉間にしわを寄せて言ったが、その写真だけで中村が現在勉強していないというのはありありとわかった。


 そうして送られてきた画像を拡大したりして見ていると、すぐにまた何枚か写真が送られてきたが、今度は川そばに並ぶ旅館やホテルの様子などであった。


「ああ、ここ多分、秋保あきうだ」


 しばらく画像を見て透一はその場所に思い当たったのか、大学のある市街地からほど近い、近隣では有名な温泉地の名前を告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大学生の夏、原付の旅 鳥居 脩輔 @torisuke57

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ