第6話 喫茶 BUNGAKU(後編)

 ――朝も寝坊ばかりで何度も遅刻しそうになったとか。


 ――昔からぼーっとしていて肝心な時に役立たずだったとか。


 ――むしろ電車の中で財布がスられないように、見張っていたのはこっちの方だったとか。


 結衣はぷりぷりと怒って隆之介をチクチクといじめていたが、透一と誉人にはその様子は不思議と隆之介に甘えているような感じに見えた。


 しかし、当の隆之介本人は、


「その節は大変申し訳なかった」


 そう言ってずっとうなだれていた。隆之介は自分がすぐ近くにいたのに結衣が痴漢に遭い、あまつさえそれに気づきもしなかった自分自身はなんてダメな奴だろうと思った。結衣に痴漢したやつは許せなかったがそれ以上に自分自身が許せなかった。


 しきりに反省しながら割と本気でへこんでいた隆之介に毒気を抜かれたのか、結衣の方は怒りがだんだんとトーンダウンしていき、終いには、


「……別にあのあとは何もなかったし、いまさらそんなに落ち込まないでもいい」


 そう、照れたようないじけたような感じで少し口をとがらせてそんなことを言ってから、おぼんで隆之介の頭をぽこんと軽く叩いた。どうやら結衣の方もちょっと言いすぎたと反省したようであった。


「でも、なんかさっきも少し機嫌が悪そうだったけど、隆之介こいつがまたなんかやったの?」


 しおれたままの隆之介と引き換えに、幾分か気の収まった結衣に対して、透一はそう言って先ほどから気になっていたことを聞いた。そこには少しからかうような雰囲気があったが、それは少し話を変えようという落ち込んでいる隆之介への気遣いとも感じられた。


「えっ、わたし、そんな感じでしたか?」


 あからさまに態度に出ていたのにそんなことを言う結衣に、『この子もちょっと変わっただな』と透一は思ったが、それには触れず、


「ちょっとね」


 そう言って苦笑いした。


「……えーと」


 結衣は少し考えてから、


「関係あるような、無いような」


 そんな感じで歯切れ悪く、どうにも言うのを少しためらっているような風であったが、


「遠慮せずに言っちゃえよ。言うことを聞かせるなら隆之介こいつが反省している今がチャンスだ」


 誉人が頬づえを突いてそんな風に言うと、結衣は少し逡巡してから、


「でも、実は、直接りゅうちゃんは関係なくて」


 そう前置きをしたあとでちらりと周りを確認して、


「亜美さんが付き合ってる中村先輩のことなんですけど……」


 と、少し小声で言った。


「中村さん? 中村さんがなんかやったの?」


 自由気儘じゆうきままだし怠惰ではあるが決して悪い人間ではない中村という人物が、結衣を怒らせることがいまいち思い浮かばず透一はそう聞いた。


「実は昨日、亜美さんの家に遊びに行ってご飯食べたり、お酒とかジュース飲んだりしながらお話してたんですけど、なんだか中村先輩、また留年しそうになってるみたいで」


 結衣がそう言うと、隆之介たちもそのことには心当たりがあった。


 亜美の付き合っている中村なかむら はじめは隆之介たちの先輩にあたる人物で、現在工学部の4年生なので学年では隆之介たちの2つ上ということになる。特に隆之介は学部と学科が同じで、さらに必修の授業をはじめ、隆之介が1年の時から同じ授業をいくつか一緒に履修していたことで仲良くなった。


 年齢は3歳ほど隆之介と離れていたのだが、お互いになんとなくウマが合った。そして、隆之介を通じて隆之介の友人である誉人や透一も仲良くなり、それぞれ先輩後輩というよりも年の離れた友人といった具合になっていた。


 ただ、当時1年の隆之介と3年生の中村が同じ授業を履修していたことからわかるように、中村の成績はあまり芳しい方ではなかった。それどころか2年から3年に上がる際にあるバリアも1度目の挑戦はあえなく跳ね返され、2回目の2年生の時になんとかギリギリ通過したというおおよそ優等生と言える人物ではない。


「亜美さんも研究室の教授せんせいから中村さん係を押し付けられているみたいなんですけど、本格的に卒業が危なそうでどうしようってお酒飲みながらボヤいていて……」


「あの人、授業さぼるからなあ」


 結衣の言葉を受けてやれやれといった感じで誉人が言った。


「しかも、もうすぐ院試もあるのにそっちの勉強もほとんどしてないらしくて。——亜美さんも同じように院試を受けるのに中村先輩の心配ばっかりしてて、なんだか可哀想で……」


「それで、結衣ちゃんが亜美さんの代わりに怒ってたのか」


 透一がそんな風に言うと、


「それもあるんですけどね。————でもなにか、周りの人間ばっかり心配しているのに本人は至って暢気で気楽な感じが、その、なんとなくわたしもを思い出して感情移入してしまって……」


 結衣がそんなことを言ったので、先ほどまでうなだれていた隆之介もそれは流石に八つ当たりではないかと思ったが、


「ああ、わかる。似てる」


「それな」


 そう言って透一と誉人が結衣に同意したので隆之介は何も言えなかった。そうして隆之介は何かを言うのをあきらめて、アイスコーヒーのグラスに残っていた氷を口に含んでから、渋い顔をしてそれをバリバリとかみ砕いた。

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