おすすめ一夜と聞かれたら

それぞれが珠玉の逸品であるが、おすすめの1夜はどれか、と尋ねられたら、04日目『狙苦心仏』を推す。

毎日更新のお知らせをTwitterで告知していたように、社会的悪を糾弾するスナイパーの増加という題材はSNSの普及から着想を得たことは想像に難くない。
SNS普及以前は実行に移されない限りは誰の眼にも止まらなかった行為が、単に行為に移そうとするだけで関心の対象になるようになったのはごく最近のことだろう。
しかし、裏を返せば実行コストがかからない(銃をただ持つだけ)段階までで多くのスナイパーは満足してしまうわけで、それ自体が社会に致命的な影響を与えられるわけではない。
とすれば、スナイパー達にエンタメ感覚で社会に対する不満のガス抜きをさせて得をする奴は誰だ?という背景まで想像させてしまう。

多くは狙撃技術(標的を糾弾するロジック)も、標的の調査(主観ではなく、客観的なエビデンス集め)も未熟であり、有象無象のスナイパーが増えたところで問題は無い。
スナイパーにとって重要な武器、すなわち論理の骨子と、標的によってカスタムするエビデンスの組み合わせがめちゃくちゃだからだ。
仮にそれらを正確に組み上げて精緻な銃を完成させていたのなら、社会に正しく還元できないような不法投棄をするはずもない。
結局のところ、スナイパーの多くは借り物の言葉で遊んでいるだけであり、分別もろくにできないのである。

では、スナイパーブームは完全に終わったのか?
答えはNOだ。
正義の名の下に安全地帯から他人を狙う行為の快感を覚えた者が、簡単に銃を手放せるはずがない。
狙撃の精度の低さは数で補う。
銃を構え、引き金を引く行為があまりにもカジュアル化しすぎたために、誰がスナイパーで、誰が引き金を引いたのかは分からないが、確実に標的は炎上するという結果になっただけだ。
その意味では、その場で何もせずじっと「できる」人が増えたことは、全く安心できることではない。
個々では無力なスナイパーが、無敵・無軌道の集団となる一例だろう。

昨今のSNSでのデマ・炎上に対する無数の正義リプライが持つ、ある種の快感とおぞましさをわたしの視点から描いたユニークな一夜である。