【特別読み切り】江野警部の事件録

おもちさん

江野警部の事件録

 夏の炎天下。海水浴客で賑わう海に、一艘のクルーズが現れた。船主の男は浜辺に着船させると、深い息をひとつ溢し、窓から曇りなき晴天を見上げた。


「今日も事件だってさ。一郎、二郎」


 そう呟くなり、タバコとオイルライターを順番に取り上げ、馴染みの銘柄を一本吸った。


 ちなみに彼は一人っ子で兄弟などいない。これは江野縞三郎(えのしまさぶろう)が、自身の名付けに疑問を抱いた頃に生まれた奇癖である。空になったタバコの箱を捨てる時は落涙し、コンビニで買い足した時はおかえりと告げる。この何とも理解しがたい習慣を継続中なのだ。


「さてと。そろそろ行こうか」


 それからはポロシャツの上にジャケットを羽織り、船内を後にした。降り立った砂浜が革靴に絡みつくようだ。その不快感を噛み締めながら群衆を掻き分けて歩き、ついには人だかりの中心まで足を進めた。


「江野警部、お休みの所申し訳ありません!」


 若い刑事が鋭い声をだす。その儀式については、江野も片手を上げて返答した。


「事件を前に非番もクソもない。それより説明を頼む」


「はい。被害者は此処路巡(こころめぐる)で、都内在住のサラリーマン。歳は23歳です」


「死因は?」


「死亡推定時刻は午前10時頃。遊泳中に、足をスイッとやられた事により即死した模様です」


「酷いやり口だ……。よほど強い殺意があったらしい」


 江野の視線がにわかに鋭くなる。そして、彼の瞳はとある一点に注がれた。


「被害者の足元にカニカマが付いてるが、もしかして凶器か?」


「いえ。あれは通りすがりの少年が擦りつけていっただけです」


「紛らわしい。現場の保存には注意を払え」


「ハッ。善処いたします!」


「重要参考人はいるのか?」


「はい。あちらに集めています」


「わかった。急ごう」


 そうして2人は道すがら質疑応答を繰り返しつつ、海の家へと訪れた。静まり返った店内には、4人の男女が肩を並べて座っている。


「お忙しいところすみません。私は江野と申します」


「刑事さん。何だってオレが拘束されなきゃなんねぇんだ。早いところ帰してくれよ」


「ええもちろん。お話が聞けたら、それだけで十分ですから」


 聞き取り調査はすぐに開始された。まずは江野から見て右端の女性から、質問を受ける事になる。


「では貴女からお願いします」


「私は金剛寺コン子。大学院生です」


「氏名にコンが2つ入ってるんですね」


「それは事件と関係あるんですか?」


「失礼。当時は何を?」


「夏バイト中なので、お店で延々とイカを焼いてました。確かに私は以前、メグルと付き合ってましたけども、この事件には無関係です」


 その時、江野の耳に「目撃証言が多数あります。その時刻には長蛇の列だった」と囁かれた。満足のいくアリバイを得られた事で、質問は隣の人物へと移る。


「では次、貴女にお聞きしましょう」


「名前は春来伊吹(はるめくいぶき)。フリーター」


「素敵なお名前ですね」


「口説いてる? それともケンカ売ってんの?」


「失礼。事件当時は何を?」


「今朝にケンカ別れして、それっきりだよ」


 ここでベテランの江野はひとつの閃きを得る。今回は事件の背景に痴情のもつれがあるのではと。そうであれば残忍な殺害方法とも辻褄が合う。


「貴女方は付き合って日が浅いと聞いていますが」


「3日目だよ。だから、こんなシミったれたヤツだなんて知らなかった。ひたすらイカ焼き食わせようとすんだもん。バカかよって思う」


「砂浜でのイカ焼きは格別だと思いますがね」


「1日10本も食わされて同じこと言えんの?」


「それは……ごもっとも」


「今朝の9時くらいかな。アタシは陸の商店街をずっとうろついてたよ。防犯カメラにでも写ってんじゃないの」


 再び江野に耳打ちがされた。イブキは飲食店に入り、タコライスを平らげる所を目撃されている。それはアリバイとして十分なものだった。 


「では次の方、お願いします」


「金故丸像(かねこまるぞう)58歳、脱サラリーマン」


「貴方は普段から金欠ぎみだったそうですね」


 ここで江野はベテランならではの閃きを得る。今回の事件を金銭目的だと読み解けば、間違いなくこの男が犯人である。


 しかしその推理は、一枚の紙片によって全否定される事になる。


「残念だったな。オレはもう貧乏人じゃない」


「それはもしかして、万馬券!?」


「そうともよ。これでもう、自販機の釣り銭口をパコパコ言わす日々からオサラバよ!」


「ちなみに、事件当時は何を?」


「ずっと競馬中継を聞いてたぞ。信じられないなら、そこらで聞いてきな」


 江野はやはり耳打ちで裏付けがあることを知った。


 しかし、江野は首をひねる。事件と無関係と思われる男が、なぜこうして肩を並べているのか。


「貴方はなぜここに居るのですか?」


「大当たりしたのがつい嬉しくってな。思わずその場で全裸になったのよ。そうこうする内に連行されたって訳だ」


「ようやく合点がいきました。どうして一糸まとわぬ姿なのかと」


「へへっ。若いネーちゃんの隣で素っ裸ってのは堪んねぇな」


 事情聴取は空振りが続いた。そして迎えた四人目、この人物こそが最後となる。


「ではお話を」


「闇の波動に目覚めたシャークテイル齋藤。全ての人類を根絶やしにしてやる!」


「被害者との関係は?」


「全ての人類を根絶やしに!」


「事件当時は何を?」


「全ての人類を根絶やしにッ!」


「なるほど。ありがとうございました」


 ここで江野は1人立ち上がると、店の裏手へと消えた。若い刑事も不安を覚え、その背中を追いかけた。すると彼は、にわかに信じがたい光景を目撃した。


 あらゆる難事件を解決した生ける伝説、江野縞三郎。その男が苦悩の表情を浮かべ、首を捻っているではないか。


「どうかされましたか?」


 呼びかける声。反応は鈍い。


「参ったな。全てのアリバイが完璧だ。これでは誰が犯人なのか」


「警部の様な聡明な方といえど、思い悩む事もあるんですね」


「オレだって人並みには苦しむんだよ」


「まぁ、ここらで気分転換しましょう。イカ焼きでも食べて」


「そうだな……ッ!?」


 江野が向けた視線の先には厨房があった。そこでは老齢の男がイカを焼いており、モウモウと煙が立ち昇る。


 その姿を眺める内に、ひとつの確信を抱いた。彼の脳裏には、まるで殺害現場を目の当たりにしたかのように、鮮明な光景が広がったのだ。


「分かったぞ、真犯人が!」


「本当ですか!?」


「参考人はまだ帰してないよな?」


「ええ。それはもう」


「でかしたぞ。これで事件解決だ!」


 江野は弾かれたように駆け出し、刑事も慌ててその後を追いかけた。


「動かないで下さい、犯人が分かりました!」


「ええっ!?」


「犯人は金剛寺コン子。貴女です!」


「わ、私……?」


 コンコは激しくうろたえたが、すぐに作り笑いを浮かべてみせた。


「刑事さん。さっきも言ったでしょう、事件の時はずっとイカを焼いていたと」


「ええ聞きました。とても繁盛していたともね」


「だったらアリバイが……」


「いえ。繁盛していたがゆえに、貴女はその場から離れる事ができました」


「何ですって!?」


 一見すると矛盾する論理だ。当然周囲はザワつくのだが、江野は姿勢を崩さずに話を続けた。


「貴女はごく自然な振舞いで、一度に大量のイカを鉄板に乗せた。別に不審がられる行為ではありません」


「それが何だって言うんですか!」


「その時立ち昇った煙は凄まじいものでしょう。料理しているハズの貴女が見えなくなる程に」


「そ、それは……」


 コンコの顔がみるみるうちに曇る。それは無言の自供に他ならない。


「貴女に許された時間はほんの数十秒。ですが、人をスイッとやるには十分過ぎるとは思いませんか」


「あいつが……全部メグルが悪いのよ!」


 悲痛な叫びが机を叩く音に重なる。もはや誰にも止めることは出来ない。


「1日に何度も何度も新しい女を見せびらかしに来て! こっちは汗だくになりながらバイトしてるってのに!」


「それは、さぞや辛い想いをなさったでしょう」


「だからもう、ブッ殺してやろうと思って……」


「貴女の境遇には同情しますが、人を殺して良いとはなりません」


「分かってます、分かってますよ。どうぞ」


 コンコは神妙な顔つきで両手を突き出した。江野は隣に視線を送ると、静かに手錠の嵌められる音が鳴った。事件は無事、解決を迎えたのである。


「今回は危うい所だった……」


 大勢の見守る中で、1台のパトカーが走り去っていく。江野は群衆から離れた所で成り行きを眺めていた。


「お手柄だな、警部さんよ」


 マルゾウがポンと江野の背中を叩く。少しばかり小さく見えたらしい。


「たそがれてんのかい。その虚無感に堪えるのも、警察の仕事だろう?」


「まぁ、その通りだよ」


「元気だせって。アンタは使命を全うしただけなんだ。むしろ胸を張るべきじゃないのか」


「そうだな……。おっと、ひとつ忘れる所だった」


「なんだいそりゃ。聞かせてくれよ」


 江野は懐から手錠を取り出すと、甲高い音を鳴らした。麗らかな海岸線に無機質な響きが駆け抜ける。


「何の真似だよ」


「わいせつ物陳列罪って知ってるか?」


 それを聞くなり、マルゾウは高らかに笑った。


「まさかそう来るとは! こりゃ一本取られたな」


「行こうか。署まではあの船で」


「へへっ。コイツは粋な計らいってもんだぜ」


 2つの影が寄り添いながら揺れる。やがてそれもクルーズの影に隠れると、砂浜から消えてしまった。


 一挙に難事件を解決へと導いた江野縞三郎。彼の正義と苦悩が衝突する日々に、果たして終わりなどあるのだろうか。己の結末など見えないままに、彼は船を走らせ続ける。


 人生の三角波を真正面から切り裂きながら。

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