武蔵野南、幽霊線

きつね月

武蔵野南、幽霊線


「よくまあ」

「ん?」

「こんな場所を見つけてくるよねえ…」

「ふふん」

 私が呆れた顔で和子のことを見ると、彼女は得意げな表情でそれに応えた。

 別に褒めたわけじゃないんだけど。


 平日の学校帰り。京王線の府中駅で待ち合わせをして、急行を乗り継いだ先の稲城駅で降りた。そこから少し歩いた住宅地。階段を上った先に鉄道用の大きなトンネルがあった。

 どうやらここが本日の目的地らしい。

「それで、その幽霊線っていうのがこんなところを走るっていうの?」

「知らない」

「知らないって…」

「それを確かめに来たんだもん」

 はあ、そうですか。

「幽霊線を探すんだ」なんていきなり連絡してきて、そんな噂の検証のために私は呼び出されたんですか。

 さらに呆れた目で彼女のことを見ると、なぜか笑顔で返された。

 高校生になって別々の学校に通うようになっても、相変わらずの性格は変わっていないようだ。

 私はなんでか分からないけれど、そんな彼女にどこか安心していた。



 和子とは小学校からの付き合いだ。

 小学三年生の時にはるか遠く山口県から東京に引っ越してきた彼女は、この武蔵野の土地を大いに気に入ったようで、色々な場所を散策しては彼女が「むさしノート」と呼ぶ謎のノートに記録を残していた。「東京から東京を省いたような場所」というのが当時からの彼女の口癖だった。何かの本に書いてあったらしいけど、うまいこと言うなあと思う。

 生粋の武蔵野市民である私は、そんな彼女に付き合って色々歩いて回った。そんな関係が高校二年生になった今でも続いている。

「ねえ、幽霊線ってちょっと怖いんだけどさ」「怖い目に遭ったりしないよね?」

 そう尋ねると彼女はさらに満面の笑みを返してきた。

 …不安だ。

 昔から和子は冒険心旺盛で、不思議な噂やら興味のある場所にはすぐに飛びつく。

 しかも懲りない。たとえその冒険が徒労に終わったとしても、次の日にはケロッとしていてまた新しい場所の話をしてくるのだ。

 そんな彼女と一緒に出掛ける私の苦労はお察しだ。

 そんなに広くないはずの三鷹の森を六時間も彷徨ってみたり。

 玉川上水を制覇してやるんだなんて六時間も歩かされたり。

 相模湖にいる謎の生物を探すんだなんて六時間も待たされたり。

 あとはまあ、他にもいろいろと…

 そんな何かがあるたびに嬉々としてノートに記している彼女の姿を思い出す。

 …不安だ!

 幽霊がどうのというより、この冒険もまた徒労に終わりそうで。


(……おや?)

 不安ついでに私はふと気づいた。

 この辺りは駅から十分程度の距離にあるにもかかわらずやけに静かだ。トンネルは未だ無言で、先の見えない大きな闇をぽっかりと開けている。

 そういえばさっきから一台も電車が通っていない……?

 都会の電車でそんなことがあるのかな。

 私が不安な表情とともにその疑問を投げかけると、和子は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりにノートを開いて解説し始めた。

「このトンネルは『武蔵野南線』っていう路線のためのトンネルなんだけどね、武蔵野南線っていうのは貨物列車なんだ。だから旅客用の鉄道は基本通らない」

「へえ」

「武蔵野線ってあるよね。千葉の西船橋駅から東京の府中本町駅まで続いている路線なんだけど、実は府中本町駅から先があってね、それがこの武蔵野南線なんだよ」

「へえ…」

「府中本町駅からはるか下の方を通って、なんと神奈川県の鶴見駅までつながってるんだよ。西船橋駅から…まあ直通してる東京駅からでもいいけど、ぐるーっと武蔵野の台地を回っていってだね、府中でゴールと思いきや、さらに多摩川を超えて武蔵野から飛び出していくっていうのがロマンで…ちなみに休日に臨時の旅客列車が運行されてることがあって、私も乗ってみたんだけどね。まあ見て通りトンネルだらけで…」

「オッケー分かった、ごめん、ありがとう」

 どうやら彼女の厄介な熱を刺激してしまったようなので早めに切り上げる。

 和子はまだ話したりないのか、名残惜しそうにノートを眺めていたけどやがて閉じた。


 それからしばらくは私の不安に反して何も起こらなかった。

 トンネルの中からは和子の言う通りにえんじ色の貨物列車が時々顔を見せたけれど、お目当ての幽霊線は未だその姿を見せない。

(いや、別に見せなくていいんだけど)

 私たちはヒマだったので、野良猫とにらめっこをしてみたり、近くの公園で子供たちの遊びを眺めたりしていた。そんなふうに時間を過ごしていると、ふいに彼女が尋ねてくる。

「ねえ、凌(私の名前)はさ、高校卒業したらどうすんの?」

「そうだなあ…」

「大学行くの?」

「わかんないけど、たぶん行くと思う」

「ふーん」

「和子は?」

「…悩んでんだよね」

「へえ?」

「意外かな」

 その通りだったので、素直にうなずいた。和子は頭もよくてこの土地を気に入っている。そのまま東京の大学に進学するものだと思っていたのだが。

 そう言うと彼女は苦笑いを浮かべた。あまり見たことのない表情だ。

「なんか悩んでるなら、聞くよ?」

 そう言うと、和子は「ありがと」とだけ言って顔を伏せた。

(なんだよもう、らしくないな)

 私が和子のそんな様子に戸惑っていると、彼女は不意に立ち上がって言った。

「私さ、卒業したらずっと遠くへ行こうかと思ってるんだよね」

「遠く?」

「うん」

「え、海外とか?」

 驚いてそう尋ねると、苦笑いで返された。

「そういうんじゃなくてさ、遠くだよ」

「遠くって、どこよ?」

「遠くは遠くだよ。ここで教科書を開いて勉強しているだけじゃ見られないものを探しに行きたいんだよ」

「なにそれ…」

 まるで子供みたいなことを言う。

 それでも彼女の目は真剣だったので、私は茶化さないで続きを聞いた。

「私はさ、小学生の時にこっちに引っ越してきて、それまで東京ってどこもかしこもビルだらけの街ってイメージがあったんだよね。23区がどうとか知らなかったし。でも実際に来てみると意外と田舎なところもあって、それでも私が知ってる田舎とは少し違ってて、なんて言うの、新鮮なんだけど懐かしいって感じかな。そんな感覚が楽しくてさ、ついつい色んな所を歩き回ったりして」

「うん」

「付き合ってくれる人もいたしね」

「……あ、私?」

「そうだよ、凌がいてくれたから私はすんなりここに馴染めたんだと思うもん」

「いやいや、照れるし」

「ホント、同じ高校ならよかったのになあ」

 う、いやまあそれは、学力的な問題があったのでね。

 私だけ入試に落ちたあの日のことが蘇ってきちゃうからあまり言わないでほしいんだけど。

「で、でもさあ。それなら遠くに行く必要なんてないんじゃないの?」「ここにいてもっといろいろなものを見たらいいじゃん」

 私が話を戻そうとしてそう言うと、和子は再び例のノートを取り出した。表紙には『むさしのーと#162』と書いてある。

「これがね、完成しないんだよ」

「完成しない?」

「そう、昔は書くことがいっぱいあった。ところが#が100を超えたあたりからね、何を書いても繰り返しのような…手ごたえのない感じになっちゃってね。それはなんでなんだろうって、ずっと考えてたんだけど」

「うん」

「それでね、思ったんだ。私がこの武蔵野のことに色々興味を持てたのは、私が別の所から引っ越して来たからなんじゃないかって」

「引っ越してきたから?」

「そう、私はもともと田舎からここに移ってきて、いろいろと発見して、それでこの土地のことが好きになったんだよ。それで気づいたんだ。もしかしたら日本全国…いや全世界がなのかもしれないって」

「?」

「つまりさ、すべての土地に歴史があって、すべての土地で新鮮な発見があって、私はそれを見に行かなきゃならないんじゃないかって」

「むう…」

「そうしてほかの土地のことを知ることで、このノートに記すべき、新たな武蔵野を発見できるんじゃないかって思ったのさ」

「それで、遠く?」

「そう、遠く」

「………」

「私は武蔵野で小学生から高校生までを過ごして、もうきっとここのことは忘れないだろうからさ」「次は確かめたいんだよね」

 和子はそこまで言うと、右手の人差し指をトンネルの方に向けた。

 大きな闇の中から微かに列車の音が聞こえてくる。

 それはだんだん大きくなってくる。

 そしてついに姿を現したその列車は、おどろおどろしい様子の真っ黒な幽霊線…などではなく、もはや見慣れたえんじ色の貨物列車だった。

 トンネルを抜けた列車は暗くなった景色をライトで照らしながら、南の方へ消えていった。

 和子は腕を下げて言った。

「…武蔵野で君と過ごした時間が、私にとってどれだけ大切かってことを」





 帰り道はなんとなく無言だった。私はなんとなく寂しさを感じていた。

 彼女の方も同じ気持ちなんだろうか。

 府中駅まで戻ってきて、そしてじゃあねっていうタイミングで彼女は言う。

「でもさ、もしホントに幽霊線が走っているとしたらさ、きっとよみうりランド前駅から生田駅の間のどこかで小田急線に乗り換えちゃうと思うんだよね」

「なんでよ?」

「誰だって、楽しかった時にずっと留まっていたいと願ってるからさ。そんな願いが生霊になって、いつでも武蔵野の地から『小田急って』行くんだよ」

「小田急?」

「…何でもない、じゃあね」

「あ、うん…ねえ和子?」

「うん?」

「またね」

「うん、またね!」

 そう言って笑った彼女の姿は、小学生のころからすこしも変わらないみたいだった。

 それでも変わっていってる。和子があんな風に悩んでるって、私は知らなかった。

 私たちはこれから高校を卒業したら大学に行ったり就職したり、あれやこれやなんだかんだ。まあ色んな可能性があるけれども、もう時間が戻ることはない。

 だからこそ、変わっていった彼女のいつまでも変わらない思い出の一部に私がいられるってことは、嬉しいことなんだ。そしてそれはきっとお互いに。


 ……にしても「小田急る」って、どういう意味なんだろ?


 



 



 





 

 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

武蔵野南、幽霊線 きつね月 @ywrkywrk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ