憑依型役者

ボクはバイトのシフトを増やした。そうでもしないと人生がとてもつまらないように感じて……いや、ソラの役作りに協力できない自分が虚しくなってしまったからだ。何もしていないと、まるで自分が何も出来ないんじゃないかと思えてしまった。

そんな多忙で真面目なバイト生活が2週間ほど続いたとき、ボクの携帯が2週間ぶりに鳴った。

画面を起こすとソラからの電話の着信だった。

「もしもし、どうしたの」

『もしもし、こちら永作悠加様の携帯でしょうか、私、ソラ君と一緒に稽古をしている者なんですが』

スピーカーから聞こえたのは知らない女の人の声。

「は、はい、あの、ソラは」

この人は誰なのか、なんでソラの携帯から電話をかけてきたのか分からなかった。

『ソラ君が倒れてしまって、悠加君を呼んで欲しいと』


え、


何が、何故、どうなって。視界が一瞬真っ白になったのがわかった。


『今から住所を言いますから、来てくださいませんか。場所は東京都の……』


熱を持って仕事をしない脳を何とか起こして住所をメモし、ボクはその場所へ走り出した。


着いた先はスタジオで、入口付近で女の人が待っていた。

「悠加さんですか」

電話と同じ声だった。

「はい、ソラは、」

「案内します、着いてきてください」

コンクリートの無機質な壁をいくつか曲がり、会議室のようなところに案内された。中はたくさんの人が飲み物や袋を持って歩き回っている。

「それが例の子?!?!」

その中の1人の中年が声を上げる。

「はい!連れてきました!」

さっきの女の人が応えると、お願い、近くに行ってあげて、とボクに耳打ちした。

人の群れをかき分けて、その中心にいるソラに近づく。

ソラはバケツを抱えて、息を切らしていた。そして水を吐く。

「ソラ君、稽古が始まってからは水しか飲んでないの。なのにずっと吐いちゃってて、」

ボクはソラの背中を摩る。

この前よりも骨が手に感じられて、顔もよく見るとすっかり痩せこけてしまっていた。

「ソラ、気持ち悪いの?」

ソラはボクの声に反応するように目を向けた。

「出てってくれないんだ、気持ち悪いんだ」

「出てってくれない?」

「ずっと、ミカが、ここにいる。吐いても吐いてもここに」

「ミカ……?」

またソラは嘔吐いたが、もう水さえも胃にないのか声だけが漏れる。

「今回の、ソラくんの役名です」

さっきの女性が言う。

「ソラ、役が抜けないってこと?」

「ぅ、あ、ぁ、で、出てけよ、俺から出てけよ、」

ソラの目はもう焦点が合わなくなっていた。

「ソラ、君はミカじゃないんだよ、ソラはソラなんだよ」

「ミカも、もう出て行ってくれよ。ソラはまた君を生かしてくれるから」

ボクは背中を軽く叩いてみたり、撫でてみたりしながらとにかく言葉を投げた。

ボクがもっと早くソラと会っていれば、気づけたかもしれないのに。いや、もう8月のあの日には既にソラは少しずつソラ自身の力に飲み込まれていたのかもしれない。

「気づいてやれなくてごめん、ソラ、戻ってきてよ」

ソラはついに力尽きたのか、ボクにもたれかかって寝息を立て始めた。

「悠加さん」

ボクを呼んだ女の人と、厳しそうな顔の男の人が近づいてきた。

「ありがとう。助かったよ」

「あとは私達で看ます」

そう言ってくれたけど、ボクは断った。今は、今こそはソラから離れちゃいけないと、そう思ったから。

スタジオからマットとブランケットを借りて、そこにソラを寝かせた。ボクはずっと、ソラのそばにいた。

ソラは3時間弱くらいで目を覚ました。

外はすっかり暗くなっていた。

「ハルカ…なんでいるの…?」

「おはようソラ。覚えてないの?」

ソラはくるくると視線を動かして、しばらく考えたようだったけど、わかんない、と言った。

ボクは覚えてないのが良いと思った。自分が演劇でそんな苦しい目に遭ったなんて、きっとソラは知りたくないだろうから。

「久しぶりに会いたいなって迎えに来たんだ。そしたらソラ、疲れて寝ちゃったって」

ソラは嘘でしょ、と顔を覆い

「マジか。俺やっちゃったなー」

と言った。見る限り、ソラの中からミカは消えたように感じた。

「ちゃんと明日謝れば大丈夫だよ」

そう言って、ボクはソラを家まで送った。

「わざわざ家まで来なくてよかったのに」

「ううん、道端で寝られたら困るし」

「寝ねーわ、さすがに」

ばかにすんな、と頭を軽く小突かれた。

「ちゃんとご飯食べるんだよ、見た目が変わってきてる」

「わかった、ありがとな」

その日からボクは、毎日ソラを迎えに行った。

疲れとプレッシャーからかとても元気とは言えなかったけど、役が抜けなかったり、吐いたりするような事はなくなった。

そしてあっという間に本番当日。今回はソラからではなく、スタッフの人からチケットを貰った。

なんとなくその時、大きな舞台の規模感、感覚を知った気がした。

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幕が上がる そめる @horihorisome

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