薄紅に染まり、織り重なる糸 Ⅳ

 燃えるような赤から群青色ぐんじょういろへと移りゆく空を見ながら物思いにふけっていた健太だったが、メイド人形の呼び出しを受け、一階にある食堂兼大広間へ向かう。

 中に入ると、ミオリが普段とは違う装いで出迎える。

 薄紅色うすくれないいろの長い髪をフィッシュボーンにまとめ、左肩に垂らしている姿は、まるで別人のようなしとやかさと可憐さがある。

 服装も普段見る動きやすいものではなく、白のフリルやレースをふんだんにあしらったウエストラインがしっかりと出るドレスで、それを当然のように着こなすさまは、一朝一夕では身に付けることが出来ない圧倒的な気位きぐらいの高さを表していた。

 ――綺麗だな、と素直な感想をいだいた健太だったが、先程注意されたのをふと思い出し言葉を飲み込むと、次々と運ばれてくる食事に手を付ける。

 それらの全てが、健太がシバで一度だけご相伴しょうばんに預かったフルコース料理に負けず劣らずの美しい盛り付けであり、口の中でまろやかにとろけ、飲み込むのが勿体もったいないほどであった。

 メイド人形達は弦楽器をかなで、演出された優雅な時間は、まるでひと時の幸せな夢のように過ぎ去っていく。

 

 そして、部屋に戻った健太は、着替えもせず再びベッドに腰かけると、そのまま身体を横に倒す。

 疲労と満腹感のせいか、先程以上の急激な眠気がまたたく間に全身へ広がっていき、気が付くと深い眠りへといざなわれていった。


     *


「はっ?!」


 寝ていた。完全に。

 健太は慌ててベッドのへりを見るが、そこにはいつも時間と朝を教えてくれるあの赤いカニ時計は無かった。

 そこで、思い出す。


「そっか、今日はミオリさんの家に来てたんだった」


 改めて言葉に出すとなかなか大胆な内容のように思えるが、実際には何もない。

 ただ、最上さいじょうの快適さがあるだけだった。


「せっかくだし、お風呂に入ろうかな……」


 案内していた時のミオリの言葉を思い出す。


 ――ここは、露天風呂。夜になると適度に入ってくる風の冷たさとお湯の温かさでそれはもう、極楽なんだから。あと、お肌にも良くて、身体の疲れも一気に吹き飛ぶから、後で入ってみてね。

 

 お気に入りなのだろう。青い瞳が一層輝き、少し早口に説明してしまう彼女の姿を思い出し、顔がほころんでくる。


「うん、行こう」


 健太はタオルと着替えを手に、暗い館を黄護符きごふで照らしながら、目的の場所、館のはしにあるその場所へと向かっていく。


     *


 本当に極楽だった。

 健太は岩に背を預けながら、全身を湯に浸し、完全に脱力する。

 湯元から広がる乳白色にゅうはくしょくは小さな波紋となって首筋をピリピリと刺激する。それがどうしようもなく心地よく、疲労を訴えていた両腕もあっという間にほぐされていく。


「あー……いい……」


 ライトアップされた湯船の中で、前が見えなくなるほど立ち込めた湯煙ゆけむりは熱気と湿気を多分に含んでいるが、時折舞い込む風の冷気はそれを拭い去るような清涼感を与える。

 それが程よく繰り返され、夢見心地に近い感覚に浸っていると。


「え……、健太、君?」


 不意に健太のすぐ目の前で、良く聞き慣れた声がした。


「へ……?」


 そこに一陣の鋭い風が吹き、あっという間に湯気を取り払う。

 と、次の瞬間、目の前で大きな水音一つした後、そこに居たのは肩まで湯に浸かったミオリだった。

 お互いに目を逸らすことも出来ず、そのまま完全に硬直し、


「「……」」


 気まずすぎる無言の時間が過ぎていく。

 こういう展開になると大抵悲鳴を上げられ、しかも何かものを投げつけられあわてて退散する状況になると思っていただけに、健太はこの時が止まったかのような場面に内心どうしたらいいかも分からなくなっていた。

 げ出すタイミングも弁明するきっかけすらのがしてしまい、ミオリも揺れ動く瞳でずっと見つめてくるので、目をらすことすら出来ない。

 そして、緊張するには心地よすぎる湯の温かさで、段々と意識がぼんやりとしてきた頃。


「……随分、遅くに入るのね」


 ようやく出てきた一言が、それだった。

 ハッと一気に覚醒かくせいした健太は、湯の中で手をり合わせながら釈明しゃくめいを始める。


「ご飯食べたらすぐに眠たくなって、さっき目が覚めちゃって入ってなかったから、せっかくだしってことで、その」

「ふぅん……、じゃあ、見た?」

「……」

「……見た?」


 何のことかは明白だった。


「ええと、あんまり見てないです」

「……ちょっとは見たの?」

「う、ちょっとだけ」


 そして、再び無言。

 ただ、水面から少しだけ出たミオリの白い肩がほんのりと桃色に染まっていき、ほんの僅かだが震えているのを見て、健太は段々と表情が青ざめる。

 とりあえず謝らなければ、と健太が口を開こうとした瞬間。


「ぷっ、くくく……」


 急に目の前の少女が笑い始める。


「あはは、もう。そんな子犬みたいな顔で見つめられたら怒れないじゃない」

「え、僕、そんな顔してました?!」

「してたしてた。犬耳が生えてたら垂れてたんじゃないかってくらい」

「ううう……何というかごめんなさい」

「もう、気にしないでよ。不可抗力なんだしさ。ほら、見えちゃったらアレだし、あっち向いた」

「は、はい」


 ミオリは背を向けると、それにならうように健太もくるりと反転する。

 すると、ミオリのほうから少し近づいてきたのだろうか、妙に近くで声がひびく。


「健太くんってさ、面白い子だよね。しっかりしているような、甘々なような。つかみどころがなくて、良く分かんなくて。だけど、嫌な感じもなくて」

「うーん、全然実感ないですけどねえ」

「性格って、そういうものじゃない?」

「……ですね。でも、そういうミオリさんも面白い気がするけどなあ」

「そう? 自分で言うのもなんだけど、あたしは全然面白くないやつだよ? いつも自室ラボに引きこもってるし、人間より服とかデータの方が好きだし」


 少し自嘲じちょう気味に語るミオリの言葉を受け、健太は火照ほてった頭で考える。

 確かに彼女の言う通り、そうなのかもしれない。

 けれど、今日一日一緒に居て、分かったこと。

 普段は仕事人間でしっかりした雰囲気が強い彼女だけど、周りが見えなくなるほど熱中したり、表情豊かだったり、子供っぽい一面もあったり、それでいてどこかで弱い部分も持っていたりして。

 それが、とてもちかしく感じられて、心地よくて。


「でも、一緒に居て、楽しかったです」

「……もう。さっきも言ったけどさ、こういう場面でそういう言葉はNGだよ?」

「え、そうなんですか?」

「だってさ……、もう。じゃ、あたし上がるから。おやすみなさい」


 そういうや否や、ミオリはそそくさと湯から出て、脱衣所へと足早に歩いていく。

 健太は言葉をかけることも振り返ることも出来ずに、扉が閉まる音を聞きながら空を仰ぎ見る。

 深い藍色あいいろの中に浮かぶ丸い月は、いつもと変わらない穏やかな光を届けている。


     *


 翌日、二人は何事もなかったかのように朝食を摂り、すぐにクロマルに乗ってシバへと帰って来た。

 着くまでこれといった会話もなく、もしかすると時間が経って怒ってしまったのではないかとヒヤヒヤしていた健太だったが、


「あ、そうだ。健太君」


 発着場で別れる前に、ミオリから軽い口調で呼び止められ、びくっと身体を震わせると恐る恐る振り向く。


「な、なんでございましょうか!」

「あのさ。昨日あったこと、全部」

「は、はい」

「テンシには内緒ね」

「へ? どうしてですか」


 健太の問いに、ミオリはまゆの形をハの字にして笑いながら、


「だって、テンシに悪いじゃない? それに――」


 今度は少し意地悪い笑みを浮かべ、


「女の子は秘密があるから可愛くなれるんだよ?」


 朝日に照らされたその蒼い瞳は、この二日で一番のきらめきを宿していた。

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