薄紅に染まり、織り重なる糸 Ⅲ

 風を切り、浮かぶ雲を次々と切り開いて、健太とミオリを乗せたクロマルはどこまでも高く、高く昇っていく。

 急な角度にもかかわらず、その搭乗感覚はシロマルの時と同じで、不思議なほどの安定感と安心感がある。

 上空であっても、瘴気しょうきは所々で揺らめいている。

 ただ、それらは黒、つまりこちらから攻撃しないと反撃してこないタイプの敵であり、クロマルはそれらを華麗かれいな身のこなしでかわしながら、さらに高くへと駆け上がる。

 そして。

 長く大きな雲を突き抜けた先に、その場所はあった。


「うわあ……」


 澄み切った青が果てしなく満ちる天空に、一つの島が浮いていた。

 その下部はごつごつとした岩がき出しの大地となっており、その上にある平らな土地には若草色の美しい野原が広がる。

 奥には木々に囲まれた中に小さな湖があり、そのほとりには西洋風の立派なやかたが見事なたたずまいを見せている。


「ね、凄いでしょ」


 ミオリは振り返り、健太を見るとふふんと笑う。

 その表情は、大切な宝物を自慢げに見せる子どものそれと全く同じものであった。



 館の手前に広がる石畳が敷き詰められた空間に着陸したクロマルは、大きなあくびを一つすると、横座りになる。

 健太とミオリがその背から降りるとすぐに元のサイズに縮み、二人には目もくれず独りでとことこと館へと向かっていった。


「クロマルさんは自由な感じですね」

「人懐っこいシロマルと違って、気ままでしょ? でも、やることはしっかりやる。なんだか職人みたいよね」


 二人の声が聞こえたのだろう、尻尾とくいっと上げ、右へ左へと揺らす。

 先程の件も含め、どうやら感情は豊かなようだった。

 健太は改めて上空から見た光景へと視線を移す。

 薄い水色をたたえた湖は静かな中にも生物の気配がある。小さな魚達が流れに身を寄せるように泳ぎ、外界からやって来たのだろうか、背の高い鳥が数匹、水をついばんでいる。

 その先にある野原からは穏やかな風がそよぎ、健太の頬をゆるりとでていく。


「……良いところですね」

「でしょ? ここがあたしのホーム」


 いつの間にか隣に並んだミオリは大きく深呼吸を一つする。

 健太も同じようにすると、新鮮な空気が肺いっぱいに広がり、不思議と全身に力がみなぎってくる。


「それにしても、こんなに高いところなのに空気が薄くないんですね」

「それね。クロマルで駆け上がる時も、同じことを地球の大気でやれば間違いなく減圧症になるはずだけどならないし、ここも地上と同じ感覚で居られるし。……ま、ここが地球じゃないから、としか言いようがないんだけどね。さて、と」


 ミオリはくるりときびすを返すと、館のほうへと進んでいく。

 黒光りする金属製の門まで来ると、その扉はまるで帰りを待っていたかのように開いていく。

 門を通り、健太の方へ顔を向けると、そこには少し意地悪な表情を浮かべた主の姿があった。


「早く来ないと閉めちゃうぞ?」


 荷物を両手に持ち慌てて駆け寄る健太を尻目に、ミオリはゆったりとした足取りで歩いていく。 


     *


 凄まじい。

 それが、敷地に入った健太が初めに抱いた感想だった。

 外は周りが色とりどりの花が咲く庭園となっており、その美しさは目をみはるものだったが、中はこれまた外観に相応ふさわしい様式美を備えている。

 床には真紅しんく絨毯じゅうたんが敷き詰められ、土足で入っていいものか悩むものだった(ミオリがそのまますたすたと入っていったのでそれにならった)し、広いエントランスにはメイドの姿をした二頭身くらいの人形達が整然と並び、主を出迎える。

 館内だというのに中央にはなぜか泉があり、その中心からは滾々こんこんと水が湧き出ている。

 その奥ある大階段は館の気品を一段と高めており、健太はここに来て初めて、本当の意味での「異世界」を見せつけられていた。

 目に入る驚くべき壮麗さをただ茫然ぼうぜんと見つめる健太に、ミオリは不思議そうな顔をする。


「うん? 健太君。こういうの初めて?」

「ええ、そりゃもう。ここに来てからの記憶しかないからあれですけど、間違いなく初めてかなって」

「……あれ、テンシの家には行ったことないの?」

「へ?」

「あそこはほら、ここよりも凄いじゃない」

「行ったことないですけど、そうなんですか?」

「シバでも一番の邸宅だから、あそこ。そっか、ちょっとびっくりしちゃうかもよ」


 健太はいまだにテンシの家に伺う機会に恵まれていなかった。

 シバの街でも一番小高い場所にあるため、一部だけ見えるその威容を遠巻きに見たことはあったが。

 そんなやり取りをしている間にも、メイド人形達は、手分けして健太が運んできた荷物の荷解きを行い、せっせと運び出す。

 他にも絨毯の掃除を行う者、健太やミオリの足元を綺麗する者など、各々が俊敏な動作で仕事に取り掛かっている。

 動かなくても周りが何でもやってくれる。

 昔の王様とはこんな生活を送っていたのかな、と思ってしまう。


「じゃあ、案内するわね。まずこっちに行くと――」


     *


「――というわけで、最後にここがゲストルーム。健太君のお部屋ね。お夕食が出来たら呼ぶから、少しゆっくりしてね」

「はい、分かりました。それではまた後で」


 食堂を兼ねる大広間や談話室、露天風呂など館内の施設を一通り見学した後、二階にあるゲストルームに通された健太は、ようやく一人の時間を得て、ベッドに腰かける。

 程良い柔らかさと弾力性をもったそこは座っているだけで疲れを癒し、同時に眠気をもたらす。

 一瞬で寝落ちしかけそうになった健太は慌てて立ち上がると、改めて部屋の中をぐるりと見回す。

 シバにある自室の三倍の広さはある客間で、備え付けられている調度品はどれも高級そうな上に埃一つないほど掃除が行き届いている。

 ひと時とはいえ普段と違う空間が自分のものになる感覚は甘美で、健太はここに来て途端に旅気分が増していく。

 ガラス戸からベランダに出ると、圧倒的な美観が目の前に広がる。

 黄金色に輝く太陽がゆっくりと大地の先に広がる雲海を染め上げ、煙立つ金の波は風を受けて緩やかに寄せては返し、揺らめいている。


「うむ、実に美しいな」


 不意に、低いバリトンの声が健太の左耳へと届く。

 驚いてそちらを見ると。


「今日は素晴らしい雲海日和だ。良い時に居合わせたな、君」


 それは、ベランダの手すりの上に鎮座した黒い翼猫から発せられていた。


「し、し、し、しゃべったああああああ?!」

「む。何か問題でも」

「ありますよ! 猫はしゃべりませんよ?!」

「君達の世界では、な。我らが故郷であるアナンタリアでは、翼猫は会話をし、人間達の良き友として存在している」

「そ、そういうものなんですね。……あれ、でもシロマルさんは」


 確か、しゃべっておらず、にゃあと鳴く、健太の良く知る猫っぽい態度であった。


「ああ、あの子は『しゃべることを止めた』んだ。色々あってな。今となっては翼の生えた、ただの愛玩動物だ」

「そうなんですか……」

「あれはあれで幸せそうだがな。我々の種族にとってこの世界は永遠だ。君達を束縛し、解放するAT余命という制限もない。永遠とは幸せなことではあるが、ときに苦痛だ。ただそれも、心を無にしてしまえば気にはならなくなるということだな」

「それって、ちょっと寂しい気もしますけどね」


 クロマルは健太の言葉に小さくうなずくと、優雅な足取りで手すりを伝いその目の前に止まる。そして、美しい鳶色の瞳でその顔をじっと見る。


「若いな」

「そりゃ若いですよ、17ですから」

「それもそうか。とはいえ、人は年齢や表層的な記号では測れない。根というものは変わらぬものだ」

「そういうものですか」

「そういうものだ」


 そう言うとクロマルは狭いスペースで器用に反転し健太に背を向けると、次第にオレンジ色に染まっていく世界を瞳に映しながら、問いかける。


「君は、この世界をどう思う」

「うーん、……快適な世界だと思います。不幸な死を迎えた後、という一点さえなければですけど。いくつかルールはありますが、それも丁寧ていねいにフォローされているというか」

「そうだな。では、この世界はにあると思う」

「何のため、ですか」


 健太は改めて考える。

 死と生の間にある世界。

 前世で非業ひごうの死を迎えた人々が、より良い転生を行うための世界。

 ネクストチャンスが用意された救いのある、奇妙で奇跡のような世界。

 そういう世界が理由なくただ「る」のだと、理解していたけれど。

 考えたこともない問いかけに悩む健太に、クロマルは言葉を重ねる。


「おそらく君はまだ会ったことのないだろうが……、『教授』と呼ばれる女性は、この世界を『エゼルリング』と呼んでいた。君はこの名を聞いたことがあるか」

「いえ。音の感じから海外や異世界の何か……でしょうか」

「だろうな。私も知らない言葉だった。そこで大図書館で調べてみたが、なるほど。どうやら君達の世界の、古い伝承に出てくるけんの名前のようだ。竜殺しの剣とも呼ばれる、な」

「世界の名前が竜殺しの剣って、なんだか物騒ぶっそうですね」

「君の言う通りだ。ただ、あえてそう呼んでいるからには必ず意味がある。そして――」


 クロマルは再び健太に振り返ると、射抜くような強い視線で告げる。


「君が追い求めている存在かれと、この世界に秘められたモノ。それらは複雑にからみ合っている。全ての真実を知りたいのなら、この世界の在り様にも目を向けるべきだ。間違いなく言えることは、ここは『人工的に作られた』世界だということだ」


 黒い翼猫のはるか先に見える雲海は風の影響か、時折たてに長く立ちのぼる。

 その姿はまるで雄々おおしい竜の姿をかたどっているかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る