薄紅に染まり、織り重なる糸 Ⅱ

 中央広場とシバの南東エリアの間には、多くの緑に囲まれた森林公園がある。

 入ると、人の活気と喧騒けんそうに満ちていた雰囲気は一転し、小径こみちの周りに背の高い木々が立ち並ぶ、幻想的な風景が姿を現す。

 そこでは、鳥のさえずりや葉擦はずれの音、小川のせせらぎが聞こえる一方、数々の草花くさばなりなす豊かな深緑しんりょくの香りは大気に溶け、踏み入れた者の緊張を自然と解きほぐしていく。

 二人はそんな森林公園の一角にある、屋根と木製の机や椅子がえ付けられている休憩所きゅうけいじょ、いわゆるガゼボで、向かい合って昼食にありついていた。


「おあじはどう?」

「うん、これめちゃくちゃうまいですね」

「でしょでしょ。ここのガレットクレープは本当においしいんだから」


 二枚を一分とかからずあっという間に食べたミオリは、両手で頬杖ほおづえをつき、ニコニコしながら健太の食事を見守る。

 健太は一枚目の半熟卵とハムに葉野菜が入った茶色い生地のクレープを食べきると、そのままフルーツが入った二枚目にとりかかる。

 話を聞くと、ミオリの生活は普段、朝から夕方まで中央官庁にある自室で完結してしまうらしく、近くの食堂に行くのすら億劫おっくう……とのことらしい。

 意外と出不精でぶしょうなのかな、と何事もきっちりしてそうな彼女の新しい一面を知って、妙にほっこりしてしまう。


「それにしても、ミオリさんと二人きりって何だか初めてですね」

「そっか。健太君はの記憶ほとんどないもんね。ほら、前に海上遺跡に行った時」

「あー……。そのせつは本当にありがとうございました」

「んーん。結局、君に何が起こっているかは分からずじまいだったけど……」


 以前、ミオリと共に冒険へと出かけた時、とあるアクシデントで健太は自力で動くことが出来なくなってしまい、ミオリに自室まで運んでもらうことになった。

 うっすらとした記憶の片隅かたすみに、ミオリの「うー」とか「うがー!」という声が残っている。

 と、ふとそんなことを思い出していると、目の前のミオリはなぜかジト目になり、ぼそっとつぶやく。


「ところで、健太君。まさか、これ、デートとか思ってないでしょうね」

「ぶっ?! いやいやいや、全然ないです」

「えー? 本当に? 勘違かんちがいしてない? ……ま、私はデートでもいいんだけど」

「って、いいんですか」

「やっぱダメ。テンシに悪いし」

「え、でもテンシさんにはあの人のことがあるし、気にしなくてよいのでは」


 タカバヤシクロトあの人。テンシの想い人だ。

 この世界からは既に去った彼を、彼女は未だに想い続けている。


「あの人、ね……」

「そうだ。ミオリさんはあの人のこと、何かご存じでしょうか」

「それなりにはね。テンシからは聞いてたっけ、あたしとテンシが同じ日にここに来たこと」

「え、そうなんですか」

「うん。で、記憶らしい記憶のほとんどを失っていたあたし達に、案内から何から、面倒見てくれたのが彼なのよね。んで、あたしも告ったんだけど、見事にフラれたのよね」

「えええ、ミオリさんが告白?!」


 意外だった。

 目をみはるほど可愛いが、一方では理知的で全体的にサバサバとした雰囲気のある彼女は、あまり恋愛ゴトに気持ちが傾くことはなさそうなイメージがあったからだ。


「うん。テンシほどじゃないけど、それなりにあたしもイケてるじゃない? 上手く行くと思ったんだけど、残念ながらね」

「何ていうか、凄いですね、あの人」


 経緯けいいはさておいても、この街を代表する美少女二人にモテるのも、そでにするのも健太には想像が出来ない世界だった。

 もしかすると、既に付き合っている人が居たのだろうか。


「ここで付き合ってる人はいなかったと思うな。でも、好きな人はいたと思う。ただ、使命感のかたまりみたいな人だったから、恋愛とかは余計よけいだったのかも」

「なるほど……」


 ミオリの視線はどこか遠い。


「ま、それはさておき。色々あったけどその後もずっと面倒見てくれてね。あたしもテンシも、クロトパーティーの一員というわけなのよ」

「なるほど……。どんな人だったんですか?」

「優しい人。強い人。ずっと先を見通しているような人。完璧かんぺき欠点けってんのない、大人の男性。普通の人には背負えないような重たいものを全て抱えて、それを誰にも見せずに笑っているような、そんな人だった。だから、……かな」

「そうですか……」

「ま、健太君と比べるのはちょっと可哀想かわいそうよね」

「う」

「でも、欠点はなかったけど、欠点がないっていうのが、欠点だったのかもね」

「なんだかそれって、うらやましいですけどね」


 僕なんか欠点だらけで、と苦笑する健太をミオリはじっと見て、表情を和らげる。


「君には欠点があるかもしれない。でも、それって人間らしいじゃない。あたし、健太君のそういうとこ、好きよ」


 と言って、すぐにハッとした顔になると。


「あー、違うよ? 好きっていうのは人間として、ということね。人類愛みたいなやつ? 間違っても恋愛とかじゃないからね、そこ、間違えないように」

「はい……」

 

 急に早口でまくし立てるミオリを見ていると、全力で否定はされたけれど、不思議と込み上げてくる嬉しさは表情に残ってしまう健太だった。


「それにしても、記憶がほとんどないって僕とも同じ境遇きょうぐうですね」

「そうね、でも、あたしの場合はちょっと、ね」

「何かあるんですか?」

「……これ見てよ」


 そっと一つの画面を差し出される。

 そこに表示されていたのは、基礎画面の一つであった。

 ATここにいられる日数や初めてここに来た日、直近の転生日などの記載があるもので、一見して健太と同じものであった。

 だが、一つだけ、違和感を覚える部分があった。


苗字みょうじが、ないですね」

「それ。あたしには苗字がない。この街に流れてくる人々は、2020年から2050年までの地球に居た人なんだけど、当然、全ての人に苗字がある」

「うーん、何かのバグとか、そんなものでしょうか」

「確かにそれは一理あるわね。でも、おそらくそうじゃない。あたしは仕事柄、ターミナルに流れ着いた人やここに住んでいる人のリストを持っている。で、ある例外を除いて、そうはならない。……健太君、ビッグシェルフのことは知ってる?」

「はい。この世界にある、四つのエリアのうちの一つで、架空の物語などで不幸な死を迎えた人が流れ着いている場所だと。……って、まさか」


 ミオリは小さく肯く。


「そう。そういった特殊な背景のせいか、ビッグシェルフ出身者は、必ず苗字が無くなる。これはまぎれもない事実。そして、まれに違うエリアに流れ着いてしまうことがあるというのも、事実としてある。つまり、あたしは、もしかすると」


 架空かくうの存在なのかもしれない。

 そこまで言って、ミオリはびんに入ったジュースを飲むと、小さく息をつく。

 そして、おもむろに自分の右手を前に伸ばし、指先を開いたり、閉じたりする。


「こうしてちゃんと動いてる。感覚だってある。でも、は、誰かが作った物語の中に居る存在かもしれなくて、身勝手に人生めちゃくちゃにされて、死んじゃったのかなって」

「……大丈夫、ですよ」


 そう言うと、健太は不思議なほど自然な動きで、ミオリの手を自分の両手で包んでいた。


「ほら、ちゃんと温かいし、やわらかい。もし、仮に万が一そうだったとしても、今は、ここでちゃんと存在してる。自分の意思でやりたいことを出来ているはずです」

「……」


 ミオリは急に黙り込むと、健太の手からするりと抜け、顔をそむける。


「健太君、ありがとう。でも、その、さ。こういうことする時は、前もってやっていいかたずねてからにしてよ」

「あ。えーと、すいません……」

「別に君だからいいけどさ。ほら、例えばあたしの好みじゃないオッサンとかが同じ事したら紫電しでんビリビリの刑じゃすまないんだよ?」

「や、本当に軽率でした」

「いいよ、うん。……まさか君が、あたしの聞きたかった言葉くれるなんて、ね」


 背けたままミオリの顔は、健太の位置からは表情が読み取れなかった。

 ただ、その耳たぶは、髪と同じ色に染まっていた。


     *


「ところで、明日は予定ある?」

「朝は墓守のお仕事がありますけど、他には特に……」

「そっか。じゃあ、ちょっと待ってね」


 ミオリはそう言うと【Talk】を引っ張り出し、誰かと通話を開始する。

 二言三言やり取りし、すぐに切ると。


「はい、明日の墓守は大丈夫」

「へ?」


 健太は予定を確認すると、依頼は既に達成扱いとなっていた。


「いいのかなあ……」

「気にしないで。おじじは二つ返事でOKしてたし、ちゃんと報酬も入るから。ってわけで、引き続き荷物運びを手伝ってくれないかしら」

「あれ、さっきセンターで家に運ぶように手配したんじゃ」

「んーん。あれは『いつもの場所』にお願いしただけ。この街に、あたしの家ないし」

「ええっ?! もしかして、森の郊外に一人住んで怪しげな薬を開発する魔女とかそういう設定……」

「あんたね、どういう目でアタシ見てんのよ。ほら、ついてきて」


 そう言ってミオリは立ち上がると、包装袋を色護符で作り出した炎で焼き払い、そのまま歩き出す。

 健太は慌てて、薄紅色の髪がリズムよく揺れるその後を追いかける。



 シバ北門を出てすぐの郊外。

 そこには、白い石が敷き詰められた、小さな運動場くらいの平地がある。

 通称、発着場と言われるその場所に、二人は足を運んでいた。


「あれ、さっきの荷物がこんなところに」


 発着場の端には、先程の戦利品が大きな袋でひとまとめにされ、置かれていた。


「うん、ここからあたしんに行くからね」

「というと、シロマルさんに乗って行く感じですね。でも、今日は……」


 シロマルは居ない。

 ミオリは意に介さず大きく息を吸い込むと、首からいつものようにぶら下げている小さなホイッスルを吹く。

 このホイッスルは、人間には聞こえない音が鳴るらしく、音が出ないままほおを膨らませて鳴らし続ける彼女は、いつ見ても微笑ましい。

 と、物陰から一つの小さな黒い影が発着場に飛び込んできた。

 

「黒い……翼猫?」


 ちょうどシロマルと同じくらいのサイズがあるその黒猫は、見る見るうちに発着場を埋める程度の大きさへ変化を遂げる。


「今日はこの子、クロマルが頑張ってくれるわ」

「……なんか、安直な名前ですね」


 その瞬間、強烈な視線を感じ、健太は思わずクロマルの顔を見上げる。

 だが、クロマルは明後日の方を向きなぜか口笛でも吹いているような「表情」を浮かべていた。


「いいじゃない、分かりやすいし。さて、乗った乗った」

「は、はい」


 荷物を抱え上げ、軽く跳躍してクロマルの上に乗る。

 座り心地はシロマルと同じで、まるで高級な絨毯じゅうたんに埋もれているかのような心地よさがある。


「ところで、どこに行くんですか」

「そういえば言ってなかったわね。あたしん家は、……あそこよ」


 そう言うとミオリは人差し指で、白い雲がやや厚みを増してきた真上の空を指差した。

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