第四十一話 水面に揺蕩う追憶

「……ん」


 何重にもぶれた身体が徐々に重なっていく不思議な感覚と共に、意識が緩やかに戻ってくる。

 少年が薄目を開けると、その周りにあるのは、いつもの狭く暗い空間。

 唯一の光源である淡い光が、鼻のあたりに位置する小窓から差し込み、彼を覚醒させようと促す。


「んう、ああ……」


 ふわついていた意識が戻ってくると、ゆっくりと左手を前に押し出す。

 棺のふたはいつものように簡単に外れ、ターミナルに吹く風に乗って、薄い雲がかかった空高くへ巻き上げられ、彼方へと消えていく。

 そして、少年は時間をかけて身体を起こす。


 前回の時とは違う、あまりにも穏やかで幸せな目覚め。


 それはまるで、楽しくて騒がしい、お祭りの日々が終わった後のような心持ちで。

 充実感と、幾ばくかの寂寥せきりょう感、そして心の奥に灯る残り火の熱で、少年は満たされていた。


「健太さん、おはようございます」


 声をかけられ振り向くと、共に旅立った少女が、一つ棺を挟み、ちょうど身体を起こしたところであった。

 つやのある白髪が薄明りの逆光に照らされ、輪郭と髪先がきらきらと輝く。

 それは、ため息が漏れるほどの、圧倒的な美しさだった。


「テンシさん、おはよう」


 健太は挨拶を返すが、その後の言葉が続かず、互いに見つめ合う。

 テンシもじーっと彼を見つめていたが、突然噴き出すと、


「もう、そんなに見つめられたら、恥ずかしいですよ」


 あの日と同じように、テンシは健太にはにかむのだった。


     *


 二人は立ち上がると、間にある棺に近づき、視線を落とす。

 そこはおそらく、彼女の「場所」だった。けれども、そこはからになっており蓋もなく、彼女が戻ることがなかったのだと、そう改めて実感させられる。

 理解しつつ、それでいて寂しそうな顔をする彼にテンシは優しく声をかける。


「じゃあ、行きましょうか」

「行くってどこに?」

「マナちゃんに会いに、です」



 まだ薄暗い、夜明けの道を二人は歩いていく。

 ほとんどの露店が開店前の市場を通り過ぎ、いつもの住まいへの緩やかな坂の道を上り、そのまま西の広場へ辿り着く。

 早朝から唯一営業している花屋で、黄色い小さな花が活けられたプランターを購入した後、その先にある大聖堂、その手前の階段を下りていくと。

 そこは、過去に街の案内で訪れた、あの大霊廟だった。

 中に入ると、以前と変わらず、仄暗くおごそかな空間が広がっている。

 二人は左手にあるカウンターの画面で記帳を済ませると、隣に立っていた管理人であるミスラの先導で、中央にある大きな池へと向かう。


「……こちらです」


 そう言うと、ミスラはそれぞれが淡く輝くランタンの一つを指差す。

 下部に金属製のプレートが貼り付けられており、そこには「モトムラマナミ」と彫られていた。

 中にある群晶は、周りに比べ、ひと際明るい黄金色に輝いている。


「テンシさん、これは……」

「大聖堂で最終転生を行った方は、しばらくすると、このような結晶体となってこの世界に形を残します。そして、共鳴転生を行った人は、記録という形であれば、ほんの少しだけ視ることが出来るんです」

「百聞は一見にしかず、ですね。ミスラさん、お願いします」

「はい。それでは、行きます」


 ミスラは右手に持つ錫杖しゃくじょうを、床に軽く打ち付ける。

 じゃらん、という錫鳴すずなりの複雑な音色が静寂の世界に響き渡り、錫の先から数色の淡い光が緩やかに弧を描きながら拡がり、愛美の群晶と二人を繋ぐ。

 そして、ミスラは静かに、虚空へと呼び掛ける。


えにし重なりし者達に、秘蹟ひせきの虹よ、降り注がん」


 光が強くなり、室内に溢れ、「彼女の記録」が断片的に頭に流れ込んでくる。



 地方の都市に生まれたその娘は、母親がピアノ講師であった関係で、物心つく前からピアノをたしなんでいた。

 生まれつきの才能と、著しい努力の結果、難易度の高いクラシックの楽曲を演奏出来るようになる。

 その後、オリジナルの作曲を始め、とあるアーティストの音楽に触れたことがきっかけで、ピアノやギターを用いたシンガーソングライターとして、活躍することとなる。

 二十一歳の時。二度目の全国ツアー、最終日。

 最後のアンコールでデビュー曲を観客と共に歌い、万雷の拍手と喝采の下、椅子に座りながら眠るように意識を失い、その後、程なくして急逝する。

 後にマスコミへ開示された情報によると、十八歳の頃、症例が少なく、治療も難しい部位の癌を発症し、余命も分からない状況下で、まさに命を削って駆け抜けた人生だった。

 没後、明るくも繊細な音楽と音楽観は、改めて高い評価を受ける。

 一方、彼女が書き溜めた楽曲は、多くのアーティストによりトリビュートされ、様々なシーンで使われる、至極のナンバーとなった。


 佐藤 絹(サトウ キヌ)。享年二十一歳。死因:癌による多臓器不全。



 光が収まり、それを視た健太は。


「愛美さん、頑張ったね……」


 何度も、何度も頷き、涙を溢れさせていた。

 そして、一緒に視たテンシは、眩く煌めき続ける彼女のランタンに、温かな笑顔を注ぎ続けている。


     *


「あれ、マナちゃんのランタン」


 見ると、ランタンの下に敷いてあるトレイに、既に青い小さな花のプランターが一つ、供えられていた。


「それは、とある女性がお二人の来られる少し前に拝観されて、捧げられたのです」


 ミスラは、テンシから渡された黄色い花を青い花の隣に飾りつつ、言葉を続ける。


「……おそらく生前に縁故えんこがあったのでしょうね」

「不思議なご縁もあるものですね。ここに流れ着くこと自体なかなかレアなのに」


 テンシはミスラの横に屈みながら、二種類の花に彩られたランタンを眺める。

 健太はその光景を少し後ろで見つめながら、その女性が誰なのか分かってしまい、胸が締め付けられるような切なさを覚えるのだった。



 大霊廟を出ると、テンシは一面に広がる青空へ向け大きく伸びをした後、健太へ振り向く。


「戻って来てから何も食べていませんし、遅めですけど朝ご飯にしましょうか」

「うん、そうだね」


 談笑しながら、広場を歩いていく。

 その途中でベンチに座り、ぼんやりと空を眺めている女性を健太は目にする。


「テンシさん」

「はい、何ですか?」

「えっと、ちょっと先に行っててもらってもいいかな、ごめん」


 健太の表情に、テンシはただならぬものを感じて、その視線の先を確認する。


「……はい。私、先に席取っておきますね」

「うん、ありがとう」


 広場の出口へ向かう彼女を見送った後、健太は女性の居るベンチへ行き、左隣に座る。

 女性は驚いた表情で彼を見る。


「ああ、君か。久しぶりだね」

「ええ、先生も」

「先生はよせ、ここではただのチュートリアルのお姉さんだ」


 チュートリアルのお姉さんこと、サエは苦笑しながら、また空を見上げる。

 健太も同じように空を見上げ、しばらくして口を開く。


「……いい転生が出来たと思います」

「そうか」

「……あと、この世界を楽しめたと思います」

「そう、か」


 そして、またお互いに無言が続いた後。

 西から強い一陣の風が舞い込み、広場に若草の匂いが立ち込めると、健太は立ち上がる。


「じゃあ、僕は行きますね」

「ああ。ありがとう」


 健太が去った後も、サエはしばらく何かに浸るように目を閉じていた。

 そして、おもむろにあの夜届いた、フレーズを口ずさむ。

 その柔らかい響きは、昇りゆく朝日を浴びて、少しずつ大気に融けていく。

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