第四十話 ラスト・ダンス

 ――翌日、旅立ちの朝。

 集合場所の紹介所で、テンシと愛美は健太と予定通り合流した。

 健太は普段通りの元気を取り戻しているようであったが、


「本当に、ほんっとうに何ともないんですね?!」

「うん……あんまり記憶はないけど……」


 と、テンシにしては珍しい、やけに語気が強めの心配をされる始末であった。

 明け方、ミオリからテンシに連絡があり、


「わっけわかんないわ、お手上げ! 全ての数値に異常無し、今日はスケジュール通りで大丈夫! そしてあたしは帰って寝る、おやすみ!」


 といった感じで、特に問題はないようであったが、目の前にいるとどうしても気にしてしまうテンシである。


「わかりました、健太さんのこと信じますからね! でも、少しでも頭が痛いとか熱があるとかのどが痛いとかあったらすぐに言ってくださいね!」

「う、うん……」


 そんな二人の掛け合いを、人々は遠巻きに物珍しそうに眺め、愛美は小さく「何だか世話焼きの奥さんみたい」と呟くと、目の前の光景がどうしようもなく愛しくなってきて、楽しそうに目を細めて見守っていた。



 そして三人は、紹介所でこの五日間の報告を行い、大量の報酬を手に入れると、すぐさま転茶屋に移動する。

 各段階の達成を確認し、隣接の護符屋で足りないもの、伸ばしたいもの、必要なものなど、全体のバランスを整えていく。


「そうだ。この護符を持って行ってください」


 テンシが愛美に手渡したのは、あの【漆黒】が落とした、虹色の護符であった。


「えっと、いいんですか?」

「うん、これはマナちゃんのための護符なんです、きっと」

「……それじゃあ、ありがたく頂きます!」


 愛美はそれを受け取ると、護符は煌めき、カードケースに自然と吸収される。

 各数値に変化はなかったが、テンシは満足そうな笑顔で、それを見つめていた。



 西の広場に到着すると、そこは今までにないほど多くの人で溢れかえっていた。

 彼らは、三人がやってくるのを見るや否や沸き立つ。


「あ、テンシちゃんだ!」

「ということは、あの横の子が昨日の?」


 歓声の中、歩く。

 が、健太と愛美はこの状況を全く理解しておらず、戸惑う。

 愛美はテンシの服の袖を掴んで隠れるように歩き、小声で尋ねる。


「な、何が起こってるんですかこれ」

「あ、これは昨日のマナちゃんのリサイタルの結果というやつですよ!」

「へ、私?」

「そうです。実はアレ、街に流れていたんですよ?」

「え、ええ、ええええ、えええええええ……」


 衝撃の事実に、向けられる視線に、さらにテンシの後ろに隠れようとする。

 が、テンシのほうが小柄なため隠れきれず、健太の後ろに隠れなおし、端からちらちらと見る。

 テンシはそんな愛美へ、嬉しそうに語り掛ける。


「この世界は、その人の一生懸命な願いが届くんです。マナちゃんの気持ちが、皆に伝わったんですよ。だから、ほら」


 その言葉を受け、愛美は隠れるのを止めると、おずおずと、群衆の前に顔を出す。

 そんな彼女を出迎えたのは、喝采と笑顔だった。


 昨日の、良かったよ!

 精一杯、やりきって来いよ!

 あっちのみんなに歌を届けてね!


 言葉の数々に、愛美は顔を俯けると、小さく、ありがとう、と呟いた。


     *


「はい、では三人とも手を繋いでください」


 大聖堂、礼拝所。

 その最奥は、低い木の柵で囲まれた、直径四メートル程の円形の庭となっていた。

 その場所は短く刈られた芝生が生い茂り、天井や窓から降り注ぐ陽光に照らされ、一際明るく輝いている。

 三人はそこに横たわり、修道女のマリィに言われるがまま、手を繋ぐ。

 こんな形で女子とこんなにしっかりと手を繋ぐことになるとは思わず、健太は少し照れてしまう。

 愛美の手は思ったより力強く、テンシの手は小さくて柔らかく、温かかった。

 そんな健太に、左隣にいる愛美が耳元で囁く。


「ね、健にぃ、ちょっと」

「ん、なに? ……んおっ!」


 横を向いた健太に、急に唇を合わせる。

 健太は驚いて離れようとするが、愛美は右手を頭に回しホールドすると、ことのほか長い間、まるで恋人のように、それを重ね続ける。


「……? え、あ、二人とも、な、な、な、な」


 呼吸を合わせるようにして目を瞑っていたテンシは、雰囲気がおかしいことに気づき、目を開け二人の方を見て、その状況に思わず声を上げる。


「何してるんですかあー⁉」

「ぷは。何って。キスです、キス」


 そう言って、今度はテンシの方に顔を向け、ふふん、と笑みを浮かべる。


「ほら、こういう展開だと、やっぱりこれですよね」

「――」


 テンシは、ふるふると身体を震わせるも言葉が出てこない。

 自分の感情を持て余す白髪の少女に、愛美は顔を近づけると、耳元で囁く。


「ふっふっふ、シーちゃん、妬いちゃいました?」

「そ、そんなんじゃないですけど、風紀が乱れるというか、そういうのは好きな人と、んうっ」


 風紀を口にする彼女の言葉は、途中で遮られる。

 愛美は、健太に続き、今度はテンシの口をも塞いでいた。

 テンシは初めての経験に混乱し、しかし拒むことも出来ず、為すがまま彼女を受け入れる。

 愛美は、開いた口が塞がらなくなり、その光景をただ見届ける健太の視線を気にも留めず、たっぷりその柔らかさを味わい、離れると。


「……こういうのは、好きな人とするもの、ですよね?」


 耳元に響く愛美の言葉に、テンシは顔が耳まで真っ赤になり、逆に頭の中は真っ白になってしまうのだった。

 再び仰向けになった愛美は、笑顔で目をそっと閉じる。

 あっという間に駆け抜けたこの一週間を、脳裏に思い浮かべ、そして。

 目を閉じたまま静かに、健太に語り掛ける。


「健にぃ。この世界にはやっぱり、天使が居ましたよ」

「もう少しだけこの素敵な、天使の居る世界で過ごしたかったけど」

「でも、その分、あっちで頑張ってきますね」


 満足そうに目尻を下げる愛美。

 その端から溢れ出た滴が、こめかみへ筋を描く。


「ね、健にぃ、シーちゃん。あっちでも、きっと会えると思うけれど」


 と、光の泡が全身からゆっくりと溢れ、虚空に消えていく。


「もし、良かったら、あっちでも、私と――」


 健太とテンシからも、光が細かい泡となり浮かんでは溢れ、身体が融けていく。

 ゆえに、少女の願いは最後まで聞こえることがなく。


 三人は、生の旅路へと歩んでいく。


     *


 庭園の前で、膝立ちで祈りを捧げ、彼らを見送った修道女は、ゆっくりと立ち上がると、場に残る光の残滓を掬い取り、何かを呟く。

 すると、光は複数の蝶を形作り、弧を描き、辺りを緩やかに羽ばたいていく。


「ふふふ、みんなの道行きに幸有らんことを……」


 それらが泡となり消えるまでずっと、彼女はその美しい舞を眺め続けていた。

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