第三十九話 歌で満たされていく街で

 日没の時間はとうに過ぎ、藍色が下りてきた空を切り裂くように、一行を乗せた翼猫は猛然と突き進んでいく。

 何もない暗い海上を最短の直線コースで駆け抜けると、行きの半分にも満たない時間で元の離陸地点へと戻ってきた。

 愛美は突然の出来事に疲弊しており、健太はというと、どうやら意識が随分と遠くにあるようで、テンシの呼びかけにもぼんやりとしており、辛うじて軽く返答するのが精一杯というていであった。

 テンシとミオリは帰路で軽く打ち合わせをし、その結果。


「じゃあ、私は健太君運ぶから、テンシは愛美さんをお願い」

「はい、了解です!」


 それぞれを抱きかかえ、家へと運んでいく。



 ミオリは健太を部屋まで運び、ベッドへ下ろす。

 ぐったりとした健太に少し心配そうな顔で、声をかける。


「大丈夫?」

「……いえ、あんまり。身体重たいです。すいません、少し休みます」


 薄く目を開いた時に、自室に帰って来たのが分かったのだろう。

 少しだけ強張っていた最後の緊張が解けるや否や、すぐ寝息を立て始める健太に、ミオリは苦笑いを浮かべる。


「ま、寝られるってことはいいことなんだけどね」


 端に丸まっていた毛布を彼に被せると、ミオリはベッドの横にある椅子に座る。

 背もたれに頭を預け、目を閉じ、ふう、と一息つくと、


「さてと。じゃ、色々と確認しますか」


 姿勢を正し、空中に複数の画面を出すと、目をせわしなく動かしながら、流れるような指捌きでタップを始める。


     *


 一方、屋敷に戻った二人は、今日の疲れや汚れを拭い去るため、大浴場を満喫していた。


「あー……、生き返る、マジで生き返った気がするー……」

「あはは。マナちゃん、本当にお疲れ様でした」


 二人は並んで湯に浸かる。

 テンシは首を反らし、タオルにくるまれた頭部を湯船の縁につけ脱力する。

 少し間があった後、テンシが申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい、怖い目に遭わせて」

「ほんとですよ! 思わず漏らすくらい怖かったですよ、アレ!」


 そう言って一瞬だけ軽く唇を尖らせると、ふっと表情を崩す。

 そして、愛美も同じく首を反らし縁に頭をつけると、目を閉じ、ぽつりと呟く。


「……死にたくないって、心の中で、何度も何度も願ったんです」

「よくよく考えたら、もう死んでるんだし、死にたくないっておかしいんですけど、でも、だからこそ必死で。とにかく終わりたくなくて、みんなと最後まで頑張りたくて」

「その時、頭の中に声が響いたんです。『じゃあ、叶えようか』って」


 愛美は薄目を開き、立ち上る湯煙をぼうっと眺める。


「たったそれだけ。短いそれだけだったんですが、その声が力強くて」

「そしたら、健にぃが守ってくれて」

「誰かに守られるなんて、……本当に、初めてだったから」


 テンシも、あの時のことを思い浮かべる。

 信じられない光景だった、何もかもが。

 きっと、今、ミオリちゃんが全力で走査チェックしているんだろうな、と彼女が気合の入った時に見せる、眉がきりりと上がった顔を思い浮かべ、わずかに笑みが漏れる。


「シーちゃん的にはどうですか、今日の健にぃ、かっこよかったですよね!」

「……うん、本当に」


 どうしても、彼と「彼」が、被る。

 あの刀を抜けたのも含め、複雑な感情が胸の中で躍り、そして。


「格好良かったなあ、健太さん」


 そう、素直な言葉を口に出すのだった。


     *


 最後の夜は、テンシの部屋に愛美がお呼ばれする形となった。

 転生したらやりたいこと、食べたいもの。

 次の父親はどんな人か、母親はどんな人に巡り合えるか。

 雑談と共に、愛美は自分の願うイメージを膨らませていく。

 テンシが言うには、


「イメトレは結果に繋がりますからね、最後の夜はイメトレが大事なんです!」

 

 と、少しだけいつもの調子に戻って、自信たっぷりにイメトレ有効論をぶちまけていた。

 様々な希望や願い、夢を語った後で、会話が途切れ、少しの間が生まれると。

 愛美はやおらベッドから起き上がると、室内をゆっくり歩き、バルコニー手前にある椅子に座り、穏やかな口調で語り始める。


「……昨日、私の人生を二人にお話しして、全てを聞いて頂いて、受け止めて頂いて」

「嬉しかったんです、本当に」

「でも、その時、気付いたんです」

「あの時。私は辛さも、苦しさも、願いも、全て抱え込んでしまったけれど」 

「もっと早く、母親と正面から向き合えば良かったんだって。それで駄目だったら、友達や、あと、先生でも。もっと早く、誰かを頼っても良かったんだって」


 夜風が、バルコニーからふわりと舞い込み、愛美の髪を、カーテンを、揺らしていく。

 テンシは無言で近づくと、後ろから愛美を抱きしめる。

 愛美は嬉しそうな表情で、その二の腕を、自分の手でさらに引き寄せ、頬をすり寄せた。


「ありがとう。シーちゃんと健にぃに出会えて、本当に良かった」


 しばらくそうした後。

 テンシが離れると、愛美はそのまま歩き、ふらりとバルコニーに出る。

 そして、室内にいるテンシに振り向くと、


「ね、シーちゃん」

「物凄く近所迷惑かもだけど、私、最後にここで歌ってみたいです」


 昔、学校の屋上で歌ったみたいに。

 愛美の願いを、テンシは笑顔で受け入れる。


「マナちゃんの歌、聴いてみたかったんです」


 それに、ここはご近所さんいないから大丈夫ですよ、と念を押しておく。

 じゃあ遠慮なく、と愛美は大きく息を吸い込み、大好きな母親の歌を、歌う。

 全ての音を覚えている彼女は、その記憶と連動し、声と共に音楽も重なっていく。

 それは、彼女が大好きな曲であり、聞いた人に大好きになって欲しい曲だった。

 

 熱唱が終わり、彼女は息を整えると、もう一曲、静かに歌い始める。 

 それは生前、デビューを夢見た彼女が密かに作り上げた歌だった。

 


「ん……?」


 健太の部屋で画面とにらめっこを続けていたミオリは、画面が一つ自動で開かれるのを見て、その内容を確認すると、目を細めて笑みを浮かべ、Acceptのボタンをタップする。

 すると、部屋の中にその歌声が響き渡る。

 ミオリは少しだけ手を止めると、その音色に聞き入った。


「……んん」


 ぐっすりと寝ていたはずの健太も、薄く目を開け、その響きを子守歌にして再び深く温かい眠りに引き込まれていく。



 そして、夜の街は彼女の歌で満たされた。

 その優しい曲調は、力強いフレーズは、切ない歌声は、人々の奥深くにまで届いていく。

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