第三十八話 赤イ弾丸
ミオリの脳裏に、あの頃の記憶が
彼と、彼の仲間達と、そしてテンシで、隆々たる山脈に囲まれた、人が立ち入ることの無い盆地で野宿をしていた時のことだ。
「それにしても、あの赤いフード男は何なんでしょう」
「あれはね、『殉教者』なんだ」
「ジュンキョウシャ、ですか」
「ああ、彼が元々居た集落では、そういう風に言われていた。本来の意味とはやや違うと思うけれども」
自分の膝枕の上で涎を垂らしながら眠りこけるテンシの髪を
あまり聞き慣れない言葉だが、意味は分かる。
自らの信仰を守った結果、命を落とした人のことだ。
「彼らにとっては聖人でもあるんだ。……僕達にとっては、どうしようもなく『敵対すべき者』なのだけれども、ね」
そう言うと、青い瞳をこちらへと向ける。
優しい表情にはどことなく、ほのかな寂しさが滲んでいる。
*
「こんなところにどうして、――」
ミオリがその名を呼んだ瞬間。
健太は既に、数メートル横に吹き飛ばされていた。
クリーム色をした遺跡の地面に身体を叩きつけられ、一瞬、息が詰まる。
何が起こったのかは、認識していた。
ミオリから殉教者と呼ばれた、全身を赤いローブで覆い、フードを目深に被ったそれが、ふらりと身体を揺らした直後、瞬き一つの間で肉薄し、右回し蹴り一閃で弾き飛ばしたのだ。
そして、再び無気力な棒立ちに戻ると、その先のいる愛美へと目を向ける。
……ソレを……よ……こせ。
愛美の頭に染み込む、それは呪詛だった。
暗く冷たい、明らかに人とは異質の、淀んだ声。
その響きは恐怖を植え付け、心を
「ミオリちゃん、解読! 急いで!」
「だー、もうやってる! あいつのって、なんだってこんなに毎回毎回めんどくさいのよ!」
テンシの言葉にミオリは画面を八つほど展開し、目にも止まらぬ速度でタイプ、タップを繰り返す。
この膜は害はない。不可侵の壁のようなもので、時間稼ぎのようなものだ。
今までであれば、殉教者との一対一は「彼」が相手であったため、時間をかけても解ければ問題無いというような心持ちであった。
けれども、今回は。
確実に少しずつではあるが膜の厚さが薄くなる、が、状況は絶望的であった。
殉教者は左手を開くと、そこに黒い瘴気が集まり、一振りの黒い剣が出現する。
「いや……」
にじり寄る恐怖に耐え切れず、上擦った震える声で、愛美は呟く。
殉教者は同じ呪詛を繰り返し、黒剣を座り込んだ少女へ無造作に振り下ろす。
が。
場に、ギィン、という金属音を激しく擦り合わせた音が鳴り響く。
健太は態勢を立て直し、飛び込み、すんでのところで愛美への一撃を自らの剣で受け流していた。
低い態勢で突っ込んだ健太は、見下ろす敵の眼をフードの端から垣間見る。
――それは、人の眼ではなかった。
獣、いや、蛇のように冷たい、人を畏怖させる濁った金の眼。
殉教者は、受け流された剣を引き戻す形で、右から左に薙ぎ払う。
先程とは違い、凄まじい勢いで振り抜かれた斬撃を健太は再び剣で受け止めるが、あまりの勢いに剣は弾かれ、手からも離れ、その身体は一〇メートル以上吹き飛ばされ、転がる。
「健太さんっ!」
テンシの声が聞こえた気がするが、凄まじい衝撃に健太の視界はおぼつかない。
「あと五十秒!」
ミオリはさらに高速で処理をかけるが、自分で発した時間の長さを痛感し、唇を噛む。
殉教者は折れた黒剣を一瞥し投げ捨てると、背負っていた長大な剣を引き抜く。
そして、再度呪詛を繰り返し、両手で握り、大上段に構える。
間に合わない。何もかもが。
座り込んだ少女は、みっともない姿を晒しながら、この救いのない運命に、一瞬ではあるが諦めに身を委ねようとした。
だが、絶望を抱いてなお、彼女は別のことを願った。
両腕で抱えた剣に向かって、心の中で何度も、何度も。
その時。
彼は、再度立ち上がると急加速し、殉教者へ背を向け、愛美を守るように屈みこむ。
それはまるで、テンシが見たあの日のように。
「ッッッッ!」
声にならないテンシの叫び。
けれども、目の前の結界は解けない。
そして、振り下ろされる大剣。
非情な瞬間が訪れる。はず、だった。
――。
またもや、耳障りな激しい金属音が場に鳴り響く。
殉教者が全力で振り下ろした黒い大剣は、刀身が紅色に
彼は背中を向いたまま、殉教者の動きも見ていないにもかかわらず、片手を無造作に振り上げるようにして、それを成していた。
テンシもミオリも、愛美も、そして、
「あ……?」
殉教者さえも、その異常な状況を理解出来ない。
改めて、今度はより確実に刈り取るため、大きく振り被る。
その瞬間、彼は身体を反転させ、体勢を整えると、全力で振り下ろされた一撃を正面から受け、軽々と押し返す。
殉教者は大きく後ろに飛び退くと、考えを改めたのか、一呼吸置き、間合いを測る。
息の詰まるような緊張感が、場を支配する。
刹那。
それは赤い弾丸となり、正対する彼へ迫る。
だが、寸前で地面を踏み込むと横に跳び、彼の右手に躍り出ると、そこからさらに地面を蹴り、がら空きの腹部を両断せんと横薙ぎ一閃、刃を振るう。
彼はその動きを見ず、身体だけ右に開き、瞬時に切っ先が地面に向くように剣を逆手に持ち替え、刃筋を合わせ受け止め、弾く。
弾丸は、弾かれた力をそのままに、地面を蹴り、彼の頭上を宙返りで舞い、右肩へ袈裟斬りを繰り出そうとする。
だが、途中で彼の視線がそれを読んでいることを確認し、剣を途中で手放すと着地し、そのまま左手に隠し持っていた短剣で、彼の心臓目掛け、低い位置から最短距離で最速の突きを繰り出す。
フェイント、しかも受け流すことが難しい突き。
なおかつ、後ろに女がいるこの男は「避けない」。
その確信の中、飛び込んだ弾丸には、
「男の姿が視界から消え、座り込んだ女が見えたこと」が理解出来ない。
だが、それもほんの一瞬であった。
濁った瞳が、下を見る。
そこには、地面に身体を沈み込ませた状態から、左足を高く突き上げる男の姿があった。
と、その直後、
「よぉし、おっけー!」
シャボン玉がようやく弾け、テンシとミオリが自由になる。
ミオリはすぐに愛美のもとに駆け寄り、テンシは降り立った後も信じられないという表情で、呆然と彼を見つめていた。
そして、震える声で呟く。
「クロトさんの刀が健太さんに応えた……」
それは、白髪の少女にとって、奇跡の延長だった。
ミオリはそんなテンシを見て、そして彼の持つ刀をちらりと確認する。が、すぐに、
「テンシ! 感傷は後!」
と、意識を引き戻す。
「は、はい!」
我に返り、戦闘体勢を整える一行。
だが、殉教者は健太と、その刀を凝視すると、一瞬だけ間があり、その後、
「ハ、ハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハ」
突然壊れたように笑い出す。
「したり……これはしたり……」
両腕を大きく広げ、さも愉快そうに笑う。ただひたすらに。
「何よあいつ。昔からアレだったけど、今日はさらにアレじゃない?」
ミオリがげんなりとした呆れ顔で呟く、が。
殉教者は聞こえていないのか、特に気にした風でもなく、ひとしきり哄笑し終わると、
「その顔。覚えたぞ」
と、健太を一瞥すると、黒い瘴気を噴き出し、全身を覆い尽くすように
そして、黒い霧が晴れると、その姿は跡形もなく消え去っていた。
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