第二十二話 困ったときはボクにおまかせだ

 数時間後、マンションを出てすぐの交差路に健太の姿はあった。

 あの告白の後、悲しみに打ちひしがれていたものの、一度活動を始めた身体と胃袋は数日分のエネルギーを求めサインを送る。

 延々と鳴り続ける腹の音と、じわりと出てくる唾液に耐えることが出来ず、外に出ることを余儀なくされたのだった。


「はあ……」


 数日ぶりに外の空気を吸い、室内に居た時と同じ溜息を吐き出す。

 引きこもっていた時とは別の精神的な疲労を覚えつつ、食を求めて夕日の色に染まった石畳の坂を上っていく。

 と、そこに、


「少年! 生きていたか! いや、死んでいたか!」


 向こうから黒髪ロングの幼い風貌の少女、もとい女性が駆け寄ってきた。


「あ、ヨリコさん」

「やあ、少年。初めての旅路はなかなかのものだったみたいだね」


 黒髪の女探偵は、少年の二の腕をポンポンと叩く(おそらく彼女は頭をポンポンしたかったのだが届かない)。

 少年は苦笑して、正直色々ときつかったです、と言うと、


「むう」


 と、唸り、ヨリコは長いまつげを微かに揺らすと、


「積もる話もあるようだし、ちょっと付き合ってくれ、少年。詳しくは行きつけの店で聞くとしようか」


 前回とはまた違うところだ、よりアダルティなところに連れて行ってやろう。

 と、ヨリコは少年の手を引っ張り、歩き出すのだった。


     *


「ここが、行きつけのアダルティなところなんですか」

「うむ、そうだ。実にあだるてぃだろ」


 路地裏の奥にある、十人程度しか入れなさそうな狭い店。

 そこは鳥の焼ける、肉と脂と煙の香ばしい匂いが充満していた。

 端の横並び席に着席すると、ヨリコはいつものにいつものだ、と注文する。

 大将はあいよー、と返し、ジョッキに入った飲み物二つと、すでに出来上がっている数本の焼き鳥を皿に置く。


「で、どうした、少年。死に終わり以外にも何かあったと推測しているが」

「……、振られました」

「ふむ、そうか、アタックしたか! そして振られたか、少年!」


 小さな手で拍手するヨリコのぱちぱちという音を聞きながら、健太はテーブルに額をつけ、意気消沈する。


「まあ、食え。少年」


 そういうと、ヨリコはせせりの串を差し出す。

 黙々と焼き鳥を頬張り、少し腹も満たされたところで、ぽつり、と健太は呟いた。


「あんなに困った表情させちゃって、言わせちゃって、本当に申し訳なくて」

「そうか……」


 ヨリコはジョッキを軽くあおると、考えを巡らせ、慎重に言葉を選ぶ。


「……少年は」


 ヨリコは穏やかな声で、自分の考えを述べる。


「少年は、優しいな」

「えっ」


 意外すぎる言葉に、健太は戸惑う。


「優しいよ。人によっては振られると、悲しみや怒りで相手のことを思い遣ることが出来ないパターンも多い。恨んだり憎しみを持つことは、この世界といえど、有る」

「けれど少年は違う。あの子を困らせてしまったこと、あの笑顔をかげらせてしまうんじゃないかと心配している。あの子の幸せな時間を奪ったように感じているんだ」


 それはすなわち。


「本当に、あの子のことを想っている、ということなのだと思うよ」

「ヨリコさん……」

「まあ、飲め、そして食え」


 健太は感激しながら、同じくジョッキをあおり、追加で皿に盛られた焼き鳥を頬張る。

 それを眺めながら、ヨリコは提案する。


「では、ちょっと酷なことをお願いするが、告白から振られるまでの台詞を簡単に言ってもらっていいだろうか」

「う……、わかりました。こんな感じです」


 健太は一瞬悩むが、その指示に従い、一連の流れとやり取りを簡単に再現する。

 ヨリコはそれをふんふん、と見守り、人差し指の腹を口に当てしばらく思案した後、切り出す。


「少年、まだチャンスはあるかもしれないぞ」

「えっ」

「ポイントは『今は』だ」

「今は、ということは今日の時点ではNGということだが、もしかしたら未来は可能性がないわけではない、ということだ」


 ヨリコはジョッキを空にすると、大将におかわりを要求し、続ける。


「さらには、『好きな人がいる』という表現もなかなか重要なポイントだ。もし今、彼氏がいるのならば『付き合っている人がいる』とか、『彼氏がいる』という表現になるからな」

「まとめると、『好きな人は居て、その人が好きすぎて今は無理ですが、それより大きな存在になれば、もしかすると付き合うかもしれません』ということだ!」


 ずびし、と健太を指さし、ヨリコは断言する。


「つまり、頑張ればなんとかなるぞ、多分!」

「よ、ヨリコさん」


 少年は感激し、顔を耳まで赤らめ、目が潤み、ん? 耳まで赤い?


「ヨリコさぁん!」


 健太は、勢いよくヨリコの膝にかじりつき、さめざめと泣く。

 ありがとう、ありがとう、と何度もお礼を言いながら。


「うわっ、何をする少年! というか熱っ! 明らかに変だぞ、これはまさか」


 ヨリコに目を向けられた大将は、はて、と不思議な顔をする。


「おかしいな。坊やのは思いっきりソフトドリンクのはずなんだが」


 試しに健太のドリンクを口に含むが、酔い覚ましに良さそうなただのお茶だ。


「雰囲気酔いというやつか。なかなか器用だな……」


 ヨリコの膝で号泣する健太は、完全にスイッチが入ってしまっている。


「ヨリコママ……」

「少年、その呼び方はどうかと思うぞ。ボクは既婚者ではないし、まともな恋愛経験もないわけで、というか見た目は子供だし、なんならほら、胸もないわけだし」

「バブみを感じる……」


 そう言って、ショートパンツとサイハイソックスの間の、少し華奢な太ももに顔を埋め、擦り寄せる健太に、ヨリコは顔を赤く染め動揺する。


「バブみって何だ……。んっ、あっ、や、やめろ少年。こういうのはお互い大人になってからだな……」


 むせび泣く健太に、ほとほと困り果てるヨリコだった。


 そして数分後。 

 健やかな寝息を立て眠る健太に、ヨリコは苦笑する。


「全く。少年は危険な男だな」


 と、穏やかな表情で、健太の頭を優しく撫で続ける。


    *


 さらに、数十分後。


「……起きないな」


 完全に落ちている健太の重みに太ももが若干しびれつつ、ヨリコは空になったジョッキを片手に、変わらずその頭を撫で、髪の一部を巻いたり解いたりしていじっていた。


「むう」


 仕方ないか、と健太の身体を起こし、壁によりかからせる。

 そして両膝の裏に左手を入れ、背中に右手を回し持ち上げる。

 一七〇センチを超える男性が、見た目は小学生と見間違われそうなほどの幼い女性にお姫様抱っこの状態で軽々と抱えられる姿は、なかなか常識では考えられないような光景であった。


「全く、この世界は便利だな」


 ヨリコは溜め息交じりに笑う。そして、会計のカウンターへ寄るが、大将は、


「ヨリコちゃん、今日はツケとくから、また次も来てくれよな」


 と笑いながら言うと、そのまま帰りな、とささくれた手を振る。


「助かる、来週また来るよ」


 大将の言葉に甘え、そのまま店を出るヨリコ。

 その背中を見送りながら、大将は男臭い笑みを浮かべた。


「さて、どうしたものかな」


 少年の家へ行ってもいいが、彼が起きないことには部屋に入れない。

 と、なると。


「まあ、考えずとも、だな」


 酔いが回っているのか、少し思考の鈍い頭に苦笑しつつ、しばらく歩く。

 飲食店街を抜け、小ぢんまりとした住宅が立ち並ぶ一角へ到着する。

 そのひとつ、二階建ての白壁とレンガで作られた一軒家が、彼女の住まいだった。

 腰のあたりに左手を寄せ、片手一本で少年を支えると、空いた右手でドアノブに触る。

 すると、青白く発光し、鍵がかちゃりと開く音がする。

 ドアノブを回し、中に入り、ドアを閉めると、またかちゃりと音がして鍵がかかる。


「ふう」


 一息つき、少年を両手で抱えなおすと、右手にある階段から二階へ上る。

 そして、奥のベッドに彼をゆっくりと下ろす。


「それにしても起きないな」


 健やかな寝息を立て健太は眠り続けている。

 大丈夫そうだな、とヨリコはクローゼットのほうへ行くと、着ている服を脱ぐ。

 開放感に、んー……、と大きく体を反らし、伸びをしたところでふと気づく。

 少年はこのまま寝かせるとして、ボクは普段、ほぼ全裸で寝ている。

 もちろんベッドはボクのベッドなのだから、ボクが寝るのは当然。

 しかし、少年を床で寝させたりするのは忍びないから、一緒に寝ることになる。

 だが、しかし、全裸。寝間着など持ってない。


 ……うむう。


 どうしたものか。と女探偵は頭脳を働かせる。


「そうだ」


 二カ月前にミスラから、お誕生日プレゼント、と寝間着を貰っていたのを思い出す。

 いかんせん使わないからそのままにしていたな、と奥にある倉庫部屋から、可愛くラッピングされた箱を取り出す。


 ……お前に感謝するよ、親友ミスラ


 そして、蓋を開けるとそこには。

 明らかに布面積の少ない下着に、透け透けのベビードールが入っていた。


 ……お前を心底恨むよ、天然ミスラ


 切ない顔でそれを一瞥いちべつし、何も見なかったことにして蓋を閉じる。

 それから、数分悩んだ挙句あげく


「ああ、もう、仕方ないなあ!」


 と、不慣れな手つきで悪戦苦闘しながら、それらを装着し終えた。

 髪をまとめ、ベッドの前に戻るが、健太は相変わらず穏やかな眠りに就いている。

 ヨリコはおずおずと、隣に横たわると、


「……」


 間近にあるあどけない少年の顔を、無言で見つめる。

 そして、その髪を撫でると、ベッドの端に丸められたタオルケットを、健太と自分を包むように被せ、少し丸まって、そのままゆっくりと目を閉じるのであった。


「おやすみ、健太君……」

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