第二十話 ほんの少しだけ、支えになること

 あの一件以来、健太は何かをする気力を完全に失ってしまっていた。


 明くる日の昼。

 コンコンコン、とノックの音が聞こえ、数秒してドアを開ける音が室内に響く。


「はい、テンシちゃんがお昼の差し入れに来ましたよー」


 その言葉と共に、サンドイッチが入ったかごと、ジュースのびんを手にテンシは部屋に入る。

 ベッドを見ると、健太は身体を丸め、壁に向かって横になっていた。

 テンシは机に籠と瓶を置き、彼をのぞき込むと、避けるように、彼はさらに体を丸める。


「うん、元気そうですね」


 テンシは柔和にゅうわな笑みを浮かべ体勢を戻すと、また明日来ますね、とだけ言い残して、ゆっくりと部屋から出る。

 ドアに鍵がかかる音を濁った意識の端で感じ、健太は急に込み上げてくる喪失感と涙に耐えられず、毛布を被り闇の中に身を寄せる。


 さらに、次の日の昼過ぎ。


「こんにちは、喜んでください! 貴方のテンシさんが今日もやってきましたよー」


 軽いノックの後、カニを模した小さめの弁当箱を手に持ち、テンシは入室する。

 ベッドを見ると、今日は壁を背にして横になっていた。

 テンシが近づくと、健太のよどんだ目と合い、えへへ、と彼女は笑いかける。

 けれども、彼からの反応は無い。

 机に目を向けると、サンドイッチの一切れだけが減っているのを確認する。


「あ、ちゃんと食べてますね。感心、感心!」


 と、健太に向け親指を立てる。弁当箱を置き、代わりに籠を手に持つと、


「少しずつでいいんです。一歩ずつです」


 柔らかい口調で自分の想いを伝えると、部屋からさっと出ていく。


 陽が沈み、夜が更け、朝が来て。また、正午に差し掛かる頃。


「こんこんこん、がちゃり。テンシ様のお通りだーい!」


 口でドアをノックし、開ける音を出しながら、テンシは室内に入る。

 そしてベッドを見ると、今日の彼は壁を背にして頭から毛布を被り、体育座りで座っていた。


「なんだか、進歩してる感がすごいですね! さすが、健太さん。やれば出来る子ですねー」


 そう言いつつ机を見ると、全く手つかずのカニ弁当箱がそこにはあった。


「あら、お弁当はあんまりお気に召さなかったみたいですね。ふっふっふ、でも今日は」


 手に持った竹皮の包みを開くと、大きな白おにぎりが三つ現れる。


「やっぱり白おにぎりこそ至高という視聴者のご意見を頂戴したので! 竹の皮に包まれてるとこう、匂いがふんわりついてテンションアップな一品です、これに勝てる人はいない!」


 そう言って、水筒と共に机に置くと、代わりに弁当箱を回収する。

 そして、床にひざ立ちになり、うつむく健太に目線の高さを合わせ、


「大丈夫、大丈夫、健太さんは大丈夫。きっとへっちゃらです」


 せめて少しだけでも届いてくれれば、と想いを込めて伝える。

 彼の身体が、わずかにびくんと震えたような気がしたが、テンシはそれに気づかず立ち上がり、明日も押しかけちゃいますからね、と言って部屋を去る。

 一人残された彼は、溢れる涙を抑えることが出来ず、うようにして机に向かうのだった。


 そして、あの戻ってきた日から、四日が経過し。


「健太さーん、入りますよー……」


 ドアの開く音をなるべく立てず、まるで忍び込むようにテンシは入室する。

 さながら、寝起きドッキリのような雰囲気で抜き足差し足で近づくが、


「あ。起きてたんですね」


 健太は、俯いたままベッドの端に腰かけていた。

 机を見ると、昨日のおにぎりは一つが綺麗に無くなっている。


「――ん」


 目を細め、軽く頷くと、健太に向き直り。


「ね、健太さん。今日のは結構力作なんです」


 バスケットから大きな白い丸皿と水筒を取り出し、丸皿に水筒内の液体を注ぐ。

 すると、ふわり、とシチューのいい匂いが室内に広がっていく。


「もし、今食べられなくても、このスプーンでくるくるき混ぜたらすぐ温かくなるので、よかったら、食べてみてくださいね」


 スプーンをナプキンの上に置き、竹皮を片付け、そして、きびすを返そうとするその時。

 健太は俯いていた顔を上げ、ふらつきながら立ち上がり、テンシに声をかける。


「――かないで」

「はいっ、あ」


 声を掛けられ振り向くテンシに、健太は手を伸ばす。

 テンシの二の腕の辺りを掴んだところで、健太は足がもつれバランスを大きく崩し、そのままもつれ合うように二人はベッドに倒れこんだ。

 顔を横向きにして倒れた少女は、ゆっくりを首を動かし少年を見上げる。

 少年は、少女を見下ろし、息がかかるくらいに近くにあるその顔を、その表情を見て、


「どうして」


 と、彼は尋ねる。


「だって。ほっとけないですから」


 と、彼女は応える。

 その後は、少年にとって正直あまり思い出したくもないほど、情けないものだった。

 どうして、何で、と意味のない言葉を投げかけながらすがりつき、ただ泣き続けた。

 少女は、自分の頬と首筋に落ちる滴の温かさに触れながら、その背中を擦り続けていた。


     *


「ごめん」


 胸の動悸どうきが収まり、しゃくりあげていたのが徐々に落ち着くと、急速に冷静さを取り戻した健太は、今の状況、すなわち少女をベッドに押し倒して馬乗りになっている状況を目の当たりにして、申し訳なさで吐きそうになっていた。


 もう、謝り倒すしかない。


「ご、ごめんなさい……」


 再度、目の前の少女に謝る。が、押し倒されたままの少女は、先程まで優しく撫でていたのをピタリと止めると、急に顔を背けて眉尻を上げる。


 まずい。


 急に頭を鈍痛が襲い、くらくらする。先程と別の酷い悪寒と冷や汗が全身をさいなむ。

 もう一度。心を込めて謝ろう、とそう思い、口に出そうとした瞬間、


「……なんて、ね。女の子は力でどうこうするものじゃないですよ?」


 そう言って、再び健太に向き直る。

 右手を健太の額の前に持ってくると、親指と中指で円を作り、軽くデコピンをする。

 すると、彼の身体は古のカンフー映画のように天井すれすれまで跳ね上がり、ベッドを飛び越して床に尻もちをつき、机に背中を机に強打する。


「~~~~っっ!」


 言葉にならず、衝撃と痛みで顔を歪める健太に、


「私、こう見えて強いですからね」


 ふふん、と白髪の少女は不敵な笑みを浮かべるのだった。

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