第十三話 赤い瞳、その向こうに映る姿

 翌日。雲一つない晴天の下、健太は紹介所への道を走っていた。

 時間はすでに午前十時過ぎ。遅くまで寝付けず起きていた結果、自分が予定していた時間より随分と遅刻してしまっていた。


「はあ、はあ」


 息を整える間もなく慌てて紹介所に入ると、人はまばらで、掲示板の石も随分と数が少ない。


「あら、いらっしゃいませ、健太さん。よく眠れましたか」


 ふんわりとした声がカウンターから届く。健太がそちらを向くと、そこに居たのは、昨日チュートリアルの受付を担当していたリサであった。


「ええ、おかげさまでその、遅刻してしまいました」

「うふふ。今日からはフリースタイルだから、好きな時間にお越しいただいてもいいんですよ。それに二日目までチュートリアルでバタバタしちゃうから、三日目はお休みしたり、ゆっくりされる人も多いのです。ですから、お気になさらないでくださいね」

「……はい、ありがとうございます」


 そう言ってもらえると少し気が晴れる。リサに感謝しつつ、健太は掲示板の前に立つ。

 リサもカウンターから出て健太の横に並ぶ。


「実は午後にひとつ、テンシちゃんから健太さんに直依頼が来ておりますので、そちらは出来れば優先してお請け頂きたくて」


 直依頼。掲示板に貼り出されるフリーのものではなく、請け負う人が指定されている依頼だ。

 指定はフリーの依頼より依頼人の費用が倍以上になるため、珍しいものであるが。


「テンシちゃんから直々って、この二年半で数度しかデータにないから、ちょっと驚いちゃいましたけどね」

「え、そうなんですね」


 何となく特別なものを感じて、健太の表情は自然と緩む。


「午前はまだ時間ありますので、せっかくだから何か請けていきますか?」

「うーん、そうですね……」


 掲示板に表示された依頼をざっと眺める。

 山のふもとの町へ荷物の運搬、迷子の猫の飼い主を探し届ける、服の仕立て手伝い、剣の鋳造手伝い、木の実採集、畑の耕作、街のパトロール……。


「いつでも切り上げられるお仕事はありますか?」

「それなら、やっぱりこれですね」


 定番ですけどね、と言いながらリサが指差したのは、【シバ周辺の瘴気退治(出来高払い)】と書かれている依頼だ。


「一応外での戦闘にはなりますが、昨日チュートリアルでも体験して頂いたように、街周辺なら危なげなく倒せちゃいますし、期限もないので、合間合間でよい感じのものですね。戦ったり、身体を動かしたりがとにかく苦手、という感じでしたらおススメは出来ないですが……」

「大丈夫だと思います! これでいきます」


 留められていた赤い石をひょいと外すと、表示されていた依頼の映像は消滅する。

 それをリサに渡すと、はい、じゃあこちらで受付しますね、とカウンターに戻っていく。

 依頼を請け、昨日と同じ草原に移動し、適度に瘴気退治をこなしていく。

 初めの方こそ、全体的にぎこちない動きであったが、慣れてくるとテンポよくこなせるようになり、少しずつであるが貯まっていく護符はちょっとした楽しみになる。

 そうこうするうちに正午になり、南市場で購入したパンで昼食を簡単に済ませ、紹介所に戻って来ると、リサが笑顔で出迎えた。


「おかえりなさい、健太さん。それでは、テンシちゃんからこちらの件を直依頼されておりますので、宜しくお願いいたします」


 リサから渡された、三対の可愛らしい翼が中央に描かれた、青の石に表示された画面。

 そこには、【大聖堂へ雑貨の運搬をお願いします】と書かれていた。


     *


「ようやく着いた……」


 雑貨屋で預かった重い木箱を両手に抱え、昨日案内で通った坂道、そして階段を上ること十数分。

 大聖堂に着いた頃には、健太の全身からじんわりと汗が滲み出していた。

 少し息を整えるため、木箱を地面に置き、汗を拭いながら建物を間近で見上げる。

 昨日遠くから見えてはいたが、近くで改めてみるその意匠デザインは、西欧近世の荘厳な大聖堂を連想させる、どこかで見たことがあるようなものであった。

 もし携帯端末があったら撮っていただろうなあ、と撮影機材がないのを残念に思いつつ、正門の大きなアーチをくぐる。

 入ってすぐ左手に木製のカウンターがあり、その上には呼び鈴と、「瘴気払い、最終転生予約等、御用の際は遠慮なく鳴らして下さい」と丁寧な字で書かれた札が置かれている。


「よっと」


 呼び鈴を鳴らすと、チリチリン、と軽やかな音がエントランスに響き渡る。


「はぁーい」


 カウンター奥にある扉の中から女性の声が聞こえ、ぱたぱたと足音がした後、扉が開かれる。


「あら、運び屋さんね。いらっしゃーい」


 そこから姿を現したのは、紺の修道女シスター服に身を包み、長いプラチナブロンドの髪をフィッシュボーンにした、優しい笑みを浮かべる長身の美しい女性であった。


     *


蝋燭ろうそくが100、ランタンが20。はい、確かに受け取りました」


 女性はそう言うと、受取の画面にサインする。


「ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ。大変だったでしょうに」


 重たい荷物を持ったまま、ここまで来るのは一苦労ですもんね、と言いながら、よいしょ、と木箱を軽々と持ち、奥の部屋へ運び入れる。

 そして戻ってくると、嬉しそうな顔をしながら、


「じゃあ、せっかく来てくれたんだし、おもてなしするから、お部屋に入って、ね?」


 と、健太の手を引っ張り、半ば強引に部屋に招き入れた。


 健太が通されたのは縦長の奥行きがある部屋だった。手前に壁につけた事務机が二つ置かれており、奥の壁際には簡素な木製の丸テーブルが一つと、背もたれの高い椅子が三脚備え付けられている。

 また、壁際の高い位置には丸い大きな窓があり、外界の淡い光を室内へ運んでいた。


「自己紹介がまだだったわね、私はマリィ。ここで修道女をさせて頂いております」


 マリィはテーブルに置いたティーカップにハーブティーを注ぐ。爽やかな香りが周りを満たす中、向かい合わせに座った健太は、


「あ、僕は健太です。えーと……、ルーキーをしています」


 職業的なものが思いつかず、とりあえず今の身分を答える。

 マリィはうふふ、と笑みをこぼすと、少しだけ身を乗り出して、じっと健太を見つめる。

 見つめられることに不慣れな健太は、かといって視線をらすことも出来ず、どうしたらいいかわからなくなる。そんな彼をマリィは楽しそうに見つめ続けた後、


「そっかあ。へえ、全然タイプ違うのになあ」


 と、小首をかしげながら、首筋に手を当て少し考え込むような素振りを見せる。

 そこに少年の視線を感じて、あら、と笑いかける。


「ごめんなさいね。テンシちゃんが紹介したい男の子っていうから、どんな子かと思って」

「あー……」


 多分、何か、とても大きな勘違いをされている。

 そう健太は思ったが、それより気になる表現があり、聞いてみようかどうしようか、と少し躊躇ちゅうちょしていると、


「ね、健太さん。テンシちゃんのこと好き?」


 いきなりストレートな質問を投げかけられる。


「へえ?!」


 思わず変な声が出る健太に、マリィは笑みを浮かべたまま、少しだけ言い直す。


「あ、変な意味じゃなくてね。もっとこう、好きか嫌いかという単純な気持ちの問題ね」

「そりゃ、その二択で行くと……好き、ですけど」


 マリィはうんうん、と頷き、そっかあ、と一言呟くと、


「うん、やっぱりテンシちゃんの見込んだ男の子ね」


 とても嬉しそうに、心から嬉しそうに、微笑む。


「あ、それで、ちょっと気になったんですが『タイプ違う』って」


 言った後にやっぱりかなければ良かった、と少し後悔する。が、手遅れだった。

 マリィは特に気に留めず、さらりと軽い口調で答える。


「うん、クロトさんと全然違うんだもん。テンシちゃんが気にかけるなんて、やっぱ同じタイプの男子かなと思ったんだけど。ほんとびっくり」


 それを聞いた少年は、先程より深く、深く後悔した。


     *


「そうかあ」


 大聖堂からの帰り道。昨日教えてもらった、紹介所へショートカット出来る陸橋を少年は歩いていく。

 運ぶ荷物が無くなり、軽くなったはずの足取りは、重い木箱を抱え、坂道を上っていた行きがけより遥かに重たくなっていた。

 先程、マリィが教えてくれたこと。

 ――ああ、クロトさん? テンシちゃんの彼氏さんですよ。


「そりゃそうだよなあ。あんなに可愛いんだから」


 弱冠十七歳の彼にとって、なかなか心にくるものがあった。


 タカバヤシクロト、という人らしい。

 詳細は教えてもらえなかったが、今はもういないらしい。

 ……戻れなくなっちゃったのかな。

 吹き付ける強い西風のせいか、少しだけ冷静になった頭で、健太は考える。

 この世界の余命であるAT。

 例外的にその値が極めて高い人間は、長い間この世界に居られるとのことだったが、平均するとこの世界に居られるのは二年程度らしい。

 ……そういうこと、なのかな。

 好きな人との別れ。もう会えなくなるということ。

 想像の世界でしかないが、それは。

 それはとても、――とても、つらいことだと思う。


「……」


 時間帯のせいか、人もまばらな道を夕日がオレンジ色に染める中、少年は思考するのを止め、とぼとぼと力なく歩くのだった。

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