胡蝶の野望、千紫の計略(中)

 十兵衛の提案に、千紫は満足げな表情を浮かべた。


「悪くない。ここ最近、人の国からの流入に歯止めがきかぬ。制限をかける意味でもそれはいい」


 人の国は今や科学というものが発達し、鉄が空を飛び、月まで行く勢いである。そうした反動で、目に見えないもの、理解できないものをことごとく排除する傾向にある。あやかししかりだ。


 そのせいで、居場所をなくしたあやかし達が阿の国に逃れてきており、ここ北の領にも多くのあやかしが流れ込んでいた。


 当然、秩序も悪くなるわけだが、それを今の月夜つくよの鬼は力で抑え込んでいる状況だ。確かに力による統制は必要だが、それだけでは駄目だ。全てを受け入れるような寛容さもなければ。昔はもっと秩序があり、そして誰もが自由であった。


 その時、


「奥、いるか」


 障子戸がさっと開いて旺知が入って来た。後ろには胡蝶付きの侍女、阿紀が控えている。


 一同は、立ち上がって低頭する。旺知が軽く手を振って「楽にしろ」と答えた。千紫がちらりと阿紀を気にしつつ旺知に尋ねた。


「どうされました?」

「胡蝶がな、」


 旺知の口から彼女の名前が飛び出した途端、十兵衛の顔が渋くなる。


「着る物がないと訴えておる。いくつか新調してやってくれ」

「かしこまりました」

「あと、侍女のことだが」

「なんでしょう?」

「三日に一度ほど、この阿紀に代わって玉緒が来るそうだな。おまえらしくない嫌がらせはやめろ。胡蝶が監視されているようで嫌だと言うておる」

「……では、五日に一度ほどにいたしましょう」


 譲歩しつつも、ひるまず言い返してきた千紫に旺知は「十日に一度だ」と不満げな表情を見せる。千紫は顔色一つ変えず「では十日に一度で」と頷いた。そして彼女は、阿紀に目を向けた。


「では阿紀、生地の手配について話したいので残れ」

「はい」


 旺知は「頼んだぞ」と言い残し、部屋を出て行く。そのうしろ姿を一同は見送った。



 旺知の気配がなくなった後、十兵衛が頭を掻いた。


「打掛の新調──、十貫っと。やれやれ、胡蝶様にも困ったものですな」

「一つしかない体にいったい打掛をいくつ羽織るつもりだ? うちの初音など、普段は二つしかないものを毎日交互に着ておるぞ」


 重丸も呆れた様子で頷いた。そしてちらりと千紫を見る。


「玉緒殿の配置まで伯に申し立てするとは、」

「別によい」


 千紫がそんなことは分かっていたとばかりに一笑する。


「本当の監視役は玉緒ではないのだから。のう、阿紀?」


 話を振られ、阿紀がにっこり笑った。


「本っ当に我がままで、やになっちゃいますよ~」


 途端にすました顔を脇へと放り投げ、彼女がくだけた調子で大きく伸びをする。


「千紫様、いつまでお守りをしなくちゃいけないですか?」

「もうしばらく我慢しておくれ。いろいろ突っ込みたくなろうが、にっこり笑っておればよい」


 苦笑しながら千紫がなだめると、阿紀が「そう言えば、」と怒り顔になった。


「あの女、千紫様が私を雇ったのは私が里中出身で給金が安くて済むからだなんて言っているんですよ。もうびっくりして、やっぱりにっこり笑うしかなかったです」


 それを聞いて、十兵衛と重丸が失笑する。阿紀をはじめ、侍女の給金に身分による差はない。それぞれの役目、そして働きに応じて給金が配分される。今のような体制になったのは、もっぱら千紫のおかげである。


 ちなみに、阿紀が千紫側の侍女であることを知る者は限られている。旺知さえ知らないことだ。十兵衛と重丸は、その数少ない中の二人であるわけだが、女主人に信頼されていると安堵しつつも、そのしたたかさに恐れも感じる。自分たちに知らされていない影の者がまだいるはずだからだ。


「阿紀、申し訳ないが、適当な生地を見繕うよう手配を頼む。あれは派手好きゆえ、生地の質を落として派手な柄物を見せれば納得しよう」

「分かりました。そう言えば、落山の波瑠姉さんからの衣服も新調したいと言われてますから、一緒に見に行ってきます」


 すると、千紫が途端に顔をほころばせた。


「それを早う言え。姫のは質の良い物をしっかりと選べ。とき色など似合いそうじゃ」

「ちょっと派手過ぎませんか。深芳様は落ち着いた色合いがお好きですし」

「まだ若い娘じゃ、派手なものか。だったら、肩の部分だけとか。そうだ、最初から織らせればよい。多少、値が張ってもかまわぬ」


 衣服の話題は今も昔も女の専売特許だ。十兵衛は楽し気な二人の会話を聞きながら経費の算出書に視線を落とす。


 現在、どの洞家でも親族の姫を伯子碧霧のお相手にさせようと躍起になっている。子女がいない場合は、養子を取る家もあるくらいだ。しかし、


 この入れ込みようは──、どうやら伯子の本命は落山の隠し姫だ。


 千紫の心の内はもう決まっているらしい。

 なし者の娘として、公の場に出てきたことは一度もなく、その名前さえ伏せられている。そして誰も、なしの娘ゆえに気にも止めていない。


(面白いねえ……)


 出てくるは、果たしていかなる姫君か。

 十兵衛は重丸のように忠誠心が厚い訳ではない。出世欲もない。しかし、この北の領の行く末を見届けたいとは思っている。


 次の伯座を誰が継ぐか、全ての者の関心事だ。


 それは重丸も同じらしい。重丸が千紫に言った。


「胡蝶殿のお子が生まれたら、また一波乱ありそうですな。前もってお灸を据えておいた方がよろしいのでは?」


 重丸がこういうことを言うのは珍しい。武芸の師として、多少なりと碧霧に肩入れがあるらしい。


 すると千紫がふっと笑った。


「なに、女には女の戦い方がある」


 その含みのある目に、十兵衛と重丸は背中がひやりとする。千紫は、男まさりの政治手腕の持ち主であるが、女の部分がない訳では決してなく、計算高く相手をおとしいれることもある。


 千紫の様子からすでに策は巡らされていると見ていい。


(ということは、打掛の新調は手切れのようなものか)


 旺知に可愛く愛でられ、多少の我がままを言うくらいなら大目に見てもらえたものを。十兵衛と重丸は、とんだ杞憂だったと顔を見合わせた。

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