不要の者(5)
清影の死は、すぐさま
ちょうど来月に控えた御前会の打ち合わせのために、
「突然、失礼いたす」
重丸は無遠慮に部屋に入ってくると、そのまま戸をぴしゃりとしめた。その礼を欠く様子に、旺知も千紫も眉をひそめる。
「
佐之助が鬼伯夫妻の気持ちを代弁するかのように言った。重丸がどかりと座ると、旺知に向かって深々と頭を下げる。
「座敷牢に捕らえし元伯子・清影様、亡くなりましてございます」
「……なんだと?」
旺知が目を見開いて重丸に聞き返した。隣では、千紫が絶句し青ざめている。佐之助が重丸に問うた。
「亡くなったとはどういうことだ?」
「分かりませぬ。突然、門を覆うもやが晴れ、驚いた牢番が中を確かめたところ、すでに死んでおったとのこと」
刹那、
「分からぬではないわっ!」
旺知が重丸を一喝した。だんと片ひざを立て、目の前にひれ伏す二つ鬼をぎりっと睨む。
「それを調べるのが
「
「では、清影は自然と死んだと申すか?」
「今のところは、そう言うしかありませぬ」
重苦しい空気が部屋を包む。ややして、千紫が静かに口を開いた。
「
「は、問題ありません。清影様の遺体も今片付けさせております」
「そうか。伯、行ってよろしいでしょうか?」
千紫が旺知に許しを求める。
旺知は今だ怒りを収めきれない様子で立ち上がった。
「千紫、おまえに任せる。後で報告しろ」
「承知いたしました」
「佐之助は、御前会の題目をもう少し詰めたい。儂と来い」
「は、」
旺知は苛々とした様子で部屋を出ていき、それに佐之助が続く。千紫と重丸は頭を下げて、鬼伯を見送った。
旺知の足音が聞こえなくなると、千紫はすぐさま顔を上げ、重丸に向き直った。
「遺体は片付けさせていると言ったな」
「はい」
「では、それ以上は座敷牢の中を触るなと今すぐ伝えよ。髪の毛一本、動かしてはならぬ」
「分かりました。いついらっしゃいますか?」
「用意ができ次第すぐにでも」
「承知いたしました。門前に
「頼む」
重丸が小さく頷き、さっと立ち上がる。そして彼は足早に部屋を出ていった。
一人残され、千紫はがくりと両手をつく。
(深芳──、彼女にこのことをどう伝える?!)
先日、子どもができたと喜びあったばかりだ。今は腹の子に障るようなことは極力控えなければならない。
(駄目だ、言えない)
少なくとも子が生まれるまでは隠し通さねば。
千紫は大きく息をついて気持ちを整えると、きゅっと口元を結び直した。
秋も深まったある日、落山の屋敷を千紫が訪れた。
周囲の山は紅や黄で鮮やかに色づいている。清影の死から、すでに
「深芳、体調はどうじゃ?」
「久しぶりじゃ。忙しかったのかえ?」
火鉢の近くで縫い物をしていた深芳は、その手を止めて笑顔で千紫を迎えた。部屋の隅には、乾かした薬草が相変わらず放られたままだ。
千紫が
なぜなら、ここには成旺と自分と本と、彼女の好きなものが全て揃っている。
「すまぬ。御前会があって、何かとごたごたと……」
千紫は深芳の隣にため息をつきながら座ると、疲れた顔に笑みを浮かべ答えた。そして、深芳の手にした物を見て目を細める。
「
「うむ。着替えはたくさんいるでの」
答えながら深芳は縫いかけの産着を傍らに置き、「よっこらしょ」と立ち上がった。
「茶を入れよう」
「そのようなこと、波瑠にさせよ」
「薬草茶じゃ。私しかできぬ」
深芳は薬棚から例の薬草を取り出して、火鉢にかけてある鉄瓶に入れた。すぐに薬草の独特の匂いが部屋中に漂った。
「例の茶か。独特の匂いですぐ分かるの。確かに飲んだ日は気持ちがゆっくりしてよく眠れた」
「そうであろう?」
「奥院でも飲みたい。少しもらえるか?」
「駄目じゃ」
すかさず深芳は答えた。あまりの即答に千紫が少し驚いた顔をする。深芳は茶碗に薬草茶を注ぎながら淡々と答えた。
「これは、がぶがぶと飲むお茶ではない。飲み過ぎると、飲まずにはおれなくなり、量を間違えれば命にかかわる。飲みたくば、私の所に来い。薬と同じようなものじゃ」
「……他には誰にも飲ませておらぬのか?」
千紫が尋ね返すと、深芳は「いいや」と答えた。
「兄上様には、飲んでもらっていた。気落ちすることも多かろうと。最後に訪れた時、帰りを急かされて一袋まるまる置いてきてしまった。だが、節度を持ってお飲みになっていたので心配はないと思う」
「そのような茶を──」
「?」
「いや、何もない」
── なぜ、清影の元に一袋も置いてきたのだ?
口をついて出そうになる言葉を千紫はぐっと飲み込んだ。
何もかもがきちんと整理された質素な部屋は、欲のない彼らしいものだった。
誰も気に止めていないその匂いが何であるか、千紫にだけはすぐに分かった。
その足で土間に行くと、土間も綺麗に片付けられて、あるはずの物がない。千紫は後ろに付き従っている重丸に尋ねた。
「ここを触った者は?」
「いえ、誰も触っておりませぬ」
「……」
空の茶碗があるのに、ここには茶を入れた形跡がない。
煮出した後の茶葉は、どこへ処分してしまったのだろうか。たかだか茶を飲む前に、ここまで完璧に土間を綺麗にするものだろうか。
ようやく重丸が千紫の思考に気がついて、彼女の気持ちを代弁した。
「綺麗すぎますな。まるで使ってないかのようだ」
「……が、これだけでは何も分からぬ」
千紫は嘆息すると、くるりと踵を返した。
「ただの死亡として処理せよ」
「牢番への追及は?
含みを持たせた口調で重丸が言った。彼の言わんとしていることは分からなくもなく、千紫は「好きにすれば良い」と素っ気なく答えた。
おそらく何も出てはこないだろう。綺麗に片付けられた屋敷からは、死の原因をないものとする強い意思を感じた。きっと妹に迷惑をかけまいとする清影の意思だと千紫は思った。
その後、清影の死は原因不明ではあるものの、特に不審な点はなしとして報告された。
「さ、ゆっくりと飲みなされ」
深芳に薬草茶を差し出され、千紫はこくりと口にする。
深芳が「そうだ、」と忙しなく立ち上がり、文机の上に置いてあった数冊の本を千紫に持ってきた。
「これを、兄上様に届けてもらえるか?」
「本を?」
「子が生まれるまで来るなと言われた。しばらくお寂しいゆえ、本ぐらい届けてやりたい」
そう語る深芳の瞳には、義兄の死を疑う色は微塵もない。
「……分かった。届けさせよう」
ずきりと痛む胸を隠しつつ、千紫が笑って答えた。
果たしてこれは、本当に彼女のための嘘か。千紫の苦悩に満ちた嘘を、この時の深芳はまだ知らない。
次の年、爽やかな風薫る初夏、深芳は美しい姫君を産む。
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