不要の者(2)

 座敷牢から戻った深芳は、そのまま伏せってしまった。

 三日目になって、波瑠が連絡をしたらしく、心配顔の千紫がやって来た。


「体調が優れぬと聞いた。大事ないか」

「大丈夫、ちょっと疲れただけじゃ。今年の夏は暑かったゆえ」

「顔色が優れぬ。ちゃんと食べておるのかえ?」


 すると、波瑠が口を挟んだ。


「胸が悪いと言って、あまりお食べになりませぬ」

「深芳……」

「薬は自分で煎じて飲んでおる」


 千紫がやっぱり駄目ではないかという顔をして睨むので、深芳は言い訳がましく言い返した。

 しかし、本当は薬など飲んでいない。このまま死んでしまえばいいと思っていた。そうすれば、全てのしがらみから解放される。


 千紫が困り果てた様子で思案した挙げ句、「そうじゃ」と声を上げた。


成旺しげあき様に診てもらおう」

「成旺殿は医者ではない」

「医者ではないが、それなりの知識を持ち合わせておる。そもそも、阿の国の医者など、それこそあてにならぬ」


 有無を言わせぬ口調で言って、千紫が忙しなく部屋を出ていく。しばらくして、千紫が成旺を連れて戻ってきた。


 成旺が珍しいものでも見るかのように深芳の様子を眺め回し、枕元にどかりと座る。この男にだけは世話になりたくなかったと、深芳は重たい体を起こしつつそっぽを向いた。


 ため息混じりに成旺が深芳に尋ねた。


「いつからだ?」

「……三日前。ただ、最近は妙に疲れやすく眠くなります」

「そなたのことだ、自分で薬を煎じて飲んでおるのだろう」

「はい。ですから、お気遣いは無用にございます」

「ふうむ」


 成旺が興味深い様子で口に手をあて思案する。ややして、彼は含みのある笑みを浮かべた。


(生理)は来ておるか?」

「……そんなもの、いつ来たやら覚えておりません」

「意外に無頓着だな。薬草には細心の注意を払っておるくせに」


 皮肉る成旺を深芳が腹立たしく睨みつける。


「興味がないだけにございます。年に数回ほどしか来ないもの、いちいち覚えておりませぬ」

「懐妊だな」


 素っ気なく言って成旺が立ち上がった。深芳が言葉を失い、千紫が「え?」と目を丸くした。


「成旺様、今なんと?」

「だから、おそらく懐妊だ。無理をせず、食べられる物を食べ、そして休めばいい。その内、胸の悪さも多少は良くなる。薬は──、分かっていると思うが、腹の子に悪いものもあるから注意せよ」


 成旺は言うだけ言って、さっさと部屋を出て行く。残された深芳と千紫は顔を見合わせた。


 そして、


「でかした深芳!」


 先に喜びの声を上げたのは千紫だった。彼女は深芳を抱き締めると満面の笑みを浮かべた。


「名は私が付ける!」

「気が早い、千紫」


 思わず深芳は苦笑する。そして、彼女は自分の腹を静かにさすった。


 本当に? この腹に子が?


 にわかに信じることが出来ず、ただ呆然とする。

 しかし、そう言われると、ここ最近の体調の悪さも、薬を飲んでも妙にすっきりしないことも、すとんと腑に落ちた。


 少しずつ、なんだそうなのかと思い始める。手を乗せた腹部がじんわりと温かくなり、体の奥から言いようのない感情が込み上げた。


(兄上様の子──)


 この腹の中に小さな命が宿っている。それも、大切な愛する方の。


 ぼうっと目頭が熱くなり、深芳の目から自然と涙があふれた。


「深芳、よう頑張った。清影様とおまえの子じゃ」


 千紫が労るように深芳の肩を抱く。深芳は、彼女の胸に顔を埋めて声を出して泣いた。


 兄妹にもなれず、恋仲にもなれず、もやのかかった穴の中をさ迷っているような日々だった。しかし、それも終わる。

 もう清影に抱かれる必要がないのだと、ほっとしている自分がいた。

 清影が女として自分を愛することはない。だからずっと、ただの兄妹に戻りたかった。


 そして三日前、清影にひどく乱暴に扱われたことを思い出す。あの時に感じた苦しさは、腹の子が痛がっていたからだと深芳は思った。


 同時に、この子を義兄は喜んでくれるだろうかと不安になる。

 この二百年、彼にとって自分は欲と不満のはけ口でしかなかった。義兄は決して子を成すために自分を抱いていた訳ではない。


(でも、例えそうだとしても──)


 深芳はゆっくりと顔を上げると、流れる涙をぐいっと拭った。そして両手で頬をぱちんと叩く。


「急にどうした、深芳?」


 怪訝な顔をする千紫に、深芳は笑った。


「もう甘ったれた乙女ではない。この子を守らねばならぬ」


 母になり始めた女の顔がそこにあった。




 それから一か月、深芳はゆっくりとした時間を過ごした。体調の悪さも理由が分かれば苦にならない。


 今日は朝から千紫が訪ねて来ており、深芳は御座所おわすところや奥院のことなど、彼女の愚痴ともいえる悩みを聞いていた。


 奥院では、一つ鬼の胡蝶という側妻そばめ旺知あきともの寵愛を受け、何かと千紫と衝突するようになっていた。


「色の抜けた赤土のような色をしたもじゃもじゃ髪じゃ。あれで、深芳と同じだと思っておるのだから呆れて物も言えぬ」


 どうやらくだんの姫は、深芳を模した女らしい。栗色のゆるやかにうねった髪をゆったりと後ろで結び、お茶を淹れながら深芳が「ふふふ」と可笑しそうに笑った。


「どのような女が来ようとも、千紫の立場が揺らぐ訳ではなかろう。そう苛々とするな」

「深芳を真似ているというのが気に食わぬのじゃ。あの男も、本物が手に入らぬからと、よくもまあ似たような一つ鬼の娘ばかり選んでくる」


 旺知が一つ鬼の姫を側妻そばめに迎えるのはこれで何度目か。中には飽きられて数年で奥院を追われた娘もいると聞く。罪なことをするものだと、深芳も千紫の話を聞きながら呆れていた。


「さあ千紫、これを飲んで」

「これは?」

「気持ちが落ち着く」


 言って深芳は千紫の前に独特の香りのするお茶を差し出した。先日、義兄に渡した物と同じ薬草茶だ。千紫が「良い香りじゃ」と目を細めて器を手に取った。


「深芳は飲まぬのか?」

「うむ。これは、腹の子に良くない」


 深芳が答える。一緒に飲むならただのお茶でも良かったが、千紫が見るからに疲れているようだったので、このお茶を淹れた。

 これは、気分がゆったりして深く眠ることができるが、依存性も高く量を間違えれば命に関わる。当然、腹の子にも悪い。どくでなくとも、あやかしに効く薬草の存在を深芳は誰よりも知っていた。


 ふと義兄も飲んでいるだろうかと思い出す。頻繁に行くことができないので、清影には気をつけるよう伝えたうえで何回分か置いてたが、そのことが少し気がかりだった。


「次の座敷牢に行くのは控えたらどうじゃ? 清影様には六洞りくどう家を通じて事の次第を内密に伝えるゆえ」


 お茶を一口飲みながら、千紫が提案する。深芳は「いや」と首を左右に振った。


「兄上様に直接会って伝えたい。腹が大きくなってくれば、それこそ行けなくなる」


 今までとは明らかに違う日々の中で、深芳は自分のこれからの事を考える。

 このままではいけない。今の義兄との関係をしまいにしなければ。

 そうすることで、このもやのかかった状況に少し光が射す気がした。


(不思議なものじゃ)


 つい先日まで、生きていることに嫌気が差して、死んでもいいと思っていた。しかし今は、生きたいと思っている自分がいる。


 新しい命とは、なんと力強いものか。子を成したというだけで、こんなにも未来さきに光が射し力が湧いてくる。


 生まれてくる子は、天地あまつちに愛される子であって欲しいと強く願う。この北の領にささやかな幸を運ぶような。


「早く会いたい」


 深芳は腹部を優しくさすり、独り言のように呟いた。

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