6)不要の者

不要の者(1)

 月夜の変から二百年余り、清影の元へ月に一度は通いながら、深芳は落山の屋敷で静かに暮らしていた。


 立場上は、成旺の側妻そばめである。とは言え、成旺との間には確執はあっても愛情はない。

 千紫の取り扱いについて、当初から対立しており、深芳にとって成旺は災いの元凶、成旺にとって深芳は目の上のこぶのような存在だった。


 成旺は、千紫を使ってまるで将棋の駒のように御座所おわすところの鬼を動かす。ともすれば、頂点に立った旺知あきともさえも、知らず知らずに彼の思った通りに動いている。


 最終的に判断するのは旺知であり、千紫はそこに進言するという関係は今も変わらないが、智略に富んだ千紫の進言を誰も無視できなくなっているのは事実だ。そして、その背後に成旺がいることを誰も知らない。


 しかし、だからと言って、成旺は政権を奪いかかるようなことは決してしない。彼にとっては、遊びのようなものなのだ。

 千紫を大切にしており、彼女の心の支えになっていることは確かだが、そもそも彼女に全てを背負わせていることが深芳には腹立たしかった。


 その千紫はと言うと、最初こそ成旺と深芳の間に何か起こるのではと心配していた。しかし、途中からは何かと険悪になる二人の間に挟まれて、そっちの気苦労が絶えなかった。


 そうしたちょっとしたの小競合いはあるものの、深芳は薬草に囲まれて、殺伐とした政争とは無縁の生活を送っていた。


 端女はしための格好も板につき、千紫には「無用な美貌じゃの」とからかわれていた。清影の元へ行く時もこの格好だ。


 しかし、このところ深芳は体調がすぐれず困っていた。妙に疲れやすく、そして眠い。薬草の手入れもしたいが、ほどほどにしておかないとひどく疲れるので、庭の薬草は正真正銘の雑草のようになっていた。


 部屋の片隅には煎じかけの乾燥させた薬草が放りっぱなしだ。千紫に頼んで用意してもらった棚には、様々な薬が置いてある。傷に効くものや、滋養に良いもの、中には誰にも触らせられない危険なものもある。


 今日は月初めの日で、座敷牢にいる清影に会いに行く日である。朝からなんとなく横になっていた深芳は、重い体を起こして身支度を始めた。


 途中、様子を見に来た波瑠が心配そうに深芳に言った。


「今日は無理なさらずお休みになられては」

「いや、大事ない」


 本当は休みたいと思う。しかし、一度だけ休んだことがあり、その時にひどく清影から責められた。

 無理もない。義兄にしてみれば、たった月に一度、誰かと会える唯一の日なのだから。


 義兄はもう、私以外に頼る者がいないのだ。


 せめての気休めと、深芳は気分が良くなる薬草茶を煎じて飲んだ。


 夏も終わりを迎えようとしているが、まだまだ残暑が厳しい時分だ。

 今日は清影に本をいくらか持っていこうと思っていたが、疲れそうなのでやめることにする。日が昇りきると暑さが増すので、深芳は早々に落山の屋敷を出た。


 いつもの通り牢番の与平に案内されて座敷牢に入る。この呪われた門に閉ざされた空間で、義兄は二百年以上一人で過ごしている。


 玄関から屋敷に入り、庭に面した明るい部屋に行く。

 その隣の光が届かない薄暗い部屋が、いつもの清影の居場所だ。以前、どうして庭に面した部屋で過ごさないのかと尋ねたら、外の世界のことを考えてしまうからと返ってきて、深芳は何も言えなくなった。


「兄上様、」


 深芳が声をかけると、ちょうど本を読んでいた清影が顔を上げ笑顔を返した。ほんの少しだけ、言葉にならない呻くような声を出す。


 この二百年、彼の喉に刻まれた呪詛じゅそをなんとかしようといろいろな薬草を試みた。結果、呪詛を消すことは出来なかったが、少しだけ声が出るようになった。言葉を発することはできなくても、声色で清影の気持ちが分かるので、深芳はとても嬉しかった。


「今日は本を持って来れませんでした。申し訳ございません」


 そう言いながら清影の隣に座る。清影が汗ばんだ深芳の髪を掻き上げて、その頭上の角を優しくなでる。深芳は、はにかみながら彼に笑い返した。


「そう言えば、薬草茶を持って来たので、後でおれしますね」


 清影が「どんなお茶だ?」といった風に首を傾げた。深芳は言葉を続けた。


「前に来た時に眠れないと言っていたので、落ち着いて眠れる薬草茶にございます。飲む量には注意が必要ですが、それさえ守れば美味しいお茶です。この一月ひとつきは本当に暑うございましたね、兄上様はどのようにお過ごしでしたか?」


 着いたらまず、互いの近況を報告し合う。とは言っても、話すのはほとんど深芳で、清影が手の平に書く質問に彼女が丁寧に答えていく。

 時折、深芳が清影のことを尋ねると、彼は手短に書いて答えてくれた。

 今では紙も墨も筆もある。紙に書けば、もっと会話も滞りなくできるのかもしれないが、二人は必ず手の平で会話をした。手の平で動き回る清影の指先を感じる時、来て良かったと深芳は思う。


 しかし、ひと通り話が終わりと、清影がおもむろに手を握りしめる。深芳の胸がどくんと波打つ。それが、兄と妹から男と女に変わる合図だ。


 正直なところ、二人の関係は兄妹でもなく、恋仲でもない中途半端な状態がずっと続いていた。

 お互いを慰め合う気持ちと、それに反するような男女の欲望が、ぐだぐだに混じり合って、もう自分たちが何を望んでいたのか分からなくなっていた。少なくとも深芳はそう感じていた。 


 絡んだ指が腕を這い、背中を這い、お互いの存在を求め始める。

 こうなると、もう兄妹には戻れない。本能と欲望のまま、互いに着ている物を脇に打ち捨て、お互いにお互いを貪るだけだ。

 

 ここは二人だけの場所、誰が来ることもなく、声が漏れることもない。その空間で清影と深芳は幾度となく愛し合っていた。いや、そもそもこれが愛し合っていると言えるのであれば。


 体に清影の熱いものが注がれる度に、そしてその悦びにうち震える度に、これが自分の求めていたものなのかと深芳は思っていた。

 義兄の心は、二百年前から止まったままで、今なお自分に向いてはいない。それでも、彼女は清影に抱かれ続ける。彼の気持ちと自分の気持ちを誤魔化すために。腰を這う清影の指先を感じる時、やはり来なければ良かったと深芳は思う。


 とりわけ今日は、体調が悪すぎた。何度目かの交わりで、深芳は耐えきれずに清影を拒絶した。


「今日は体が苦しゅうございます」


 清影がふと不満げに眉根を寄せる。それから口の端に薄い笑みを浮かべた。その顔が、「私の種を欲しいと言ったのはおまえだろう?」と言っていた。


 女を抱く時の清影は少し意地が悪い。意地が悪くなったと言うべきか。

 最初の頃は、もっと兄であろうとしていたし、優しかった。しかし、歪みきった二人の関係は、清影の心根さえも歪めてしまった。


 拒絶したにもかかわらず清影は容赦なく深芳の体の中に入ってきた。深芳は腹を突き上げられる苦しさに、「うっ」と呻く。

 その苦しそうな声を聞いて、さすがに清影の勢いが緩んだ。そして彼は、早々に事を終わらせると、ぐったりと横たわる深芳に向かって脱ぎ捨てられた小袖をぽそりと掛けた。


 まるで興醒めだと言わんばかりに。


 自分の着ていた物を拾い上げ、深芳を残して清影が部屋から出て行く。そこには、疲れきった妹を労る優しい義兄の姿はない。


 深芳の目から涙がぽろりとこぼれ落ちた。

 ここは嘘で塗り固められた場所だ。だから、どれだけ会って肌を交わしても虚しさしか残らない。


 どうしてこうなると、気づけなかったのか。いや違う。端から分かっていたことだ。なぜなら、あの日、自分は妹であることをやめ、そして清影と恋仲となることも諦めたのだから。


 それでも一縷いちるの望みがあるならと、清影に会い続けた。しかし、もう限界だった。


「終わりに──、しとうございます」


 深芳は独り呟いた。

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