幕間

市女笠(前編)

 八洞やと家の家臣下野しもつけ与平は、座敷牢の番人である。真面目な堅物で知られ、だからこそ周囲からの信頼も厚い。


 彼は、もともと「守りの要」と呼ばれる六洞りくどう衆に入ることを志し、しかし、何の伝手つてもなく困っていたところを当時は家元であった下野しもつけ十兵衛に拾われた。


 その後、十兵衛が八洞やとの姓を賜ったと同時に彼の姓であった下野しもつけをもらい、奥院の女主人である千紫の推挙で牢番となった。


 座敷牢は里の北西の山境にある。

 粗削りの大きな木を組み合わせただけの古びた厳つい門は、至るところに札が貼られてあり、来る者を全て拒絶していた。

 門全体をもやが覆い、中の様子は全く見えず、門を通るには専用の木札が必要だった。


 中に囚われているのは元伯子、清影である。

 妹の姫君二人は、それぞれどこかの屋敷に隠され、元鬼伯の影親かげちかに至っては所在不明で、どこぞで殺されたとも聞いた。

 もはや旧伯家は虫の息である。この堅固な座敷牢に、さらに屈強な牢番をつける必要があるのかと誰もが思った。

 そもそも座敷牢の番人など、そこらの野盗と変わらない輩たちがする仕事だ。


 しかし、その牢番の任に奥の方があえて口を出してきた。

 千紫は情に厚いが意味のないことはしない。わざわざ自分が名指しされたことは、それなりの意味があるのだろうと与平は思っていた。


 それに、六洞りくどう家管轄である座敷牢の番人となることは、六洞家とも自然と繋がりができ、与平にとって願ってもないことだった。




 牢番の任に就いて半月もした頃、波瑠という名の千紫の遣いがやって来て、内密の手紙を渡された。


 その内容は、三日後に女を遣わすから西山道の境まで迎えに行き、彼女を座敷牢に入れろというものだった。


 牢番と言えども、座敷牢には気軽に入れない。里守さとのかみから預かった木札を使うのは、たまに届く食糧を中の屋敷の玄関前に置きに行く時だけだ。当然ながら伯子と話したこともなければ、会ったこともない。


 それを素性の知れない者を中に入れろとは、やって来る女は一体誰だと与平は思った。そんな彼の戸惑いもすでに承知済みだったのだろう。

 波瑠が千紫からの言伝ことづてとして、


「他言無用、女の素性も理由の一切も聞くことなりませぬ」


 と与平に言った。


 その時、与平は初めて自分が推挙された理由を理解した。


 千紫は、その女をどうしても座敷牢の中に入れたいのだ。千紫には何かと恩義があるし、月夜の変に出会った時に彼女なら信じられると思った。


 彼は、波瑠に「分かった」と返事をして、彼女の前で手紙を燃やした。

 

 三日後、指定された西山道の境で待っていると、西へ通じる脇道から女が一人歩いてきた。市女笠いちめがさをかぶり、垂衣たれぎぬで全身を覆い、その容貌は分からない。


 だが、粗末な小袖に前掛けをつけた格好なので、与平はすぐに端女はしためだと思った。千紫のように華やかな女が来ると勝手に想像していた与平は思わず拍子抜けしてしまった。


 与平が名乗ると、女は無言で頭を下げる。話せないのか、それとも話さないのか、どちらにせよぶっきらぼうな女だと思いながら、彼は座敷牢に案内した。


 厳つい門前に到着し、女に木札を渡す。その時、ふわりと漂ってくる沈丁花に似た匂いが高貴な佳人を思わせ、与平はどきりとした。

 女はやはり黙ったままで、木札をもらうと躊躇ためらうことなく門をくぐり、座敷牢の中へと入っていった。


 そして彼女は、日も傾き始める頃に門から出てきて、一言も発することなく帰って行った。なんとも不思議な日だった。


 それからというもの、月の始まりの日に一度だけ、市女笠いちめがさの女は必ずやって来るようになった。

 一方、与平は、月に何度か六洞りくどう衆の鍛練に混ぜてもらえるようになり、鍛練の日は六洞衆の若い鬼が牢番を交代してくれるようになった。


 しかし、月の始まりの日だけは必ず与平が牢番の日となっており、彼は西山道の境へ市女笠の女を迎えに行き、そして座敷牢へ案内した。

 与平は女に話しかけることはなく、そしてまた、女も与平に話しかけることはない。そんな関係が数十年以上も続いた。




「与平、あの市女笠の女は誰なのだ?」


 ある日、親しくなった六洞衆の鬼たちと里中の食事屋で酒を飲み交わしていた与平は、市女笠の女について尋ねられた。こうした酒の席で似たようなことを聞かれるのは、これで何度目になるか分からない。


 この件については、ずっと内密にしていた。

 しかし、そもそも隠し通すこと自体に最初から無理があった。たまたま与平に用事があり、月初めの日に座敷牢を訪れた者が、女の姿を見かけたのだ。


 そこから噂が瞬く間に広がり、最後は、その噂を耳にした里守さとのかみにより箝口令かんこうれいが敷かれる事態となった。

 おかげで、今ではこの話を大っぴらにする者はいなくなったが、こうした非番の酒の席で、酒の肴として聞かれるようになった。


「誰かは知らん。そもそも言葉を交わしたこともない」

「一度もか?」

「そうだ」


 何度聞かれても与平はそう答える。本当に言葉を交わしたことがないのだからしょうがない。厳つい二つ鬼の面々が一同に「うーん」と唸る。


 すると、


「儂は、深芳様ではないかと思うのよ」


 その内の一人がぼそりと呟いた。

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