叶わぬ恋(6)

 父親と妹の近況を尋ねられ、深芳は困った。


 自分が知っているのは、父親の非業の死と妹の幽閉という事実だけだ。

 それでも、何も知らされない辛さは自分自身も痛いほど分かるので、彼女は自分が知っている事実を義兄に告げた。


「……藤花には初音がついており、また伏見谷が後ろ楯として控えております。亡き九尾様の弟子殿も力になってくれるでしょう」


 最後に深芳がそう締めくくると、清影は彼女を言葉をゆっくり飲み下すように頷いた。そして、彼は深芳の手の平に文字を書いた。


『おわすところは どうなったか』

九洞くど旺知あきともに歯向かった者は、見せしめに殺されました。一つ鬼の洞家は全て召し上げられ二つ鬼に取って変わったと聞いております。六洞りくどう家も、もはや旺知に従うしかなく、今は旺知を頂点として新しい体制が動き始めたところです」


 清影が複雑な顔で頷いた。あの夜のことを、そして今の自分の状況を、何より新しく動き始めた月夜の里をどんな思いで受け止めているのか。


 それを考えると、かける言葉も見つからない。それで深芳が黙り込んでいると、また手の平に清影が文字を書いた。


『みよしは ふべんないか』


 こんな時でも相手を気遣う義兄の優しさを、本当にありがたく思う。彼女は「はい」と答えた。


に言われ、落山にある隠れ屋敷に住んでおります。奥院よりもずっと自由気ままに、のんびりと過ごしております」


 深芳は、今の自分の状況が千紫ではなく旺知の命であると嘘をついた。

 先程からの会話の中でも千紫の名前は一度も出していない。彼女の名前を聞かせたくなかったし、言いたくもなかった。


 深芳はあえて元気良く笑った。


「庭いっぱいに薬草を植えました。見た目は雑草が生い茂る庭ですが、私には宝の山にございます。兄上様が見てもきっとびっくりすると思います」


 清影が楽しそうに目を細めた。それを見て深芳も嬉しくなる。


「傷に良く効くものや喉に良いものもあります。その喉の傷も呪詛も、きっとなんとかなりましょう。そしたら、また歌を──、兄上様の月詞つきことを聞かせてくださいませ」


 清影が言葉を発せられない分、深芳は話した。落山の屋敷の食事はびっくりするほど質素なこと、端女はしためのような格好もまんざら悪くないと思ったこと、ここの牢番は実直そうだが愛想がなくて道中気まずかったこと──。


 どうでもいいことを話し続ける義妹に、清影は優しい笑みを浮かべて何度も頷いた。そして時おり、深芳の手の平に文字を書き込んでいく。


『いつも なにを たべている』『ここまで あるいて きたのか』


 深芳はそれに一つ一つ答えながら、「今度は何か書くものを用意しましょう」「美味しいものも作って持ってきます」「本があれば淋しくないでしょう」と思い付くことを義兄に伝えた。手の平に『ありがとう』という文字が書かれた。


 ぽつりぽつりと胸の中に幸せな気持ちが満ちていく。

 手の平に感じる清影の指先、触れ合う肩、ふと見上げれば義兄の顔がすぐそこにある。

 しかし、清影は決してそれ以上を越えてこない。なぜなら自分達は兄妹だから。


 これでいいのだ。兄妹だからこそ、自分達は寄り添え合える。この幸せの形をどうして壊すことができるだろう。


 深芳は、これでいいと自分に言い聞かせた。どうせ、あやかしは子をめったと成さない。望んでできるものでもない。

 千紫は清影との子を望んでいるが、兄妹として何もせずまま過ごし、結果、子ができなかったとしても不自然なことではない。


 私たち二人がどう過ごそうが私たちの勝手だ。誰にも邪魔をさせるものか。

 ここに千紫はいない。私だけが会いに来ることができる。もう私だけの兄だ。


 急に黙り込んだ深芳に対し、清影が『どうした?』といった顔を向けた。深芳は慌てて彼に笑い返した。


「なんでもございません。他に何か忘れてはいないかと考えておりました」


 すると清影がふと顔を曇らせた。

 そして、ひとしきり思案すると、躊躇ためらいがちに深芳の手の平に文字を書いた。


 今度はなんだろうと首を傾げ、深芳は清影の指の動きを追う。しかし、その目に飛び込んできた文字に深芳の息が止まった。


『せんし』


 心の臓に何かを突き立てられたように胸がぎゅっと締めつけられ、苦しくなる。にもかかわらず、清影の指はさらに容赦なく動く。


『せんしは くるしんでいないか』

「……どうして、」


 千紫なの──? 深芳の手が震えた。


 彼女はここにはいない。来ることもない。ここにいるのは私だけなのに、どうして彼女のことを思い出すの?


 今までの幸せな気持ちが一気に消え失せた。どこまでいっても、私は


 なぜ私は見てもらえないのか、どうしたら見てもらえるのか、怒りにも似たやりきれない感情が彼女の体を駆け巡る。


 千紫は、あなたのことなどとうに忘れて他の男に溺れているというのに。


 彼女ばかりずるい──。


 深芳は初めてそう思った。同時に、彼女の中で、何かがぷつりと切れた。


「兄上様、」


 深芳は清影の手をそっと両手で握りしめた。緊張で喉の奥がひりひりと焼けるように痛い。

 しかし彼女は、その言葉を無理やり絞り出し、清影に言った。


「あなた様の種を、私にくださいませ」


 清影が「なんの話だ」とばかりに眉をひそめる。深芳はそんな義兄にふわりと笑い返した。


「千紫と約束をしたのです。将来、お互いの子をめあわせようと。昔から、あの子は無い物ねだりで私の物をなんでも奪っていきます。私が兄上様の子をなせば、きっとその子も欲しがるでしょう。だから兄上様、」


 言って清影の手を自分の胸元へいざなう。


「あなた様の種をこの深芳にくださいませ。必ずや、愛しい方へと届けましょう」


 清影が目を見開いて深芳を見つめる。胸元に置かれた手が強張っているのが分かる。それを承知で深芳は清影にしなだれかかった。


「千紫はもう、兄上様のことなど忘れております。あの男の──、腕の中で淫らに鳴いておりまする」


 だからお願い、もう忘れて。

 彼女の影を追い続けるあなたの姿をこれ以上見たくない。


 深芳は戸惑う清影の顔を両手で捉え、その固く閉じた口に唇を寄せた。乾いた皮膚の感触が、歪み始めた二人の関係を物語っていた。

 それでもなお、深芳が唇を押しつけると、やっと清影が応えた。と、応えた途端に、彼は何かをかなぐり捨てたかのように激しく舌を絡ませてきた。深芳の腰に義兄の手が回り、するりと帯が緩む。


 ひとしきり唇を重ねた後、二人はじっと見つめ合った。戸惑いと欲望をない交ぜにしたような表情を浮かべる清影に向かって、深芳は切れ長の目を妖美に細めた。


「二人でこのまま堕ちましょう?」


 無言の清影に笑いかければ、彼が深芳の衣服を引き剥がす。雪のように白い肌が露わになり、なまめかしく明かりに照らされた。

 

 静かにゆっくりと二人は重なり合う。


 初めて感じる義兄の男としての肌の温もり。

 あれだけ大切にしていたものが音を立てて壊れていくのが分かる。しかし、手にした肌の温もりは嘘ではなく、否応なしに深芳の心をたかぶらせた。


 清影がその滑らかな乳房に唇を寄せる。深芳はびくりと体を震わせて熱い吐息を漏らした。


 この日から二百年余り、清影が死ぬまで深芳は座敷牢に月に一度通い続ける。二人がどのような言葉を交わし、どのような時を過ごしたのか、それは二人だけの秘密である。

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