叶わぬ恋(2)

「男と女とな──」


 深芳は信じられないと顔を左右に振った。


「夫が鬼伯に仇なし不義を働いている横で、おまえは夫の兄と不義の仲など、自分が何をしているのか分かっておるのか?」

「……分かっておる」

「おらぬ!」


 きっと深芳は千紫を睨んだ。


「兄上様は今もおまえを思うておる。それはどうなる?」

「どうもこうも……。私たちの間には、もともと何もない」

紫檀したんのかんざしを兄上様から贈られたではないか」

「それだけじゃ。子供の遊びのようなもの」

「その程度で──!」


 深芳が腰を浮かせて千紫に詰め寄った。


「そんな簡単に変わるような思いであれば、最初から好きになどならなければ良かったのじゃ! 私から兄上様を奪っておいて、他に好いた男ができたなどと、ふざけたことを──」

「簡単ではない!」


 千紫が深芳の言葉を遮る。彼女は苦悩の表情を浮かべ、深芳を睨み返した。


「おまえには分からぬ。口答えも許されず、毎晩のように体を差し出さねばならぬ日々がいかようなものか。そんな私を、成旺様が救ってくれたのじゃ。此度こたびの争いの始末も成旺様の助言なしでは為し得なかった」

「それでおまえを救ったと?」


 深芳が皮肉げに笑った。


「おまえに旺知の相手をさせ、この争いの始末をさせ、おのれは安全な場所で高みの見物を決めておる。これのどこが救いか? あの男は、穏やかな見た目以上に危険じゃ。野心を隠さぬ旺知の方が余程分かりやすくて害がない」

「黙りやっ」


 千紫が声を荒げた。


「成旺様を悪く言うは許さぬ」

「感じたままを言うておるまでじゃ」


 深芳が負けじと言い返すと、千紫がふいっとそっぽを向いた。

 こんな聞き分けのない千紫は初めて見る。あの男に何を吹き込まれたのかと腹が煮えくり返った。


 そして改めて自分がここに連れてこられた理由を考える。

 ただの幽閉だけなら藤花とまとめて閉じ込めればいい。

 そうしないのは──、深芳は千紫に問いただした。


「私にの世話をさせるなどと言って、私を隠れ蓑に使うつもりかえ?」


 まさか、逢い引きの相手の世話を別の女にさせるとは旺知も思うまい。

 まんまと二人の関係の道具に使われるのかと思うと、深芳は怒りと情けなさで言葉も出なくなった。

 しかし、


「違う」


 千紫がすかさず否定した。


「成旺様がおまえの隠れ蓑になるのじゃ」


 彼女の言葉の意味が分からず深芳は眉をひそめる。千紫がまっすぐ深芳を見返した。


「私は、清影様とおまえの子が欲しい」

「……は?」

「約束したであろう? 互いの子をめあわせると」


 突然何の話だ? 深芳はさらに怪訝な顔を千紫に返した。

 千紫の揺るぎない瞳が深芳を捉えた。


「宝刀月影が見つからぬ以上、清影様はおそらく座敷牢に幽閉される。座敷牢には特別な結界が施してあり、専用の札がないと出入りは出来ぬ。そこに月に二度──最低でも一度は、おまえを通わせる。入ってしまえば、清影様と二人きりじゃ」


 二人きり──。

 深芳は声を震わせた。


「私に……兄上様と契れと申すか」

「清影様が牢から出ることはない」


 千紫が言った。


「藤花も囚われの身となり、もはや伯家は終いじゃ。このままでは、月詞つきことを歌う者がいなくなる。正統な伯家の血を残さねばならぬ」

「伯家を追いやった男の妻がどの口で言う」


 深芳が非難めいた目を千紫に向けたが、彼女はそれを真っ向からはねのけた。


「おまえはもう私のものじゃ。おまえの子も──、私のものじゃ」


 言って千紫は深芳をぎゅっと抱き締めた。


「旺知はこのまま伯座に就く。私が成旺様の子を産めば、その子が伯子となる。そして深芳、おまえの子が伯子の伴侶。この月夜つくよを、我らの子がべるのじゃ」


 それはまるで呪いの言葉のように深芳の耳に届いた。




 深芳はこれ以上彼女と話をする気になれず、「少し一人にさせて欲しい」と千紫を部屋から追い出した。


 拒絶とも見てとれる深芳の態度に千紫は不満げな顔をしながら、それでも彼女を気遣って部屋を出ていった。


 しばらくすると、遠くで千紫と成旺との話し声が聞こえ始めた。何を話しているかは分からなかったが、その穏やかな声のやり取りから本当に千紫は成旺に心を許しているようだった。


 途中から二人の声が睦み合いのそれに変わると、深芳はやるせない気持ちでいっぱいになった。身も心も成旺に溺れてしまっている友人の現実を突きつけられる。


 なぜ、こんなことに。


 どこかで千紫を助けてあげられなかったのかと思い返す。

 久しぶりに会った千紫は、相変わらず情に厚く、それでいて状況を的確に判断し、賢い選択をする女性だった。


 しかし、不貞の末にできた子を伯座に就けようなどと大それたことを言い出す者ではなかった。


 唯一の救いは、今の千紫が幸せそうだということだけだ。成旺のことを話す彼女は、まるであどけない少女のようだ。

 まあ深芳としては、それはそれで全く気に入らないのだが。


 そして千紫は、「また来る」という言葉と下女の波瑠を残して夕方には落山の屋敷を去った。




 夕餉ゆうげの時間となり、波瑠が食事を持って部屋に現れた。

 食事は、焼いた野菜と肉を皿に並べただけの簡素なものだ。これに汁物と白米が付いていた。


「成旺様が食に無頓着な方で、こういう物しかお食べにならないので。汁と飯は、深芳様だけにございます」


 波瑠が膳を深芳の前に置きながら、これでも客人のために豪華にしたのだと弁明する。深芳は「ありがとう」とお礼を言った後、波瑠に尋ねた。


「おまえは成旺しげあき殿と千紫のことを知っておるのだな」

「はい」


 あっさりと彼女は肯定した。


旺知あきとも殿に雇われた身であろう? 黙っていては同罪となるというのに」

「かまいません」


 波瑠が屈託のない笑顔を返した。


「千紫様は、下女として虐げられていた私を助けてくださいました。それからは、侍女としての所作、文字、数の道理……いろいろなことを教えてくださいました。里中の仲間にも仕事をくださいます。ゆくゆくは私を侍女とすることが千紫様のお望みでしたが、窮屈そうなので断りました。だからこれは、ほんの恩返しみたいなものにございます」

「……そうか、千紫らしいの」

「はい。本当ならこの落山で成旺様とともに書物を読んで暮らすのが、千紫様のお望みなのだと思います」


 その口調から、波瑠も成旺と千紫の仲を肯定的に考えていることが分かる。深芳は波瑠にさらに尋ねた。


「成旺殿は、いかなる人物か。昨日は私も気が動転していて、失礼な物言いをしてしまった」


 彼に対する印象を改めたわけではないが、一応詫びの言葉も添えてみる。すると、波瑠がからからと笑った。


「大丈夫です。そういうの、気にしない方ですから。日がな書物ばかり読んで、問答のようなことを独りごちてます。本当に掴みどころのない御方です」

「そうか」

「ええ。ほぼ書院でお過ごしになるので、お部屋はたくさん空いています。明日には、もう少しちゃんとしたお部屋を深芳様にご用意いたします」


 しかし、その申し出に対して、深芳はすぐに遠慮をした。


「どのような部屋でもよいが、囚われの身らしく屋敷の隅の部屋にしておくれ」

「でも、千紫様がなんと言うか」

「仮にも成旺殿と二人となる。間違いがないようにしたい」


 深芳が波瑠に言い聞かせる。

 さすがに彼女も「確かにそうですね」と頷いた。


「分かりました。では、深芳様の言う通りにいたします。千紫様にもそう説明します」

「頼む」


 波瑠は、ぺこりと頭を下げて出ていった。


 一人になり、深芳は思案顔になる。


(ほぼ書院で過ごしていると言っていた──)


 今後のため、深芳は再び成旺と相対することを決めた。

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