不義と不義(8)
宝刀月影──。伯家に受け継がれている正統な鬼伯の証し。
「宝物庫にもそれらしき物はなく、
旺知が苛立ちを隠しきれない様子で影親を睨んだ。
「どこに隠しておる?」
「誰がおまえなんぞに──」
「渡すものか、とでも言いたいか? だが、おまえの命は儂の手の平の中だ。そこをよく考えて物を言え」
「違う!」
影親が怯える目になけなしの誇りを宿し、毅然と旺知に言い返した。
「殺したいなら殺せばいい。だが、下賎なおまえに月影が応えるものか。あれは、我ら一族の物だっ!」
「……なるほど」
旺知が冷ややかな目で影親を睨みつつ立ち上がった。
そして、佐之助に目配せをする。佐之助がこくりと頷き、他の鬼武者とともに影親を両脇から抱え込んだ。
「もう少し物分かりがいいかと思っていたがな。連れていけ」
「はっ、」
影親を引きずるようにして、二つ鬼が大広間から
「父上!」
思わず腰を浮かせ追いかけようとする清影を、残った鬼武者が押さえつける。刹那、旺知がすらりと刀を抜いた。
深芳の全身から血の気が引いた。
「や、やめ──!」
深芳が叫んだのと、刃がひゅんという音とともに水平に弧を描いたのが同時だった。
次の瞬間、清影の首から血
「兄上様!!」
「殺してはおらぬ。喉を斬っただけだ。これで、自慢の
「──っ、──っ!」
深芳に抱きかかえられながら、清影が音にならない声を発して旺知を睨みつける。旺知が不遜な笑みを浮かべつつ清影を見下ろした。
「傷が
旺知の命じられ、清影を押さえていた二つ鬼が彼を引っ張り上げた。
ぼたぼたと喉から血を滴らせながら清影が苦痛と屈辱で顔を歪めた。そして彼は、深芳が見つめる中、何も言葉を発することが出来ずに鬼兵に連れられて行った。
大広間には旺知と深芳の二人だけになった。
「さて深芳姫、」
呆然と廊下を見つめる深芳の肩に旺知が手をかけた。
「残るはあなた様の処遇だけですな」
態度をがらりと変えて、旺知が猫なで声で深芳に言った。
「千紫は、あなたになしの世話をさせようとしておる。御前会では、なんと仲が良いのかと思いましたが、女は怖い」
深芳が顔を上げ旺知を見つめ返した。旺知が含みのある笑みを浮かべる。
ああこの顔だ、と深芳は思った。十八の時、私の女を奪い、踏みにじった男と同じ顔。
「あなた様が望むなら、千紫のおねだりは撤回させよう。今までと同じように奥院に住むこともできる」
「奥院に、」
その意味するところは。
深芳は大きく一つ息をつく。今さら慌てることでもない。
彼女に乱暴を働いた男の最期は哀れなものだった。
彼の狼藉はすぐに両親の知るところとなり、彼は屋敷を出入り禁止になった。
それでも未練が断ち切れなかった男は、門前で「彼女が欲しい」と土下座をし、「彼女を幸せにする自信はある」「自分たちは愛し合っている」と繰り返した。
そしてその時、深芳は土下座をする男の頭を踏みつけた。「くだらぬ男は嫌い。ろくに私を満足させることもできなかったくせに」と言って。
その後、男は里の外れで自ら命を絶ったと風の噂で聞いた。
あの時の惨めな思いは忘れない。
しかし、それを代償に彼女は学んだ。女は、体を差し出しても、奪われてもならないのだと。
相手が欲しいと地に頭を擦りつけ、それを上から踏みつけるぐらいのことをしなければ。男はすぐにつけあがる。
深芳は、
訳が分からず怪訝な顔をする旺知に、深芳は艶のある顔を返した。
「私が望むも何も──、」
言って肩にかかる手に、自身の手を重ねる。
「九洞殿は、私をどうされたいのです?」
切れ長の目が妖しく旺知を射抜いた。深芳が怯えて泣きすがってくるかと思っていた旺知は、思わずごくりと生唾を飲んだ。
これは誘いだ、と彼は思った。
声をかけることさえ
今ここで、すぐにでも押し倒してしまいたいという衝動が沸き上がる。
なんの問題もない。なぜなら、それが許される地位を自分は手に入れたのだから。
華奢な肩に置かれた旺知の手に力が入る。しかし、途端に深芳が興ざめした顔でため息をついた。
「謀反を起こし、伯座を奪いに来たともあろう方が、そのように下賎の者のごとく品なくがっついて。私をがっかりさせないで下さいまし」
「が、がっかり──?」
「余裕のない男は嫌いです。私をご所望とあらば、当然、満足させてくれるのでしょう?」
その優美かつ挑発的な物言いに、旺知は冷や水をかけられた気持ちになる。
彼の脳裏に、なぜか両親との記憶が鮮明によみがえった。
何をやっても評価されず、
途端に怯んだ様子を見せた旺知に、深芳は心の中で大きく鼻を鳴らす。
男はみんな馬鹿だと思う。手に入れた女には力を誇示して踏みにじるだけ、憧れの女には見栄を張って手を出せない。
そこにあるのは、他者によって常に自分自身を保とうとする自尊心だけだ。そのくだらない自尊心がある限り、男は「深芳」という女に憧れこそすれ、触れることはできないのだ。
するとその時、
「お待ちくださいませ」
凛とした声が大広間に響いた。旺知と深芳が声のした方を見やると、波瑠を従えた千紫が険しい顔で二人を睨んでいた。
「千紫、」
「
旺知にそう告げながら、千紫が二人の元へ歩み寄る。
思いがけない横やりに、旺知はそろりと深芳の肩から手を引っ込めた。
同時に、どこかでほっとしている自分に気づく。 これは、深芳からの評価を免れたという、つまらないほど小さな安堵だ。
一方、深芳は悪びれる様子もなく笑って千紫を迎え入れた。
「まあ千紫、久しぶりじゃ」
千紫も笑って深芳に応える。しかし、次の瞬間、千紫が深芳の頬を平手で打った。
ぱんっという乾いた音が大広間に響いた。小さな肩を怒らせて千紫が深芳を睨む。そして誰もいない広間をぐるりと見回しながら、旺知に尋ねた。
「鬼伯や伯子はどうされたので?」
「別の場所に移した」
「どうなさるおつもりです? 月影が見つからぬ今、早まった真似はお控えくださるようお願いいたしました。それに──、この女は私の預かりとなったはず」
「分かっておる」
いつにない千紫の剣幕に旺知は内心驚きつつ、うるさそうに言い返した。
そして、ちらりと深芳を見る。ついさっき手に入れようとしていた女は、打たれた頬を気にもせず、優美な佇まいで庭に降り始めた雪を見ている。
その浮世離れした様子はまるで月にかかる霞を見ているようで、やはりもう一度触れてみたいと旺知は思う。しかし、旺知は深芳から目をそらし吐き捨てた。
「好きにしろ。不遜な物言いが気に入らん」
千紫が満足げに頷いて、廊下で控える波瑠に指示を出した。
「波瑠、深芳を落山の屋敷に移せ」
「はい、承知しました」
命を受けて、波瑠がそろそろと深芳に近づく。ふわりと深芳は立ち上がった。
本当なら千紫と今すぐにでも言葉を交わしたい。しかし、旺知や見知らぬ女がいる以上、それは出来ない。ならば、このままふてぶてしい姫を演じて千紫の望む場所に移るしかない。
「落山の屋敷とは、風情のある所かえ?」
「……ええと、風情かどうかは分かりませんが、森に囲まれた閑静な所にございます」
深芳の美しさと動じない様子に波瑠も戸惑いがちに答えた。
深芳は「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、旺知や千紫には目もくれず大広間から出ていった。
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