不義と不義(7)

 今までずっと黙っていた初音が、躊躇ためらいがちに口を開いた。


「先ほど、弟子殿は東に向かうと千紫様は言っておいででしたが、東が駄目なら、おそらく次は北に向かうと思われます」


 その場にいた全員が初音に目を向けた。初音がはなはだ不本意だという顔で、しかし、迷いのない声で答えた。


「弟子殿はよく藤花様を北山に連れて行かれます。藤花様も北山に大きな御化筋おばけすじがあることをおっしゃっておいででした」

「それは、北山のどのあたりだ?」


 重丸が初音に尋ねると、彼女は首を傾げた。


「はっきりとは分かりません。ただ……大きな岩の突き出た峡谷の話をよく聞きましてございます」

「それで十分だ。親父おやじ殿、儂が行く。行って、あの阿呆を説得する」

「うむ。が、相手は弟子殿だ。それなりの手練れを集めねば。多少時間がかかるゆえ、ひとまず先鋒隊が必要になるな。とは言え、状況も掴めないところへ闇雲に兵を出すのは得策ではない。儂が目をかけて育ててきた大切な武者を失いかねん」


 言って里守さとのかみが意味ありげな目を千紫に向けた。千紫はあからさまに顔をしかめた。


「こちらから兵を出せと?」

「この件に関して、六洞りくどうは何の非もない。当然、動く理由もなければ、兵を出す義理もない。九洞くどは我らに動いて欲しいのか、否か?」


 里守を「駆け引き下手」と言ったのはいったい誰か。

 これは、「六洞りくどうは九洞の手先ではない」という意思表示であり、千紫の覚悟を試す要求だ。


 先鋒隊を六洞衆に任せようと考えていた千紫にとって、これは誤算だった。相手の情報が少ない先鋒は死ぬ危険が格段に高くなる。九洞の寄せ集めの武者たちならなおさらだ。


 だからこそ、六洞衆が必要だった。彼ら相手なら百日紅兵衛は本気で戦えないだろうし、六洞衆が動いたことで戦意を失うかもしれない。そう、里守さとのかみが動くと言った時点で、この件は決着したに等しい。


 そこにあえて、こちらに対し負担を求めてくるとは。九洞の兵を供物に差し出せと言っているようなものだ。


 千紫は、ぎりっと奥歯を噛んだ。


「……最初のおとり九洞こちらで用意いたします」

「助かる」


 里守さとのかみが満足げに頷いた。

 それを受けて、千紫はの部屋の外に声をかけた。


「……十兵衛、聞いておったな?」


 障子戸がするりと開く。下野しもつけ十兵衛が当然とばかりの顔でそこに控えていた。


「は、全て。聞き逃しはございません」


 いけしゃあしゃあと、この男は。千紫は内心苦笑しつつ十兵衛に申し付けた。


「南庭におる適当な者を先鋒隊として向かわせよ。それとなく攻撃をしかけ、東から北へと追い込むのじゃ。間違っても自分達でどうにかしようなどとは思うな」

「承知いたしました」

「では、今からは里守さとのかみの指示に従い行動せよ」

「はっ」


 里守さとのかみと重丸が立ち上がり部屋を出ていく。その去り際、千紫は二人の背中に声をかけた。


「里守、重丸殿。胸が痛みましょうが、それなりに手荒な真似をしてくださいませ。あくまでも、助けるのではなく捕獲でございますれば」

「心得た」


 短く答え、二人は十兵衛と共に姿を消した。それを見送り、千紫はふうっと大きく息をついた。


 このような殺伐としたやり取りは本来得意とするところではない。が、得手不得手を言っている場合でもない。


 とにもかくにも六洞りくどう家が動いた。後は任せるしかない。


 それよりも、まだやるべきことがある。


「初音、」


 千紫は初音に向き直った。


「六洞家が動いた以上、藤花は戻ってくる。そこで、おまえに頼みがある。里の東の端に、誰にも使われていない古い屋敷があり、そこに藤花を住まわせようと考えている。彼女の身の回りの世話を頼みたい」

「それは、幽閉と考えてよろしいですか?」


 初音のトゲのある声に、千紫は小さく頷いた。


「生き残れば道がある。今はそれに賭けるしかない」

「……これが、あなた様にとっての最善の手にございますか?」


 初音が非難するような顔を千紫に向けた。他にも何か手だてはあったはすだと、その顔は言っていた。

 彼女は何も言い返すことができず、ただ頭を下げた。


「すまぬ。私の力不足じゃ」


 初音が力なく目をそらす。もう、話したくないと言った態度だった。

 折しも、部屋の外で声がした。


「千紫様、波瑠にございます」


 本当なら、今ここで「これが私の精一杯なのだ」と初音に時間をかけて訴えたい。しかし、彼女に許しを乞う行為は、ただただ自分が楽になりたいがためにしか過ぎず、そこに割く時間は千紫にはなかった。


 やることがまだまだ控えていた。


 だとすれば、もうこれ以上の言葉は必要ない。


「今、行く」


 千紫は毅然に顔を上げ立ち上がった。


「初音、ここで待て。後からしかるべき者に案内させる」


 そして彼女は、振り返ることなく初音を残して部屋を出た。

 向かうは、深芳が捕らわれている大広間である。




◇ ◇ ◇

 深芳は、影親かげちかや清影とともに大広間の一角に座らされていた。


 粗野な二つ鬼たちが、自分を舐め回すように見てはこそこそと話している様子が鬱陶うっとうしい。あちこちから聞こえていた怒号も叫び声も、ようやく静かになった。つまりは、終わったということなのだろう。


 影親は、落ち着きなく視線をあちこちにさ迷わせ、悔しそうに爪を噛んだかと思えば、物音にびくりと怯えている。その傍らで、清影が父親を気遣いつつも、生気のない表情のまま口を固く結んでいた。


 もういつ殺されてもおかしくない状況である。

 いや、自分は殺されることはないか。ふと冷静に深芳は思う。


 藤花と違い、影親かげちかの実子でないことは大きい。わざわざ殺す必要はなく、戦利品として旺知の慰み物になる方が現実味があった。


(それもいい)


 これはきっと天罰が下ったのだと深芳は思った。ほんの一時とはいえ、大切な友人を妬ましく思ったことに対して、彼女が消えた後、清影の隣でのうのうと笑い続けている自分に対して、月が与えた罰。


 とすれば、悪女らしいていで私は旺知と対峙するだけだ。男が自分のどこに見とれ、何に鼻の下を伸ばしているかは嫌というほど知っている。


 すると、遠くから荒々しい足音が近づいてきた。

 そしてそれは、あっという間に大広間にたどり着いたかと思うと、毛皮の陣羽織に派手な装飾が施された大太刀をいた九洞旺知が家元の小梶佐之助を引き連れて姿を見せた。


「これはこれは鬼伯、」


 旺知が大仰に頭を下げて笑った。


「ご無事で何より。荒くれ者が多いので、間違って殺されはしないかと心配しておりました」

「あ、あああ旺知!!!」


 影親かげちかがどもりながら金切り声を上げた。その声に深芳は思わず顔をそむける。身内とは言え、余裕のない男の声は嫌いなのだ。


 旺知がすかさず深芳の様子を見てとり、愉快げに鼻を鳴らした。


「そのようにお気持ちを乱されては、深芳姫が呆れておりますぞ」

「お、おまえは九洞を与えた恩も忘れっ、よくもこの儂に刃なんぞを向けおって──!」


 刹那、


「黙れ」


 旺知の横柄な声が影親の言葉を遮った。


「歌しか歌えぬ役立たずが」


 その表情を豹変させ、旺知が吐き捨てる。影親がびくりと震えて口をつぐみ、そんな彼の顔を、旺知は膝をついて覗き込んだ。


「もう、おまえは鬼伯ではない。ただの影親だ」

「な──」

「ああ、だが一つ、おまえに聞きたいことがあった」


 絶望で顔を引きつらせる影親に向かって旺知が一方的に話す。

 清影が横やりを入れようと口を開きかけたが、旺知のひと睨みであっけなく退けられた。


 旺知がすっと目を細め、心の中を覗き込むような顔をした。


「宝刀月影はどこにある?」

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