不義と不義(7)
今までずっと黙っていた初音が、
「先ほど、弟子殿は東に向かうと千紫様は言っておいででしたが、東が駄目なら、おそらく次は北に向かうと思われます」
その場にいた全員が初音に目を向けた。初音がはなはだ不本意だという顔で、しかし、迷いのない声で答えた。
「弟子殿はよく藤花様を北山に連れて行かれます。藤花様も北山に大きな
「それは、北山のどのあたりだ?」
重丸が初音に尋ねると、彼女は首を傾げた。
「はっきりとは分かりません。ただ……大きな岩の突き出た峡谷の話をよく聞きましてございます」
「それで十分だ。
「うむ。が、相手は弟子殿だ。それなりの手練れを集めねば。多少時間がかかるゆえ、ひとまず先鋒隊が必要になるな。とは言え、状況も掴めないところへ闇雲に兵を出すのは得策ではない。儂が目をかけて育ててきた大切な武者を失いかねん」
言って
「こちらから兵を出せと?」
「この件に関して、
里守を「駆け引き下手」と言ったのはいったい誰か。
これは、「
先鋒隊を六洞衆に任せようと考えていた千紫にとって、これは誤算だった。相手の情報が少ない先鋒は死ぬ危険が格段に高くなる。九洞の寄せ集めの武者たちならなおさらだ。
だからこそ、六洞衆が必要だった。彼ら相手なら百日紅兵衛は本気で戦えないだろうし、六洞衆が動いたことで戦意を失うかもしれない。そう、
そこにあえて、こちらに対し負担を求めてくるとは。九洞の兵を供物に差し出せと言っているようなものだ。
千紫は、ぎりっと奥歯を噛んだ。
「……最初の
「助かる」
それを受けて、千紫は誰もいないはずの部屋の外に声をかけた。
「……十兵衛、聞いておったな?」
障子戸がするりと開く。
「は、全て。聞き逃しはございません」
いけしゃあしゃあと、この男は。千紫は内心苦笑しつつ十兵衛に申し付けた。
「南庭におる適当な者を先鋒隊として向かわせよ。それとなく攻撃をしかけ、東から北へと追い込むのじゃ。間違っても自分達でどうにかしようなどとは思うな」
「承知いたしました」
「では、今からは
「はっ」
「里守、重丸殿。胸が痛みましょうが、それなりに手荒な真似をしてくださいませ。あくまでも、助けるのではなく捕獲でございますれば」
「心得た」
短く答え、二人は十兵衛と共に姿を消した。それを見送り、千紫はふうっと大きく息をついた。
このような殺伐としたやり取りは本来得意とするところではない。が、得手不得手を言っている場合でもない。
とにもかくにも
それよりも、まだやるべきことがある。
「初音、」
千紫は初音に向き直った。
「六洞家が動いた以上、藤花は戻ってくる。そこで、おまえに頼みがある。里の東の端に、誰にも使われていない古い屋敷があり、そこに藤花を住まわせようと考えている。彼女の身の回りの世話を頼みたい」
「それは、幽閉と考えてよろしいですか?」
初音のトゲのある声に、千紫は小さく頷いた。
「生き残れば道がある。今はそれに賭けるしかない」
「……これが、あなた様にとっての最善の手にございますか?」
初音が非難するような顔を千紫に向けた。他にも何か手だてはあったはすだと、その顔は言っていた。
彼女は何も言い返すことができず、ただ頭を下げた。
「すまぬ。私の力不足じゃ」
初音が力なく目をそらす。もう、話したくないと言った態度だった。
折しも、部屋の外で声がした。
「千紫様、波瑠にございます」
本当なら、今ここで「これが私の精一杯なのだ」と初音に時間をかけて訴えたい。しかし、彼女に許しを乞う行為は、ただただ自分が楽になりたいがためにしか過ぎず、そこに割く時間は千紫にはなかった。
やることがまだまだ控えていた。
だとすれば、もうこれ以上の言葉は必要ない。
「今、行く」
千紫は毅然に顔を上げ立ち上がった。
「初音、ここで待て。後からしかるべき者に案内させる」
そして彼女は、振り返ることなく初音を残して部屋を出た。
向かうは、深芳が捕らわれている大広間である。
◇ ◇ ◇
深芳は、
粗野な二つ鬼たちが、自分を舐め回すように見てはこそこそと話している様子が
影親は、落ち着きなく視線をあちこちにさ迷わせ、悔しそうに爪を噛んだかと思えば、物音にびくりと怯えている。その傍らで、清影が父親を気遣いつつも、生気のない表情のまま口を固く結んでいた。
もういつ殺されてもおかしくない状況である。
いや、自分は殺されることはないか。ふと冷静に深芳は思う。
藤花と違い、
(それもいい)
これはきっと天罰が下ったのだと深芳は思った。ほんの一時とはいえ、大切な友人を妬ましく思ったことに対して、彼女が消えた後、清影の隣でのうのうと笑い続けている自分に対して、月が与えた罰。
とすれば、悪女らしい
すると、遠くから荒々しい足音が近づいてきた。
そしてそれは、あっという間に大広間にたどり着いたかと思うと、毛皮の陣羽織に派手な装飾が施された大太刀を
「これはこれは鬼伯、」
旺知が大仰に頭を下げて笑った。
「ご無事で何より。荒くれ者が多いので、間違って殺されはしないかと心配しておりました」
「あ、あああ旺知!!!」
旺知がすかさず深芳の様子を見てとり、愉快げに鼻を鳴らした。
「そのようにお気持ちを乱されては、深芳姫が呆れておりますぞ」
「お、おまえは九洞を与えた恩も忘れっ、よくもこの儂に刃なんぞを向けおって──!」
刹那、
「黙れ」
旺知の横柄な声が影親の言葉を遮った。
「歌しか歌えぬ役立たずが」
その表情を豹変させ、旺知が吐き捨てる。影親がびくりと震えて口をつぐみ、そんな彼の顔を、旺知は膝をついて覗き込んだ。
「もう、おまえは鬼伯ではない。ただの影親だ」
「な──」
「ああ、だが一つ、おまえに聞きたいことがあった」
絶望で顔を引きつらせる影親に向かって旺知が一方的に話す。
清影が横やりを入れようと口を開きかけたが、旺知のひと睨みであっけなく退けられた。
旺知がすっと目を細め、心の中を覗き込むような顔をした。
「宝刀月影はどこにある?」
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