不義と不義(6)

 千紫の登場に旺知は一瞬顔をしかめたが、怒り出すことはなかった。

 むしろ、混乱の中であっても的確に状況を見定める千紫の進言を聞き入れた。しかし、その顔は不本意な様子ではあったが。


 千紫は、まず藤花を手元に置いておくことが得策と進言し、その奪還を一任された。次に、影親かげちかと清影を殺さないよう釘を刺しつつ、深芳を自分預かりにすることをおねだりした。


 成旺しげあきには「旺知の戦利品とすればいい」と言われたが、それだけは我慢ならない。


 旺知は、千紫のおねだりもすんなり許した。もともと、女を物としか考えておらず、女同士のねたみやひがみをうるさがる嫌いがある。珍しく千紫が女独特の嫉妬深い顔を見せたことが、興ざめした一因だったようだ。


 旺知は、深芳の処遇について「好きにしろ」と言い残し、鬼伯の捕らえられた大広間へ去って行った。


「さあ、時間がない。急ごうか」


 旺知を見送った後、千紫の顔から女の色が抜け落ちた。

 今から、あの大妖狐の弟子を生け捕りにするのだ。


 兵衛が逃げるなら東だ、と千紫は思った。

 理由は単純だ。百日紅兵衛は六洞りくどう重丸と仲がいい。御前会でこそひと悶着あった二人だが、その後は武を通して交流があると波瑠から聞いていた。


 里中の御化筋おばけすじは普段から閉鎖されており六洞りくどう衆が守っている。ここを無理に押し通るとなると、彼らとの衝突は避けられない。

 兵衛と重丸の仲を考えたとき、それは避けるだろうと思われた。となれば、古くなっているとはいえ、逃げるだけなら一番近い東の筋を使うはずである。


(しかし、)


 この予測だけでは逃げられる。確実に相手を追い込むための、もう一手が欲しい。


 脇に控える指揮官らしき二つ鬼は、何から始めればいいか分からないといった様子だ。


 千紫は内心嘆息しつつ、六洞りくどう家当主と息子の重丸を呼び寄せることと周辺の山の状況を調べることを指示した。


 それから千紫は南庭で群れる二つ鬼たちを鼓舞し、士気を上げる。山の捜索には頭数がいる。ある種の興奮状態にしておいた方が兵は使いやすい。これは、成旺の受け売りだ。


 そして、鬼兵たちの気持ちをまとめたところで、千紫は一人の侍女に鋭い視線を向けた。


「初音、立て」


 千紫の呼びかけに、藤花付きの侍女、初音が顔をこわばらせて立ち上がった。


「おまえにはいろいろと聞きたい事がある。一緒に来い」


 言って千紫は初音をぎゅっと見据えた。初音がそろそろと影霊殿に上がってくる。それを確認して、彼女はさっと踵を返した。

 そして、伝令役とするために、すぐそばに立つ家元らしき武具を身に付けた二つ鬼に適当に声をかけた。


「そこな、名はなんと申す?」

下野しもつけ十兵衛じゅうべえと申します」

下野しもつけ──」


 偶然にも与平の主だ。同時に、ひょろりとか細い容貌に千紫は驚いた。

 あの与平の主なのだから、もっと屈強な鬼を想像していた。

 しかし目の前の鬼は無無理やり参加させられたのかと思うほどの頼りなさだ。千紫は彼に尋ねた。


「失礼だが、武を得意とするようにも見えぬ。なぜ、この場に加わっておる」

「大した理由ではございません。この目で事実を見るためにございます。後は、まあ、今後の立ち回りのことも考えて」


 最後はのらりくらりとした口調で十兵衛は締めくくる。

 思いもよらぬ答えが返ってきて、千紫は思わず笑みをこぼした。与平といい、この下野しもつけ十兵衛といい、寄せ集めの鬼の中に面白いのが紛れ込んでいる。そして、今日の私は出会い運がいい。


「十兵衛、おまえの与平をしばし借りておる」


 そう十兵衛に告げれば、気のない口調で「はあ」と返ってきた。


「一方的な戦いに嫌気が差し、大義もくそもないと言うて帰ってしまい、どうしたもんかと思っていたのですが。うちの家臣はどれも勝手で」

「良い、途中で私が拾ったのじゃ。与平には、その大義もくそもない残党の後始末を頼んでおる」

「これはまた、味方の者を残党とは。九洞くど様にどうご説明さるので?」


 十兵衛が余所よそ事のように言った。その動じない物言いが千紫は大いに気に入った。


「それより、おまえには私の指示を伝える役を頼みたい。できるか?」

「は。承りましてございます」

「では、おまえも一緒に来い」


 言って千紫は、十兵衛と初音を連れて歩き出した。


 千紫は影霊殿からほど近い適当な部屋を見つけて入ると、自分の鬼火で燭台に火を付けた。


「十兵衛、里守さとのかみが到着したらここに通せ」

「分かりました。しかし、話し合いを拒否されましたらどうします?」

「伏見谷の猿が藤花を連れて逃げた件も伝えよ。大丈夫、話し合いに臨むはずじゃ」


 すかさず千紫が答えた。そのために波瑠を通じて根回しもしてある。ことここに及んでは、彼らも話し合いに応じない訳にはいかないだろう。


「あと、六洞家以外は誰も通すな」

「……九洞様もで?」


 十兵衛がこちらの腹を探るような目を向ける。

 この場面でこちらを試すような真似をするとは──。

 やはり曲者くせものだと思いつつ千紫は彼に笑い返した。


「そこはおまえの判断に任せる」

それがしの?」

「うむ」


 千紫が頷くと、十兵衛はにやりと面白そうに笑った。


 初音と共に部屋に入ると、彼女は侍女らしく入り口付近に座った。

 表情は堅いが、その目は決して怯えてはいない。主である藤花を守ると覚悟した目だ。


 この状況で素直に口を開くとは思えない。それに、全員まとめて話をした方が手間がかからない。千紫自身も下座に着いて、黙って六洞りくどう親子の到着を待った。


 息が詰まるような沈黙の中、しばらくして、十兵衛の案内で里守さとのかみと息子の六洞重丸が現れた。首に翡翠の飾りが付いた鋼輪、胸に鉄の板を身に付けている。六洞りくどう家特有の武者装束だ。


 千紫は深く平伏し、六洞親子を上座へ促す。ぎょろりとした目のいかつい顔をした鬼武者二人が荒々しく腰を下ろした。


「千紫殿、まずは事の次第を手短に説明願おう」


 里守さとのかみが穏やかではあるが、決して嘘を許さない口調で千紫に言った。


 千紫は、ゆっくりと顔を上げた。


「書状に記した通り、我が夫九洞くど旺知あきとも、思うところにより謀反にございます。お二方様には、感情的にならず冷静なご判断をお願いする所存でした。しかし──、伏見谷の百日紅兵衛とともに藤花姫が逃亡したよし、あらためて二人の捕獲をお願いしたく」

「なぜ我らが? そこもとでされるが良い。九洞家の不始末であろう?」

「私は、助けたいのです」


 千紫は必死に里守さとのかみに訴えた。


「深芳は私の大切な友人、藤花は妹同然の存在。しかし、旺知の気性はご存知の通りです。気に入らなければ、全てを斬り捨ててしまいかねない。西の領境では、今でも小競り合いが続き、伏見谷と事を構える余裕などありません。雌雄が決した今、無駄な争いはせず、速やかに混乱を収拾することが月夜のためと考えます」 

「混乱の元凶もとが言うか──!」


 重丸が鼻で笑った。

 里守さともりが息子を制止し、千紫に問いかける。


「なぜ、旺知をお止めにならず、このような回りくどいことを?」

「……私が旺知に許されているのは、おねだりと進言のみ。それ以上の力はございません。どれだけ知恵を絞り進言しようとも、旺知の気分一つで全てが変わります」

「ではなぜ、九洞殿の動きをもう少し早く教えてくださらなかった。さすれば、手の打ちようもあった」

「伯家はもはや洞家をまとめる力も月夜を導く知恵もございません」


 千紫がこわばった声ではあるが、はっきりと答えた。


「早かれ遅かれ、こうなる運命にございます。事は起こるべくして起こり、伯座は奪われるべくして奪われた。しかし、これ以上の犠牲は無用にございます。どうか、六洞りくどうの力をお貸しください」


 二人が押し黙った。長い長い沈黙が続く。

 と、その時、


「あの──」


 沈黙を破ったのは、入り口付近に控える初音だった。

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