不義と不義(5)

 鬼武者が野卑な顔を怒りで歪めた。


「せっかくのお楽しみを邪魔しおって。それは──、どこの姫御じゃ。おまえのか?」

「控えろ。九洞様の奥方様だ」

「……奥方だと?」


 与平が言い返すと、男は疑わしげに千紫を見た。それから今度は、大仰に鼻を鳴らした。


「儂は九洞家と共に伯家を倒すためにここに来た。奥方であれば、労をねぎらうのが筋というもの。あの女は報償のようなものじゃ」

「……女に対する狼藉を報償とな」


 このような賊まがいの輩に御座所おわすところを襲わせたとは──。

 千紫は男を睨みつつ、傍らに並び立つ与平に言った。


「与平、おまえは腕に覚えがあると言っていたな」

「は、」

「九洞家は謀反を働いておるが野盗ではない。この者は、此度こたびの混乱に紛れ込んだただの野盗じゃ。始末せよ」

「はっ!」


 与平が険しい顔で刀を構える。途端に男が怯んだ。


「おおおま、そっ、そんな勝手なことをして、九洞様が許すわけ──」

「私が許す」


 感情の消えた冷たい声で千紫が言った。刹那、与平が刀を振り上げ男に斬りかかった。

 男が大慌てで与平の刀を受ける。しかし、与平は事も無げにそれをぎ払うとそのまま男を両断した。返す刀で首をはねる。

 頭を失った体がどすっと雪の積もった地面に横たわった。流れ出る血が雪を赤く染めているのかもしれないが、灯りの乏しいここではそれも見てとれない。


「うむ。その腕に偽りはないようじゃの」

「は、」


 しかばねの傍らにひざまずいて与平が頭を下げた。千紫は彼に立ち上がるよう促しながら、雪乃に介抱されている侍女の元へ歩み寄った。


「障りないか?」


 一つ角の女は、震えながら顔を背ける。怒りと戸惑いがないまぜになったような顔だ。

 無理もない。奥院を襲った者に助けられても、ならば最初から襲うなという気持ちになる。


「与平、彼女を助けたいが、私も先に進みたい。ひとまず彼女をかくまえるような安全な場所はあるか?」

「今、この御座所おわすところに安全な場所と言われても……。むしろ、部屋はいくつもありますので、下手に動き回るより部屋の隅にでも隠れていた方が安全です」


 言って与平は、すぐ脇の部屋に入り、そこにある几帳などの調度品をがたがたと動かして乱雑に並べた。


「この物影に隠れているが良いでしょう。ぱっと見、荒らされた後の部屋にしか見えません」

「分かった。では、私は先に行くゆえ、与平は彼女がこれ以上怖い思いをしないよう守って欲しい」

「なりません、千紫様。私めが残ります」


 すかさず雪乃が口を挟んだ。


「気がたかぶっている輩が、他にも大勢いましょう。与平殿なしでは危険です」

「問題ない。いざとなれば、なんとでもなる」

「畏れながら──」


 今度は与平が口を挟む。


「ここに私を残して行けば、奥方様の気は済むかもしれません。しかし、泣いている女はこの者一人ではありません。どうか、冷静にご判断を」


 二人にたしなめられ、千紫は奥歯を噛みしめる。確かにこれは、与平の言う通り、自分の満足を得るための判断だ。


(私の判断の一つ一つが、御座所おわすところの行く末を決める──)


 千紫は大きく深呼吸すると、雪乃を見た。


「すまぬ。では雪乃、彼女を頼む。すぐに誰かをよこす」

「承知いたしました」


 雪乃がにこりと笑って頷いた。

 千紫は、さっと踵を返すと進むべき前を見据えた。


「さあ、行こう。時間が惜しい」

「はっ」


 雪乃たちを残して、千紫と与平は再び歩き始めた。


 二人は足早に廊下を進む。御座所はまだまだ混乱しており、武装した鬼たちがあちこちで入り乱れていた。しかし、そのほとんどが二つ鬼で、大勢たいせいはほぼ決まったと言っていい。


 千紫は、与平が上手く立ち回ってくれたこともあり、その後はすんなりと先に進むことができた。影霊殿に近づくにつれ、見知った顔にも出会い、危険を感じることもなくなった。


 すると、もう影霊殿に着くという所で、脇の廊下から小梶こかじ佐之助さのすけが慌てた様子で飛び出して来て、千紫たちと出くわした。


「おっ、奥方様?!」


 血相を変えた佐之助がさらに顔を青くさせた。


「なぜ、ここに?」

「私がいたら不都合か?」


 千紫が皮肉げに笑うと、佐之助は「滅相もない」と首を左右に振った。


「突然のことで、驚いただけにございます。このような危険な所へ──」

「そこな下野しもつけ十兵衛が従臣、与平が案内してれた」


 さらりと千紫が言い返すと、佐之助が苦々しい目を与平に向けた。余計なことをしてくれたと言わんばかりだ。


 千紫は、そんな佐之助を鋭く睨んだ。


「えらく慌てておるな。どうした?」

「……取り急ぎ九洞様にお伝えしたいことがあり、いえ、大したことではありませんが……」


 大したことがないと言う割りには歯切れが悪い。


「なんじゃ? 歩きながら聞こう」


 与平について来いと目配せしつつ千紫は佐之助とともに歩き出した。佐之助は、躊躇ためらいがちに、しかし最後は諦めた様子でぼそりと答えた。


「鬼伯、伯子、深芳姫は捕らえたのでございますが、賊とともに末姫が逃亡いたしました」

「賊?」

「誰か分かりません。が、鬼ではありません」

「なんと──」


 千紫は、思わず眉根を寄せて歯噛みした。

 賊が誰であるかはすぐに察しがついた。と言うより、藤花を連れ去る理由を持つ者など一人しかいない。人の国、伏見谷の百日紅さるすべり兵衛ひょうえだ。


(浅慮な──!)


 この状況で連れ去るなどと無謀すぎる。下手をすれば殺される。いや、旺知の気性を考えれば、確実に殺される。


(なんとしてでも連れ戻さねばならぬ)


 旺知に藤花を殺させないよう算段していた千紫にとって、彼女の逃亡は誤算だった。


 そうこうしているうちに千紫は影霊殿に着いた。回廊から殿の正面に向かうと、広い南庭が見えてきた。雪が一面に降り積もるそこに、侍女衆が集められている。


 と、その中央、奥頭の八洞やとが胸から血を流して絶命していた。


(見せしめに八洞やと様を殺したのか?!)


 滅多と会うことはなかったが、彼女は数少ない話の通じる者だ。千紫は胸が詰まる思いだった。

 そして、その南庭に続く階段の途中に旺知の後ろ姿が見えた。


「佐之助、旦那様に報告を。私は頃合いを見てご挨拶をする」


 ふと千紫は立ち止まり、佐之助一人で行くように促す。佐之助はさして不審がることなく、むしろ好都合だといった様子で旺知の元へと駆け寄った。


 その後ろ姿を見つつ、次に千紫はさっと与平に向き直った。


「与平、もう私は大丈夫じゃ。このままとって返し、雪乃たちを頼む」

「承知いたしました」

「あと、」

「?」

「この戦いの意味を理解せず、悪さをしておる者がまだおるやもしれぬ。無益な殺生、物盗り、女に対する乱暴、全て私の名のもと斬り捨てよ。この謀反をただの狼藉にしてはならぬ」

「しかし、中には家元や綱役などの役職の者もおりますが」

「かまわぬ。そのような輩は、どの道この先もいらぬ」

「はっ」


 与平がにやりと笑って頭を下げる。そして彼は身を翻して奥へと姿を消した。


 南庭の階段では、藤花逃亡の報を聞いた旺知が激昂していた。

 集めた侍女を全員殺せと言い出し、さすがの佐之助もにわかに返事ができないでいる。


「何をしている。早くしろ!!」


 旺知の苛立つ声が響いた。


 そんな非道ことをさせるわけにはいかない。


「お待ちくださいませ」


 千紫はあえて穏やかな声で旺知に呼びかけた。


 さあ、自我を通す一筋の道を作るため、そして自身の運命に抗うため、戦うときが来た。

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