不義と不義(4)

 何やらざわざわとした空気に千紫は目が覚めた。

 珍しく今日は、旺知はこちらに渡ることもなく早々に寝てしまった。それならと、こちらも早々に寝床に就いたところだった。


 二刻ふたときほど経っているだろうか。耳を澄ますと、明らかに遠くで誰かの話し声や行き交う足音がした。


 こんな夜更けに何を?


 そう思い、千紫が雪乃を呼び出そうと思った時、廊下で雪乃の押し殺した声がした。


「千紫様、夜遅く申し訳ありません」

「……起きておる。どうした?」


 障子戸がすっと開き、緊張した面持ちの雪乃が頭を下げた。その後ろに波瑠も控えている。二人は素早く部屋に入ると、ぴしゃりと戸を閉めた。


「旺知様、謀反にございます」

「動いたか!」


 思わず千紫は腰を浮かせた。

 ここ最近、九尾が姿を見せないという報告は受けていた。季節は冬、もともと姿を見せなくなる時期であり、それ自体は不自然ではない。

 ただ、伏見谷の状況を調べさせた波瑠の仲間の男によれば、谷はひっそりと閉じた状態であるという。


 まあ、それさえも成旺しげあきの予測がなければ、気にも止めない程度であるが。


 千紫は燭台に火を灯し文机に向かうと、紙を取り出した。素早く筆を走らせながら、「状況は?」と問いかける。


 雪乃に代わって、今度は波瑠が進み出た。


「旺知様にくみする家元を中心とした二つ鬼たちが小梶こかじ佐之助さのすけの家に集まっております。すでに旺知様とも合流し、御座所おわすところに向かって出発いたしました。今、この九洞くど邸にいる男は、留守を任された数人と雑用をまとめる下男ぐらいなものです」

「小梶家に集まった数は?」

「ゆうに五百は越えるかと」

「それだけおれば、占拠は容易たやすいの」


 御座所おわすところの夜の警護はせいぜい百ほど。

 分が悪いと思えば投降する者もいるだろう。そして旺知が今日、この日に動いたということは。


「今宵は六洞りくどう衆の非番の日じゃ。激しい抵抗に合うことがなければ御座所おわすところはすぐに落ちる。波瑠、これを六洞家の里守さとのかみへ渡るよう手配を頼む。すでに里の異変に気づいておるやもしれぬ」


 千紫は書状を波瑠に手渡した。これで六洞家がこちらにつくかどうかは賭けである。が、里守さとのかみは実直な性格で駆け引き下手だと言われている。だとすれば、素直に心情に訴えれば可能はある。


「できるか、波瑠?」

「おまかせください」

「では、私は御座所おわすところ影霊殿へ向かう」

「影霊殿、ですか?」


 御座所で最も格式のある場所──、さすがの波瑠もごくりと生唾を飲む。千紫がしたり顔で笑った。


「おそらく旺知は、影霊殿に陣取るはず。なぜなら、あそこが一番分かりやすい」

「なるほど、」

「よし、では行け」


 波瑠が小さく頷き、身を翻して部屋を出ていく。それを見送ってから、千紫は雪乃に言った。


「今から奥院へ向かう。申し訳ないが、おまえも一緒に来てほしい。網代車くるまを大急ぎ用意させよ」


 千紫はきゅっと顔を引き締めた。



 千紫は半刻ほどで御座所に着いた。

 あやかしと言えど、誰もが式神を使える訳でもなく、特別な足はない。そして、身分の高い者ほど、ゆっくりと非効率な物に乗りたがる。


 当然、九洞家にも千紫が乗れるような空馬の類いはおらず、彼女は車につながれた牛(人の国の牛よりは、これでも余程早いのだが、)を飛ばすしかなかった。


 御座所に到着すると、普段は固く閉じられている大礼たいれい門は大きく開け放たれ、警護の者もいない。半蔀はじとみの物見窓から様子を窺えば、遠くで怒号や叫び声が聞こえた。


 従者が車の中の千紫に声をかける。


「千紫様、いかがいたしましょう。このまま大礼門を通れば、影霊殿に最も近うございます」

「いや、ならぬ。この門は伯家以外通ることはできぬ。私は、旺知様が開け放ったこの門を再び固く閉ざすためにきた。万洞ばんどう門へ回れ」

「承知いたしました」


 車が方向を変えて万洞門へと向かう。そして、万洞門の車寄せに到着すると、千紫は雪乃を従えて車から降りた。


「行こう、雪乃。ここから先は戦場いくさばと心得よ」

「はい」


 そして二人がまずは大入間おおいりまへ向かおうとしたその時、刀を持った二つ鬼がどこからともなく現れた。


「おいっ、止まれ!」


 殺気立つ男の刃がぎらりと千紫に向けられた。


「このような夜更けに──。女、おまえは何者だ?」


 二つ鬼の武者は刀の切っ先を千紫に向け、千紫と雪乃を睨んだ。千紫がふうっとため息をつく。


 この混乱の中、すんなり旺知にたどり着くとは思っていなかったが、せめて見知った顔に出会いたかった。目の前の男は、話が通じる者かどうか分からない。

 

 日に焼けた浅黒い肌の男は、千紫と雪乃の衣服と頭の角をじろじろ見てから、押し殺した声で言った。


「どこぞの洞家か家元の姫君とお見受けする。ここに来た理由は聞かぬ。そのまま踵を返し帰られよ。この先の命の保証はできない」


 だ。千紫は、この幸運に思わず笑みがこぼれた。


「私は九洞くど旺知あきともは妻、千紫。旦那様の元へ案内せよ」

「九洞様の奥方様……?」


 男はさあっと青ざめた。そして慌てた様子で刀を下ろすと、彼はそのままひざまずいた。


「たっ、大変失礼を!」

「この非常時だ、よい。名は?」

「儂は下野しもつけ家従臣、与平と申します」

「では、与平。旺知様は今、どこにいらっしゃる?」

「おそらく影霊殿かと思われます。捕らえた奥院の者全て、影霊殿に集められておりますので」


 やはり、思った通り影霊殿だ。千紫は小さく頷くと、与平に命じた。


「旺知様にお会いしたい。与平、案内せよ」


 すると与平はすぐに立ち上がろうとせず、躊躇ためらいがちに口を開いた。


「畏れながら申し上げます」

「なんぞ?」

「儂は里中の卑しい出ではありますが、腕に覚えがあり、夢は六洞家に召し抱えられることです。とはいえ、当然ながら洞家とはなんの縁もない身なので、まずは家元の下野しもつけ家に仕えた次第です。此度こたび、二つ鬼をないがしろにする一族を排除するために必要な戦いだと聞いて、主である十兵衛と共に参りました。しかし、たどり着いた場所は御座所おわすところ、相手は鬼伯。ことここに及び、この暴挙に疑問を感じ、抜け出そうとしていたところです」

「……暴挙か」

「丸腰の戦う気もない者を殺め、女に乱暴を働くは暴挙にございます」


 与平がまっすぐに千紫を見つめる。彼女は、その濁りのない瞳を捉えながら小さく頷き返した。


「よう言うた。ならば与平、一刻も早く私を案内せよ。これ以上の暴挙とならぬよう旺知様へ進言する」

「奥方様であれば止めることが可能でしょうか?」

「分からぬ。しかし、やるしかなかろう?」

「承知いたしました」


 与平は小さく頭を下げると、さっと立ち上がった。そして、くるりと踵を返して千紫の前を歩き始めた。


 しばらく長い廊下を歩く。相変わらず、怒号や叫び声が遠くから聞こえてきた。千紫は、先を歩く与平に尋ねた。


「状況はどうなっている?」

「さしたる抵抗もなく、一方的な戦いでした。奥院は、ほぼ掌握したと思います。あとは、鬼伯、伯子、二人の姫を捕らえるだけではないかと──、お待ちください」


 突然、与平が立ち止まり、片手で千紫たちを制止する。ふと、庭の低木の影から呻き声と荒々しい息づかいが聞こえた。


 なんだ? 千紫が眉をひそめ様子を窺ったその時、与平が「やめろ!」と大声を出した。


 低木の影がびくりと動き、のそりと二つ角の鬼武者が低木から姿を表す。刹那、今度はそこから衣服を剥がされた侍女らしき女が、涙でぐちゃぐちゃになった顔を恐怖で歪め、髪を振り乱しながら飛び出してきた。


 このどさくさに紛れて、女に乱暴を──。同じ女の身として、そして男に奪われている者として、千紫は怒りで震えた。


「──雪乃!」

「はいっ」


 雪乃が素早く女に駆け寄り彼女を抱き止める。一方、邪魔をされた鬼武者は、みっともなくはだけた衣服をふてぶてしく直しながら不機嫌そうに与平と千紫を睨んだ。

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