不義と不義(3)

 成旺は交わりの時でさえ穏やかだ。

 乱暴に押し入ってくることも、こちらの嫌がる行為を強要することもない。静かに優しく千紫の心と体を解きほぐしていく。

 千紫は、成旺が体の中にゆっくり入ってくるのを感じながら、例えようもない悦びに身をよじらせた。


 愛されるとは、くも幸せなことなのか。


 千紫は今、幸せだった。


 成旺と愛し合った後、ぼんやりと彼に抱かれながら甘い余韻に浸る。ほんの僅かな時間しかないのがたまらなく寂しい。

 成旺が千紫の髪を撫で、頭の角に唇を寄せた。


「旺知はどうしている?」


「毎日のように宴席を。小梶こかじ佐之助さのすけが他の家元たちにも声をかけ、表面上はちょっとした宴席ではありますが、少しずつ九洞側につく者を増やしています。先日は、三洞さんどう五洞ごとの当主がやってきました。この二人は主な役職に就いておらず、鬼伯に対する不満が募っており、今や旺知の腰巾着です。ただ一つ、蟲使いを大人しくさせてくれたことは助かりました。悪童わんらが静かになったことで川の水も綺麗になります。そうすれば、奥院に対する不満も少しは収まりましょう」


「とは言え、時間稼ぎにしかならないな。今の伯には、洞家をまとめ上げるほどの器量はなかろう。従順なのは、実直な六洞りくどう家くらいか」


 成旺が冷静に評する。


が起きたときに備えて、先のことを考えておいた方がいい。六洞りくどうは守りの要、敵に回してはまずい。忠義心がなまじあるのも面倒だ。伯家と共倒れしてもらっては困る」

「心得ております。旺知にもそう進言しました。そしたら、」


 千紫が小さく鼻を鳴らしながら付け加えた。


「奥院の侍女をたらし込み、御座所おわすところの警護の情報を聞き出そうとしております。月に一度ほど、六洞りくどう衆が不在の日があるそうです。おそらく、そこを狙うつもりでしょう。ならば、この情報を六洞に伝え、旺知を返り討ちにすれば良いと思います。波瑠が六洞衆の一人と懇意となっております。波瑠づてに伝えることは可能かと」

「いや、」


 成旺がすかさず否定して、体を起こした。そして、傍らに脱ぎ捨てた衣服を拾い身にまとう。


「事は起きてもらわねばならぬ。影親かげちかには伯座から退いてもらおう」

「このまま見過ごせと?」


 千紫が続いて体を起こし、戸惑った顔を返した。成旺が今度は千紫に衣服を着せながら言い聞かせる。


「下手に小競り合いが起きては、双方の力をぐことになる。争いが長引けば被害も大きくなろう。今さら抵抗したところで、この流れは止められぬ。ならば、無駄な抵抗などさせず、一気に決着をつけた方が良い」

「しかしそれでは、奥院が──」

「千の大切な友人は、里一の美しさだと聞いているが?」

「ええ、はい」

「ならば、殺されまい。後妻の連れ子で実子でもない。戦利品となろう」

「戦利品……」


 思わず千紫は言葉に詰まる。もっともではあるが、思いもよらない成旺の冷徹な言葉に、思考がついていかない。


「彼女を戦利品になどさせたくありません。それに妹の藤花は実子です」

「藤花姫は、谷の盟約の重要な何かに関わっている可能性が高い。彼女を殺せば、いや、殺そうとすること自体が谷の怒りを買うかもしれない。殺すことは容易いが、このような時に谷と事を構える危険を考えると得策ではない」


 成旺の口調は変わらない。そして彼は、火鉢の中でちらちらと揺れる炭の火をじっと見つめた。


「西の領境は今でも小競り合いが続き、人の国と争っていては足元を掬われる。影親かげちかを伯座から引きずり下ろしたとて、旺知あきとも自身が正当な統治者として認められるかは別の話だ」

「しかし、争いは早急に収めねば北の領が混乱します」

「その通りだ。となると、宝刀月影を手に入れるのが、自らの正当性を示す最も早い手だ」

「月影……ですか?」


 話でしか聞いたことがない幻の刀。正統なる鬼伯の証し。

 娘となった深芳さえ見たことがないと言っていた。


「旺知に、谷の盟約や月影の話をちらつかせるがよい。そう簡単に誰も殺せまいよ。いずれにせよ、殺されなければ道が残される」


 成旺がしたり顔で笑った。




◇ ◇ ◇

 当然のことながら、それは突然に起こった。


 その夜、深芳は妹の藤花と遅くまで話をし、それから寝間へと戻った。ここ最近の御座所おわすところの空気は、冬の空と同じくどんよりしている。義父の影親は落ち着きがなくぴりぴりとしており、そんな鬼伯の気配を察してか、臣下の態度もよそよそしい。


 九尾の死を清影から聞いたのは、雪がちらつく冬のはじめ。今では、辺り一面が雪ですっかり覆われている。この全てを覆う隠す雪のように、大妖の死をひたすら隠し続けなければならない。


 あれほどの大きな存在の死を隠し通せるものだろうか。不安だけが深芳の中で募る。

 力の均衡が明らかに崩れている。これを元に戻す力もすべも、義父の影親かげちかは持ち合わせていない。清影もしかりだ。


 いくら隠し続けると言っても、いつかは明らかになる。その時にどうするか。何も講じられないでいる。


 伏見谷の百日紅さるすべり兵衛ひょうえは、落ち着いた様子だったと清影から聞いた。もしかしたら、谷の者にとって九尾の死はすでに予定されていたことなのではないか。そんな風にも思えた。


 今日は冬の空には珍しく月が見える。その分、空気が澄みきっていて身を切るような冷たさだ。なんとなく寝る気になれず、寝間着に替えることもせず深芳は火鉢の近くで薬草の本を読んでいた。


 ふいに、外の空気がざわざわと騒ぎ始める。

 深芳は読んでいた本をぱたりと閉じた。同時に、何者かの気配がし、なんの前触れもなく障子戸が乱暴に開いた。


 そして、そこに刀を持って武装した二つ鬼が複数立っていた。


 深芳はさして驚くこともなく突然現れた鬼武者たちを見上げた。透き通るような白い肌が、柔らかな灯りに照らされて乳白色に艶めく。


「何者か?」


 鬼武者たちは、冷静沈着にこちらを見つめる姫君に圧倒された。


 朱色の打掛にかかる緩やかにうねる栗色の髪、吸い込まれそうな切れ長の目にどきりとする。噂でしか聞いたことのない里一の美姫は、彼らの想像を遥かに上回る艶やかさだ。


 しばし見呆けてしまった彼らであったが、ややして、はっと我に返る。そして、慌てて顔を引き締めると、一番先頭の二つ鬼がずいっと前に進み出た。


「深芳姫だな?」

「私が尋ねておる。何者か?」

「うううるさいっ!」


 気圧けおされぎみの男が甲高い声を上げた。その汚い声色に深芳は眉をひそめる。余裕のない男の声は嫌いだ。


 深芳はすっと立ち上がり、うんざりとした様子でため息をついた。

 よもや、このような賊の手合いに奥院が攻め込まれるとは。


 刹那、闇夜を切り裂く叫び声と雄叫びが上がった。その声に後押しされたのか、鬼武者の態度が居丈高になった。男は深芳に向かって手を伸ばした。


「つべこべ言わずに来てもらおう。さあ!」

「触るな」


 深芳は、手を伸ばしかけた鬼武者を鋭く睨み返した。

 その艶をまとった鋭い視線に、彼女を取り囲む鬼たちは一様に怯んだ。深芳は、不機嫌に鼻を鳴らすと、自ら進んで廊下に出る。


「私を伯と伯子の元へ案内せよ」


 藤花が無茶な抵抗をしなければいいが。無鉄砲な妹を心配しつつ、深芳は騒然とし始めた廊下の先を無表情のまま見つめた。

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