秘め事(4)

 深芳が清影と「土を元気にする薬草」について話をしてから、半月が経った。今日は、地守つちのかみ四洞しどう直孝と二回目の話し合いの日である。


 御座所おわすところの執院では、地守つちのかみをはじめ里外の耕作に関わる面々が一室に集まり伯子である清影と相対していた。彼の傍らには義妹、深芳が控えている。


 地守つちのかみ以外、深芳と言葉を交わした者はおらず、そもそも里一の美しさと謳われる深芳の姿をこんなに間近で見た者もいない。紅梅の打掛は、透き通るような白い肌によく映える。切れ長の目を和ませ優美な笑みをたたえて座る姿は、人で言うところの天女のようだ。


 男達はそんな深芳の姿をちらちらと盗み見し、部屋は妙な緊張感に包まれていた。


「さて、」


 地守つちのかみが、軽い咳払いをしながらそわそわしている鬼達の注意を自身に集めた。


「今日は、先日からの土の穢れの問題について清影様からご提案があると」

「うむ。深芳、」

「はい」


 清影に促され深芳が話し始めた。


「遠峰に玉蒜たまひるという草がございます。臭いが少々きつうございますが、栄養があり、根も茎も葉も食べることができる優れた草です。こちらを細かく砕き、乾燥させ、土に混ぜれば、土が肥えまする。ひとまず、この草を使い土に力を与えれば良いかと思います」

「しかし、それだけでは土の穢れそのものはどうにもなりますまい。川の濁りをなんとかせねば」


 すかさず地守つちのかみが問い返す。深芳が落ち着いた様子で頷いた。


「はい。それについても考えがございます。現在、西の平野の中央を流れる大川は、北と西の山水が合流したものです。この二つの川の合流口に、水のたまり石を大量に撒いてみてはどうかと」

「水のたまり石──」


 地守つちのかみが「ふうむ」と考え込み、他の者たちは互いに目を見合わせた。


 水のたまり石とは、清らかな川で採取できる川の清浄な気そのものの塊だ。確かに、水のたまり石なら清浄効果があり、水の濁りには効く。


 しかし、川の中からそれらを直に見つけ出すことは難しい。大抵の場合は、川の水が含む収斂しゅうれんして石を取り出す。当然、収斂しゅうれんにはそれなりの技術が必要で、自身の気のり──つまり、気を自在に操ることができないといけない。


 鬼火なども、この気のりによるものだが、もともと霊気の高い鬼族きぞくは、無意識のうちに鬼火を繰り出している者も多く、気のりを意識している者はほとんどいない。この技術は、いわばあやかしに対抗するために編み出された人の国の技だ。


「水のたまり石を撒くとなれば、それなりの数が必要となる。しかし、収斂しゅうれんできる者は限られましょう。それは、どうなさるおつもりで?」

「調達は、伏見谷の九尾様にお願いしようかと思います」


 深芳がここぞとばかりに笑みを浮かべ、清影を見上げる。それを受けて、彼は言葉を引き継いだ。


「これは表立って話すことはできないが、伏見谷の奥に位置する泉には、龍神が住んでいる。龍に守られた清流は、それは清浄きれいだと聞く。また、谷には繭玉の気を持つ人間がおり、その者は水のたまり石を小石を掴むがごとく見つけるとか。泉に龍を呼ぶ際、我が父も協力をしたという経緯いきさつもあるし、伯家は谷と盟約を結ぶ間柄、九尾殿が協力を拒む理由はない」

「龍神が守る川の石──」


 地守つちのかみ四洞しどう直孝が高揚した顔で頷いた。この提案に心を動かされたようだった。清影は、「どうだろうか」と残りの面々を見回した。




 話し合いを終え、清影と深芳は奥院へ戻るために、渡殿を歩いていた。そして、伯家の私的な区域である奥院に入った時、先を行く清影がようやく振り返って深芳に声をかけた。


「深芳、ありがとう。助かった」

「私は、少しばかり草の話をしただけにございます」


 深芳は、はにかみながら清影に答えた。


 「水のたまり石」の話は、彼らの心を掴むには十分なもので、二人はなんとか地守つちのかみ達に、今後の方針について合意を取りつけることができた。ただし、伏見谷の泉に龍神が住んでいる話は内密とした。口止めをされているわけではないが、あまり九尾が話したがっていないことへの配慮だ。


 しかし手放しで喜ぶこともできない。ここ最近の川の濁りは、上流に何か原因があるであろうことは明らかで、最後はその話になった。

 つまりは、「山守やまのかみ九洞くど旺知あきともは何をしている?」という話だ。


 これについては、山の管理について旺知に問いただすことを清影が鬼伯に進言することとなった。しかし、旺知を鬼伯が御しきれていないことは明白で、それを考えると深芳は思わずため息が出た。


 今の伯家は九尾という後ろ楯がなければ、話し合いを進めることさえ難しい。これは憂慮すべき事態だ。


「すまんな、慣れない場に同席させて。疲れたであろう」


 ため息の意味を勘違いした清影が、申し訳なさそうに笑う。深芳は慌てて言いつくろった。


「いえ、自分で提案したものの、うまく行くか不安になりましたもので──」


 今の伯家に不安があるなどとは間違っても言えない。深芳は、ため息の理由をごまかした。そしてさりげなく、川の濁りの話へと持っていく。


「最終的には川の濁りをなんとかせねばなりません」

「分かっている」

「山を──、一時的にでも父上様の直轄にはできないものでしょうか?」

「旺知がなんと言うかな……」

「しかし、九洞殿に山を任せたは父上様にございます。その父上様が任を解くことになんの不都合がありましょう」


 清影が苦々しく押し黙る。その表情が「ことはそんな単純ではないのだ」と言っていた。深芳にしても、山守やまのかみ解任で旺知との軋轢あつれきが生じることは承知している。だとしても、ここは押し通すしかないと思うのだ。


「兄上様、」

「きっとうまくいく」


 さらに言い募ろうとする深芳の言葉を清影が遮った。そして彼は、戸惑いを見せる義妹の肩を優しく撫でた。


「それでも駄目なときは、最後は私が歌おうと思う」


 きっぱりとした口調で清影は言った。


月詞つきことを歌うことが、我ら伯家の存在意義だと思うておる。父上は渋るかもしれんが、なんとか説得をする。おまえの言いたいことは分かるが、今は、旺知あきともとの衝突はできれば避けたい」


 例えば清影が伯子でなかったら、と思う。ことここに及んでは、月詞つきことを歌うことさえも、問題を先伸ばししているに過ぎない。


 しかし、分かっていながら核心に切り込めないでいる。真面目で優しすぎる義兄、ただの鬼ならここまで苦労をしなかったものを。


 深芳は肩に置かれた清影の手をぎゅっと握り返した。


「……私も、兄上様が歌うが良いと思います」

「そうか」


 清影がほっと顔を和ませる。そして彼は、さりげなく深芳の手を解くと、優しく笑って再び歩き始めた。数歩離れて深芳が後に続く。この距離が、今の二人の距離である。


 千紫が去り、お互い心に大きな穴が空いた。しかし、だからと言って、その穴を埋めるために二人が距離を縮めることはなかった。こうして距離を保ちながら、家族として寄り添い合っていくのだろう。


 でも、それでいい。縮める必要など、どこにもない。

 なぜなら、もう十分に幸せなのだから。


 深芳は自分に言い聞かせた。そして同時に、意に反して九洞旺知の妻となった千紫のことを思い出す。


 千紫は今の私の姿をどう思うだろうか。


 この幸せは、彼女の犠牲の上にある。分かっていてなお、私は兄の傍らに立って笑うのだ。


 なんと浅ましい女か。深芳は自嘲的に口の端を歪めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る