秘め事(2)

 千紫は、先日波瑠に教えられた通りに屋敷での仕事をこなしていった。

 慣れない家事で多少手間取りながらも、それでも前回よりはずっと手際が良くなった。これも波瑠の指導のおかげである。


 そして屋敷の仕事も食事の準備を残すのみとなった。食事の準備は、時間がなかった時はしなくてもいいと波瑠から言われていたが、そんな訳にはいかないと千紫は思っていた。


 日々の食事が芋だけでいいはずがない。


 さっそく芋を茹でながら、その傍らで獅子唐や茄子、そして鳥の肉を火鉢で焼いていく。香ばしい匂いが土間を包み、それだけで千紫はお腹が満たされる気持ちになった。


 出来上がったものに塩をかける。茄子を一つ口に入れてみた。茄子と塩の素朴な味がした。


美味おいしい」


 いそいそと皿に並べて串を刺す。先日の芋だけの食事よりずっと豪華に見えた。


「喜んで食べてくれるだろうか」


 それとも、なんの頓着もなく口に入れるだろうか。期待と不安が入り混じる。

 千紫は、おそるおそる成旺しげあきの元へ食事を持って行った。


「食事をお持ちしました」

「ん」


 成旺は相も変わらず顔さえ上げない。

 先程うるさがられたこともあり、千紫は黙って彼の傍らに皿を置いた。


 無造作に成旺の手が伸びて、芋の刺さった串を手に取った。先端に刺さった芋をひょいと頬張ると、もぐもぐと口を動かす。


 そして今度は、獅子唐の串を持つ。


 じっと様子を見守る千紫の前で、成旺しげあきは獅子唐をひょいと口に放り込んだ。芋と同様、もぐもぐと口を動かす。


 しかし、すぐにその表情が驚きのそれに変わった。


 何か不思議なことが起こったかのように、まずは手に持つ串を眺め、それから皿に視線が移った。そして、芋以外にあれこれと並べられた串刺しを見て、成旺はようやく千紫に顔を向けた。


「これは、そなたが作ったのか?」

「はい」

「うん、美味うまい。悪くない」

「良かった。では次から芋以外の物もご用意いたします」


 褒められたことが嬉しくて、千紫ははにかみながら答えた。成旺しげあきがそんな彼女を見て、目を細めて笑った。


「先日貸した本はどうした?」

「はい、大変面白うございました。思うところがいろいろありましが、分からない点も少し……」

「もう読んだのか」

「はい。それと、お借りした本とは別に教えていただきたいことが。以前、読んだもので、内容が難しく読むのを諦めてしたまった本を持ってきました。成旺しげあき様であればご教示いただけるかと思って。人の国の貨幣制度についての本なのですが、貨幣と人の営みとの関係や、作物の売り買いにどのように影響をするかなどが、分からない言葉も多く──」


 千紫が一気に話し始めると、成旺しげあきが片手でそれを制止した。千紫は、はっと口をつぐむ。また話し過ぎてしまったと恥ずかしくなった。


 成旺が「ふうむ」と思案顔になり、手元の本をぱたりと閉じる。


「まだ時間はあるのか? あるのであれば、それもこれもまとめて聞こう。貸した本と、持ってきた本と、どちらも持ってきなさい」

「はいっ」


 千紫は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。時間はある。なぜなら、今日はこのために来たのだから。


(そう、このために来た)


 あらためて自分の気持ちを繰り返す。そこで初めて、千紫は自分が思っている以上に浮かれていることに気がついた。




 九洞邸に帰ってきた千紫は、部屋で新たに借りてきた本を一人抱き締めていた。

 本には銀杏いちょうの葉が一枚挟まれている。成旺しげあきが、「まずはここを読んでみなさい」と色鮮やかな黄色い銀杏を目印に挟んでくれた。なんとおもむきのある目印だろうと、千紫は心ざわめく。


 穏やかで博学で、弟旺知あきともとは似ても似つかない。似ているのは、その面差しだけだ。なし者でなければ、九洞家はきっと彼が継いでいたに違いない。


「失礼いたします」


 廊下で波瑠の声がした。千紫は慌てて本を脇へと追いやると、居ずまいを正して「入れ」と返事をした。


 九洞邸に戻ってくると、波瑠は出かけていなかった。

 他の侍女から「千紫様の用事で出ていったきりまだ帰りません」と伝えられた。彼女に用事を頼んだ覚えはない。しかし、外に出る必要があったのだろうと判断し、「ちょっと面倒なことを頼んだ」と、とっさに口裏を合わせておいたのだ。


「今日はお疲れさまでした」


 波瑠がお茶を持って部屋の中へと入ってきた。


「ありがとう。先日、波瑠にいろいろ教えてもらったゆえ、今日は要領良くできた」

「それは良かった」


 波瑠が笑った。それから彼女は、周囲の様子を窺ってから障子戸を静かに閉めると、千紫の元へにじり寄った。


「昼間の蟲使いの件でお話ししたいことが」

「何か分かったかえ?」

「はい」


 声をひそめ、波瑠が頷く。千紫が先を促すと、彼女はさらに声をひそめた。


「今年の夏、北山で九尾様が大暴れしたことはご存じでしょうか。ちょうど、千紫様の宵臥よいぶしの話が上がった時分です」

「知っている。私が奥院を訪れた日じゃ。私と入れ違いに、九尾様の弟子殿──、百日紅さるすべり兵衛が奥院に担ぎ込まれて大騒ぎになったそうな。後から、悪童わんらが弟子殿を襲い、それを助けに来た九尾様が北山一体を焼き払ったと聞いた」

「その一件のことだと思われることを、旦那様と蟲使いが話しておりました」

「それは確かかえ?」

「耳に残った言葉は、北山、悪童わんら、猿と九尾。そして、『邪魔が入らなければ』と」

「ふむ……」


 千紫は思案顔で頷いた。


 北山の一件は、他人事ながらどうにも合点がいっていなかった。御前会で兵衛の強さを目の当たりにし、あのような男がなぜ集団で襲うとは言え、悪童わんらごときに遅れをとったのか。


 噂では蠱毒こどくの矢にやられたからだと聞いたが、それを聞いてますます腑に落ちなかった。悪童わんらが蠱毒を作れる訳がないからだ。


「そもそも、百日紅さるすべり兵衛は、北山で何をしておったのじゃ?」

「これについては憶測でしかございませんが──」


 波瑠がそう前置きをする。


「春ごろ、遠峰とおみねで何やらあったらしく、山守やまのかみである旦那様に悪童わんら探索の命が出ております。しかし実は、この件にも九尾様が関わっております。あれこれ話を繋ぎ合わせると、弟子殿は旦那様とは別に悪童わんらを探索されていたものと思われます」


 たった半日ほどで、よくぞここまで調べ上げたものだと千紫は感心した。いったいどこから仕入れて来たのか。千紫は波瑠に尋ねた。


「波瑠、どこへ出かけておった? 今日はとっさに口裏を合わせることになった」

「いろいろと噂が出回る場所に」


 事も無げに波瑠が答えた。


「里外から御座所おわすところのことまで、本当か嘘か分からない話が飛び交います。ちょいと話の種を蒔けば、それが十にも百にもなって返ってきます」

「なるほど、それは面白そうな場所じゃ」


 千紫が苦笑する。波瑠は、それを軽く受け流し、鋭い視線を千紫に向けた。


「どちらにせよ、旦那様は蟲使いに何かをさせているようです。悪童わんらの探索をさせていたと考えるのが順当かもしれませんが、それならばなぜ弟子殿と別行動であったのかが腑に落ちません。人の国のあやかしが阿の国で山守やまのかみ相手に手柄を競い合うとも思えませんし」

「……言う通りじゃ」


 不穏な、嫌な感じがした。


 果たして、旺知あきともは本当に悪童わんらを探していたのか?


 しばらく思案した後、千紫はようやく口を開いた。


旺知あきとも様に今夜こちらにいらっしゃるよう、それとなく促しておくれ」


 波瑠が頷いてさっと部屋を出ていった。千紫はふうっと嘆息する。

 夫の腹をさぐるため自ら寝間に誘うとは、我ながら汚い女になってきたと思った。


 傍らに目をやると、銀杏いちょうを挟んだ本が目に入った。それに手を伸ばしかけ、だがしかし、今から旺知に抱かれる自分の姿を思い浮かべ、なんとも言えない気持ちになって彼女は途中で手を止めた。

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