西の隠れ屋敷(2)

 初めての御前会は、千紫にとって慌ただしいものとなった。

 御前披露を控えているにも関わらず、旺知の挨拶に同行させられ、しかも会った者の顔と名前を一人ひとり覚えていかねばならない。


 九洞くどは洞家末席になるので、下位の洞家と懇意であるのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。奥院の侍女衆を束ねる奥頭おくがしらを出している八洞やと家や、同じ二つ鬼でも里の守護をしている六洞りくどう家などとは軽く挨拶を交わした程度である。


 代わりに、旺知は上位の五洞ごと三洞さんどうと懇意にしていた。それに加えて、家元と言われる洞家より格下の者たちがひっきりなしに旺知あきともの元を訪れる。


(これは、顔や名前だけでなく、それぞれの関係も頭に入れないと……)


 中には小声できな臭い話を旺知にふってくる者もいる。千紫は彼の後ろで静かに控えながら、顔と名前、そして何を話していったかを細かく記憶した。



 御前披露は、なんの問題もなく無事終わった。自身の考察を述べ終えた時、影霊殿の御座みくらに座る影親かげちかは満足そうな顔をしていた。

 その隣に座る清影がこちらをじっと見つめていたのも分かった。しかし、彼女はあえて目を合わせなかった。もう、彼とは終わったのだ。そもそも、終わったというほど、何かあったわけでもない。


 披露を終えて九洞くど家の席に戻ると、これ見よがしに旺知あきともが千紫を抱き締めた。周囲の者たちの手前、千紫は笑顔でそれを受け入れたが、この抱擁に愛情がないことは分かっている。

 旺知は、「この女は自分のものである」と周囲に示したいだけなのだ。


 御前会は話で聞いていたよりも見ごたえがあった。歌競いは聞くに耐えないものであったが、その最後に、末姫の藤花が見事な月詞つきことを披露した。


 そして試合では、百日紅さるすべり兵衛という九尾の弟子が、六人抜きをした里守さとのかみの息子、六洞りくどう重丸を一瞬にして打ち負かした。


 しかし、その試合で事件が起きた。かっとなった重丸が、あろうことか一礼をして場を退いた相手に対し鬼火を投げつけてしまったのだ。


 会場は騒然となり、兵衛が重丸の首を落とす寸でのところで、九尾によって止められた。礼を欠いたのは明らかに重丸であるのに、兵衛の荒々しい返り討ちが印象に残る形となった。


 まさか、人の国の名も知らない一介のあやかしに鬼が負けるとは誰も思わなかったのだ。


 ぴりぴりとした空気の中、若鬼衆に混じって前線で観戦をしていた旺知に目をやる。負けた重丸に声をかけながら、その目は怒りで満ち、九尾とその弟子を睨んでいた。


(このままでは場が収まらぬ──)


 千紫はさっと立ち上がると、さりげなく旺知あきともの前へ割って入った。


「旺知様、席にお戻りくださいませ」


 下手にたしなめては怒りを買う。千紫は、戦いごとなど分からない姫のように甘えた声で旺知の手を取る。


 その仕草がまんざらでもなかったのか、旺知はあっさりと引き下がった。対角線の向こうにいる九尾達をちらりと見ると、千紫は彼らと目が合った。


 これにてしまい──。無言のまま彼女は彼らに向かって目を伏せた。




 御前会が終わり日が沈むと、宵の宴が始まった。

 これも、千紫にとっては初めてのものだ。さすがは鬼伯の催す宴である。

 九洞くど家当主の祝いの宴など──、あれでも千紫にとっては十分派手であったが、足元にも及ばない。大広間の一番奥の上座には当然ながら鬼伯とその一族が座していて、今夜はそこに伏見谷の九尾もいた。


 当然、鬼伯に挨拶に上がらなければならないのであるが、彼らに挨拶に上がるのは次洞じどう家からというのが習わしであるらしく、九洞くどはまだまだ後になりそうである。


 そして、挨拶の順を待っている間、家元などが旺知あきともの元へとやって来た。


山守やまのかみ、どう思われますか?」


 そう言って話しかけてきたのは、千紫がさっき覚えたばかりの二つ鬼の家元、小梶こかじ佐之助さのすけだ。佐之助は、上座をちらりと見つつ、ふんっと鼻を鳴らした。


「その名を世に轟かせている大妖とは言え、あのような特別扱いは……」


 大妖狐九尾の姿を見るのは、千紫は今日が初めてだった。

 鬼伯影親かげちかの隣に座る頭に角のない男をあらためて見る。亜麻色の髪に陣羽織を着た男は、見た目こそ派手ではあるが、薄墨色の瞳を穏やかに細めて笑っている。その姿は、恐ろしいあやかしとはほど遠い。


「鬼伯は、九尾も我が一族だとでも言いたいのでしょうか」

「さあて、どうだかな」


 旺知あきともは、のらりと佐之助の言葉を受け流す。しかし、その目はぎらぎらと上座を見据えていた。


、あのような人の国のあやかしなど、この御座所おわすところに入れはしないがな」

「しかし、鬼伯の気持ちも分かります。今や、伯家にかつての力はなく、他に頼るしかありますまい。九尾が後ろ楯におると分かれば、不満の声も小さくなりましょう」


 千紫は素知らぬ顔で聞いていないふりをする。一歩間違えば、これは叛意はんいだ。それを公然の場でどうどうと話すなど、なんと危ういことをするのかと冷や汗が出た。


 それに、千紫は実際のところ、それどころではなかった。このままでは、旺知あきともと共に、鬼伯の元へ挨拶に上がらねばならない。


 当然、そこには清影もいる。彼に対する気持ちが吹っ切れているとは言え、さすがに気まずい。ちらりと上座を窺うと、六洞りくどう親子が鬼伯と歓談中だった。


 なんとかこの場だけでも逃げることができれば──。


 そんなことを考えながら何度も上座の様子を窺っていると、藤花がさっと席を立ち、そそくさと広間を抜けていった。どうやら嫌になったらしい。彼女らしいと内心笑いながらその後ろ姿を千紫は見送った。


 さて、私も彼女のように抜け出すことができれば──。


 するとややして、背後で深芳の声がした。


「千紫、」


 ちょうど佐之助に昼間の御前披露の話を振られ答えていた時である。

 呼びかけられて振り返ると、妹同様いつの間にか上座から抜け出した深芳がそこに立っていた。


「深芳……」

「さあ、今宵は私の部屋へ」


 言って彼女は千紫の手を取り、旺知あきともを見た。


「では山守やまのかみ、約束どおり千紫をお借りしてよろしいでしょうか」

「え、あ──」


 旺知が戸惑いがちに上座を見る。どうやら本当に千紫を連れて挨拶に行こうとしていたらしい。しかし深芳は、そんな旺知におかまいなしに無邪気に、そして優美に笑った。


「私ども女には殿方の難しい話は分かりませぬ」


 深芳独特の艶やかな視線が旺知を捉える。隣の佐之助なんかは、みっともないほどまなじりを下げている。


「参りましたな。あなたに頼まれると断れない」


 旺知が苦笑すると、深芳は勝ち誇ったように笑った。そして千紫の手を引いた。


「千紫、行きましょう」


 深芳に促され千紫は立ち上がった。ちらりと旺知を見ると、彼は上機嫌な様子で千紫に頷いた。

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