2)西の隠れ屋敷
西の隠れ屋敷(1)
千紫が
結局、家には戻されず、千紫は九洞家で毎日を過ごしていた。
立場としては
それにともない、千紫に対する
ハルにも堂々と使いを頼むことができる。彼女は両親に手紙を書き、ハルに届けてくれるよう頼んだ。ついでに、家の私物を持ってきてもらった。
ハルは、里中出身の孤児であるが、利発な娘だった。機転もきき、肝も座っている。
千紫は、暇がある時は彼女に文字を教えて、教養を身に付けさせることにした。彼女の仕事は主に家事などの雑用であるが、侍女が担う家人の身の回りの世話などをすることもあった。
それなら、ゆくゆくちゃんとした侍女として、身を立ててもらおうと考えたからだ。
一方、自分の学びも忘れてはいなかった。書物だけが、彼女の気を紛らわせる唯一の物である。
折しも
このようなことになってしまっては、それも叶わぬと諦めていたところへ、
どうやら、妻に
しかし、夜の営みについては、多少慣れはしたものの彼女の心に重くのしかかっていた。
ただの体の交わりだけならまだしも、
しかし、拒否をすると倍になって返ってくるどころか、毎日のように要求してくるようになる。結局、千紫は受け入れざるを得なかった。
ハルも同じようなことをされたのかと気になった。しかし、そのようなあけすけな話をすることもできず、彼女は一人で思い悩むしかなかった。
そして秋、御前会に出席するため、千紫は
洞家とはかくも特別なものなのか。
これは、一度与えられれば執着するはずだ。ともすれば、もっと欲しがるかもしれない。千紫はそう思った。
御前会は、
千紫の父親
「
開口一番、秀明が言った。旺知が軽く頷いた。
「うむ。今日の千紫との披露、期待しておるぞ」
「おまかせください。本日は、千紫に任せようと思っております」
言って
ちらりと旺知を見ると、彼はすでに洞家の席に集まる他の洞家衆を気にし始めている。これは、そうそうに切り上げねばと千紫は思った。
「父上、他の方にご挨拶もありますので、また後で」
まだ何か言いたそうな秀明にきっぱり言い返し、千紫は旺知に目配せした。旺知は満足げに頷くと、さっさと歩き出した。千紫は慌てて彼の後につき従った。
「千紫、洞家の面々を覚えておけ」
「はい」
今後の自分の立ち振舞いにも影響がありそうである。千紫は、今日の御前披露以上に緊張した。
その時、
「千紫、」
彼女を呼び止めるたおやかな声が会場に響いた。集まり始めた洞家、家元の群衆が、ざわめきながら道を開ける。するとそこに、華やかな紅葉柄の
「深芳……」
「久しぶりじゃ」
打掛の裾をたくし上げ、深芳は真っ直ぐ千紫に向かって歩いて来た。そして彼女は、千紫の目の前で立ち止まると、その切れ長の目を柔らかに細め、
「
言って彼女はたおやかに腰を折った。緩やかにうねる栗色の髪が、陶磁器のように白い肌にはらはらとかかる。深芳に突然声をかけられ、さすがの
(深芳の美しさに
初めて彼女と話す者は、大なり小なり似たような顔をする。例に漏れず、旺知も似たような反応をして、千紫は少しばかり愉快になった。
一方、深芳はと言うと、これで殿方に挨拶は済ませたとばかりに、
「このようなところに一人で。侍女衆が探しておるだろうに」
「千紫、おまえに会いたくて。聞けば、御前披露に出るそうな」
「父とな。最初で最後のお披露目じゃ」
千紫が答えると、その含みのある言葉に深芳が複雑な顔をした。そして、再び旺知を見る。
「
「は。私には過分な妻にございます」
この時、
「わざわざ妻のために足を運んでいただき、ありがとうございます」
「千紫は私の最も大切な友人ですから」
深芳が答える。そして彼女は、旺知に尋ねた。
「今日は、宵の宴には二人でいらっしゃるので?」
「はい」
「では、一晩千紫をお借りしても良いでしょうか? もう久しく話しておらぬゆえ」
千紫はちらりと
しかし
「もちろん、積もる話もおありでしょう。深芳様のご迷惑でなければ」
「では、決まりです」
深芳が嬉しそうに千紫の手を取り満面の笑みを浮かべた。そして彼女は、「後でまた」と千紫に耳打ちすると、遠巻きに様子を伺っている若鬼衆の視線をさらりと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます