宵臥の姫(4)

 家に入ると、上機嫌の父親が千紫を出迎えた。


「おお、遅かったではないか」

「申し訳ありません。いろいろ積もる話があって」


 間違っても、入間いりのまで待たされ続けたなどとは言えない。

 この朴訥ぼくとつな父親は、御座所おわすところに上がることを許された博学子とはいえ、執院までしか知らない。

 その奥の、奥院がどれほど二つ鬼をさげすんでいるか知らないのだ。


「それより千紫、急いで奥の座敷へ」

「……何かありましたので?」

九洞くど様から、祝いの品が届いておる」


 千紫の心臓が「九洞」という言葉に跳ね上がる。彼女は、それを父親に気取られないよう「それは、ありがたいこと」と笑ってみせた。


 父親とともに奥の座敷に行くと、まず見事な調度品と打ち掛けが目に飛び込んできた。すでに品定めを始めていた母親が、上気した顔で振り返る。


「千紫、こちらに来てご覧なされ」


 言って彼女は、黒塗りの盆に並べられた数本のかんざしの一つを手に取った。


「わざわざ人の国から取り寄せたそうな。これは、象という大きな動物の牙から作った珍しい品じゃ」

「……」


 母親から手渡され、まじまじとそれを見る。他の残りのかんざしも、蒔絵まきえ螺鈿らでんが施され、どれも高価なものばかりだ。今の九洞くど家の権勢がいかほどのものかが分かる。

 しかし──、


(なんと華やかなかんざしか)


 自分には似合わない。千紫はそう思った。


 彼女が阿の国では珍しく髪を結い上げているのは、そうでもしないと深芳と並んで座っていられないからだ。

 かんざしは、着飾るのに単に便利な物だったというに過ぎない。


「ほれ千紫、そのような地味なかんざしはやめて、どれか一つ挿してみよ」


 興奮ぎみな母親が娘をせかす。

 彼女は、紫檀したんかんざしを引き抜くと、代わりに一番派手な蒔絵のかんざしを挿してみせた。


「おお、我が娘ながら華やかじゃ。奥院の深芳様と比べても見劣りせぬ」

「そう、ですか」


 千紫は心の中で嘲笑あざわらった。

 深芳はかんざしなど挿さない。昔ながらに豊かな髪を後ろへ流すだけ。それだけで彼女は十分に美しいのだ。それを誰も分かっていない。


 かんざしを挿すということは、つまりは、そういうことだ。


 千紫は立ち上がると、両親に言った。


「明日から、こちらのかんざしを使います。明日の朝、雪乃に持ってくるよう伝えておいてください」

「この、地味な簪はどうする?」

「もう──必要ありませぬ。捨ててください」


 吐き捨てるように言って、千紫は部屋を後にした。




 あっという間に、旺知あきとも九洞くど家当主に正式に就く日がやって来た。その日は、宵の口から九洞家の屋敷で祝いの宴があり、千紫も出席するよう言われていた。

 両親は「これは祝言のようなもの」と喜んでいたが、そもそも宵臥の姫を披露するなどあり得ない。彼女は、旺知あきともの非常識な扱いにため息が出た。


 それでも喜ぶ両親に背中を押されるような形で準備をする。

 指定された華やかな小袖と打ち掛けを着て、髪を結い上げ、派手なかんざしを挿せば、それは自己主張の強そうな下品な女が出来上がった。


 夕方、九洞くど家から迎えが来た。

 月夜の里の北、ほぼ中央に位置する所に御座所おわすところがあり、それを取り囲むように洞家の屋敷が立ち並ぶ。


 土地は、東が位が高く、西に行くほど低くなる。月が東から上ることに由来するものだ。そして、洞家末席の九洞くど家の屋敷は、当然ながら一番西方にあった。


 千紫の家は、さらに御座所おわすところから離れた里中に近い場所だ。ここは、千紫の父親のような学者や家元などが居所を構える場所で、屋敷も小ぢんまりとしたものが多い。


 千紫の宵臥の話は、すでに周知のものとなっていて、近所の者はみな羨ましそうに千紫の御出掛おでかけを見送っていた。



 車に揺られ九洞くど家の屋敷に着くと、下働きの女が屋敷の中へ案内してくれた。その横顔は藤花ぐらいの年の頃だろうか。そのまま客間に通されて、ひとしきり待たされる。旺知がちらりとでも様子を見に来るかと思ったが、期待しただけ無駄だった。


 現在、九洞家は旺知あきともが一人で守っている。

 母親はすでにおらず、霊力の衰えた父親が長い間床に伏せていた。

 鬼伯から九洞くどの姓を賜ったのは、もっぱら旺知あきともの力ではあるが、当主は父親となっていた。そんな形だけの当主も最近亡くなり、旺知が正式に当主の座に就くことになったらしい。


 しばらくすると、遠くで賑やかな声が聞こえてきた。

 宴が始まったようだった。いっそ、このまま忘れ去られて待ちぼうけをくらった方がましかもしれないと考えていたら、先の下女が呼びに来た。


 長い廊下を下女の後についていく。九洞家の屋敷は、庭も手入れが行き届き、途中で垣間見た屋内の様子も立派である。

 格式のある奥院には遠く及ばないが、洞家とはそれ相応の地位であることをあらためて感じた。


 大広間では、宴の真っ最中となっていた。

 五十畳はありそうな広間では、所狭しと人が乱れ座り、豪勢な食事が供されている。その一番奥、上座には旺知あきともが上機嫌で笑っており、千紫の姿に気がつくと「待っていたぞ」と手招きした。


「千紫、こっちへ来い」


 すでに名を呼び捨てだ。千紫は、言われるがまま彼の元へ歩み寄ると、その場に座して両手をついて頭を下げた。


「博学子秀明しゅうめいが娘、千紫にござます」

「堅苦しい真似はするな」


 興ざめした口調で旺知が言って、出し抜けに千紫を抱き寄せる。

 彼女は彼の胸の中に転がりこむ形となり、その様子を見ていた周囲の鬼たちがはやし立てた。


「いやはや、めでたい」

「なんと華やかで美しい姫君か。九洞くど殿にお似合いだ」


 口々から出てくる祝いの言葉と褒め言葉に、千紫は戸惑いながらも笑顔で応える。しかし正直、どういう態度をとればいいか分からない。


 これはまるで、宴席の遊女あそびめ


 どれだけ祝われようと、褒められようと、これは祝言ではない。

 夫婦として契りを結ぶ祝詞のりともそこにはない。どんなに豪勢でも、自分は夜の慰めものとして召し出されたに過ぎず、ただただ見せ物にされているようなものだと千紫は思った。


 お披露目が一通り終わると、千紫はようやく解放された。その場を辞し、部屋に戻ったところで、そのまま下女が寝間着を持って現れた。


「こちらにお着替えください。寝所へ案内いたします」


 言われるがまま千紫は着替える。結った髪を下ろし、差し出された絹の寝間着を羽織る。素肌に触る上質な生地がなんとも慣れず、気持ちがそぞろとした。

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